2011年11月 9日 (水)

「記念碑」

akoyapearl01.jpg以前、異物を美しく尊い宝へ変える真珠貝について記事を書きました。→「真珠貝-異物を美しく貴い宝へ」

白蝶真珠や黒蝶真珠からマベ真珠、淡水真珠、日本で生産される代表的な真珠アコヤ真珠について話し、特に興味深いそれらの貝たちが美しい真珠を作る過程について説明しました。

かいつまんで話しますと、まず真珠を作る貝の中には「外套膜」と呼ばれる貝殻をつくる成分を分泌する膜があります。貝の貝殻と内臓を被っている膜のことです。

もし貝の体内に小石などの異物が入った場合、この外套膜が真珠質を分泌して異物を幾重にもくるんで真珠層を形成していきます。 養殖真珠は、この外套膜の性質を利用して作られるのです。

真珠貝はなんと自身にとってとてもやっかい物であるはずの小石のような異物から美しい宝石を作り出していたのです。

何とすばらしいことでしょう!

時には辛く悲しいこの人生、でもそれだからこそ真の喜びと成長を得られるのですが、艱難や苦難、試練や悲しみは、決して人をつまずかせるものではなく、それを受け入れ、耐え、乗り越えるべく最善の努力をする人を精錬するとともにその人の人生を珠玉の輝きに満ちた喜び溢れるものに変える助けとなります。

真珠貝の真珠作りの過程はまさにそのことを象徴しています。

そこで、今日はそのことに関連したすばらしい詩を見つけました。皆さんに紹介したいと思います。作者は不詳ですが、本当にすばらしい「記念碑」という詩です。

「記念碑」

神様はその子供たちを地上へ送られる前に

彼らのひとりひとりに慎重に選び抜かれた試練のはいった箱を与えられました。

彼は微笑みながらそれらの試練があなただけのものであることを約束されました。

あなた以外の誰もそれらの試練があなたにもたらす祝福を受けることは出来ないでしょう。

そしてあなただけがそれらをあなたの しもべ とするために必要な特別な才能と能力とを持っているのです。

さあ!未知の旅へと出かけなさい。あなたの誕生へと…

私が幕の彼方からあなたをこよなく愛していることを決して忘れてはいけません。

私があなたに与えるこれらの試練は私のあなたに対する愛のしるしです。

そしてこれらの試練の助けを通してあなたが築く人生の記念碑はあなたの私に対する愛のしるしとなるでしょう。

               天父

kosumosu001.jpgどんなに辛くても決してあきらめず、どんなに悲しくてもくじけず、どんなに厳しくても前を向いて歩み、ひとりひとり異なる「美しい人生の真珠」を私たちの内に作りましょう!

そう努めるとき、この世にある艱難や苦難、試練や悲しみ、孤独や心痛・苦痛は、実り多き人生を築く助けとなり得ます。

決して投げ出さず、じっくり時間をかけて丹精込めて精進するならば必ずできるはずです!

寡黙に異物の痛みに長く耐えつつそれを嘆くことなく美しい宝に変えるあの真珠貝のように……。

2011年11月 6日 (日)

「光の路」

ボーイスカウト1.jpg昨日の「泥足のままで-素晴らしいボランティア精神」および「凡事徹底」を記す中で、一つのエピソードを思い出しました。

今日はそれを紹介したいと思います。

1999年宜野湾第2団がボーイスカウト沖縄県連盟に正式に登録した年の4月、私は団を代表して初めて県連総会に出席しました。

聞くもの見るものほとんどが初めての上に多少の緊張も手伝って、恥ずかしい話ですが、語られ話されたことの多くを思い出せません。

しかしながら、10数年を経た今でも思い起こすたびに感動を新たにするとても貴重な体験をさせていただきました。

それは、総会の閉会に際して全員で「光の路」を斉唱した時のことです。

歌詞の一言一言をかみしめながら、老いも若きも熱唱するその歌声に耳を傾ける中、頭の先からつま先に至るまで鳥肌を伴うほどの衝撃と温かな感動に包まれました。

「光の路」の底に流れるボーイスカウトの精神に触れるだけでなく、「そこに集うおひとりおひとりはそのスカウト精神や自らの信念、理想、そして歌詞の中でいう『心の光』に忠実につき従おうと日々熱心に努めていらっしゃる方々だ」と強く感じたためです。

「私もその模範に習い従いたい」と強く願いました。

その感動が冷めやらぬ内に、私は心に思い浮かぶままに一つの詞を記し、心が赴くままに曲を作りました。「光の路歩もう」と題する曲です。

この曲は、後に宜野湾第2団団歌として採用され、みんなに愛唱されました。

この「光の路歩もう」の曲には、そのスカウト精神と模範に習い踏み進もうとの決意が込められています。

また、その決意を表すに当たり、歌詞に次のスカウトの3つのちかいを掲げました。

「私は、名誉にかけて、次の3条の実行をちかいます。

神と国とに誠を尽くし、おきてを守ります。

いつも他の人々をたすけます。

からだを強くし、心をすこやかに、徳を養います。」

「ちかい」という言葉は、旧仮名遣いの時代に「ちかひ」と表記されていました。その「ちかひ」の「ひ」は、古語で霊(たましい)を意味します。すなわち「ちかひ」は単なる約束でもかりそめのものでもなく、自らの霊に実行を誓うより厳粛なものであるようです。

この歌を何度も口ずさみつつ、この歌の底に流れるスカウト精神と「ちかい」の真に目指すところとを自分のものとし、先人・先輩の模範に静かにそして力強く、また喜びをもって従えるよう常に自然体で頑張りたいと思います。

以下に、私の大好きなボースカウトソング「光の路」および私が作詞作曲した宜野湾第2団の団歌「光の路歩もう」を紹介します。

「光の路」

堀内 敬三 作詞マーチン 作曲

1.大空をわたる日の 光は清く  

  心地よきかがやきに やみはうせゆく

  光の路を ふみゆく われら

  とこしえに保たん 明るき心

2.いつわりも おこたりも いやしきよくも

  打ちやぶり きよむるは 心の光

  光の路を ふみゆく われら

  とこしえに保たん 明るき心

「光の路歩もう」(ボーイスカウト宜野湾第2団団歌)

1.幼いころから 心身きたえ

  徳をやしなう われらスカウト

  正義を選び  ともに歩もう 光の路を

  宜野湾第2団 備えの道 進む

2.若いときから 心をさだめ

  隣人(ひと)に仕える われらスカウト

  やさしい心で ともに歩もう 光の路を

  宜野湾第2団 奉仕の道 進む

3.神と国とに  誠をつくし

  おきてを守る われらスカウト

  つよい心で  ともに歩もう 光の路を

  宜野湾第2団 真理の道 進む

2006年5月 8日 (月)

友達はいいもんだ_3-「真の友」

Hirugao01今日は「友達はいいもんだシリーズ」第3弾をお届けします。

先日紹介した詩「すてきな友達」「ケサラの歌」でも分かるように親友とは本当にすばらしいものです。

喜びも悲しみもすべてを分かち合い、時には叱咤激励し、互いにより高い目標をめざして切磋琢磨します。

良き友は人生の本当に大きな宝です。

その良き友、すなわち真の友についてのすてきな詩があります。皆さんも読み味わって下さい。

私をいつも支えてくれる親友たちに贈ります。

   「真の友」

真の友とは、死の床に伏しているときにそばにいてもらいたい人である。

真の友とは、また元気でいるときにも共にいたい人である。

真の友とは、問題があるときに自然に相談を持ちかけたくなる人である。

真の友とは、良い知らせを聞いていちばん先に喜んでくれる人である。

真の友とは、問題が解決したときにいちばん先に報告したい人である。

真の友とは、他の人には打ち明けたくないことも打ち明けたい人である。しかし、それでいて私の心の秘密を詮索しようとしない人である。

真の友とは、心が痛むときに頼りにしたい人である。しかし、頼りにしてもそれを利用しない人である。

真の友とは、倒れ伏しているときに、横でひざをかがめてくれる人である。しかし、元気に立ち上がったときにはひざをかがめたことなど忘れている人である。

真の友とは、悲しいときにすがって泣ける肩をもっている人である。しかし、うれしいときには、いっしょに、思いっきり笑ってくれる人である。

真の友とは、苦しんでいるときに、彼のほおにも幾筋かの涙の航跡が見える人である。しかし、喜んでいるときに、その目にキラッと輝く星の見える人である。

真の友とは、慰めの言葉に痛みの震えのある人である。しかし、共に喜ぶ声にはメロディーのある人である。

真の友とは、長所をよくほめてくれる人である。しかし、欠点もよく忍んでくれる人である。

真の友とは、たとえ失敗しても少しも軽侮の色を示さない人である。しかし、失敗をくり返さないように助言を忘れない人である。

真の友とは、成果をあげたときには誇りに思ってくれる人である。しかし、失敗に終わっても恥には思わないでくれる人である。

真の友とは、成功を助けてくれる人である。しかし、その助力を主張しようとしない人である。

真の友とは、喜ばせれば満足に感じてくれる人である。しかし、失望させてもけっして恨まない人である。

真の友とは、痛いことでも言ってくれる人である。しかし、痛いことを言われてもおこらない人である。

真の友とは、おりいっての頼みごとをしてくれる人である。しかし、それをしてくれても恩着せがましさが全くない人である。

真の友とは、少しでも人の重荷を軽くしようとして助けの手を伸べる人である。しかし、それをさせてもらった事を特権としか感じない人である。

真の友とは、もてるものを与えつくす人である。しかし何を与えたか記録などもっていない人である。

真の友とは、すべての人に最悪のことを言われているときにも、最善のことを言ってくれる人である。

すべての人は、こんな真の友を少なくも四人はもつ必要がある。

そして、少なくも四人の人に対してこんな真の友になる必要がある。

ああ神よ、わたしをこのような真の友になさせたまえ。


2006年5月 7日 (日)

友達はいいもんだ_2-あなたにありがとう

Umitosora18 最近中山真理さんの詩に魅せられてこのブログでも彼女の詩を何度か紹介しました。

きっかけは小6の息子が学校からいただいた楽譜綴りです。

その中に綴られた中山真理さんの詩はとても素敵な感性で綴られたものばかりです。

友達はいいもんだシリーズ第2弾としてもうひとつだけ紹介します。

タイトルは「あなたにありがとう」です。

「あなたにありがとう」

        中山真理

あなたがいたから 頑張ってこられたんだね
ひとりぼっちなら とうにくじけてた

あなたがいたから 元気でいられたんだね
いつも 励ましてくれてたからだね

どんな時も 支えてもらったから
つらいこと いやなこと いつしか 忘れてた

あなたにありがとう
ありがとう ありがとう
いつまでも だいじな宝物
そばに いたこと

あなたがいたから 楽しく過ごせたんだね
けんかをした日は 笑えなかったよ

あなたがいたから 優しくなれたんだよね
いじわるな気持ち 消えて行ったよね

どんな時も 支えてもらったから
つらいこと いやなこと いつしか 忘れてた

あなたにありがとう
ありがとう ありがとう
いつまでも だいじな宝物
そばに いたこと

そばに いたこと

自分のことを本当に一生懸命考えてくれて支えてくれる友がいるということは本当にありがたいことです。

私にもそのような友がいますよ。

そしてそのような友は、本当に大切な宝物です。


2006年5月 6日 (土)

友達はいいもんだ_1-教室のペンキ塗り

Ajisai01 高校時代の友人たちはみんな気持ちのいいやつばかりでした。

高校生活3年間のクラスの仲間たちとの青春の思い出は、本当に数多く、私にとってそのひとつひとつが大切な宝物です。

私は沖縄県立普天間高校の30期生ですが、3年13組のあのクラスで過ごした1年は、私の人生で最高のひとときのひとつでした。

走馬燈のように蘇る多くの良き思い出がまさに凝縮された1年間です。

今日は良き青春の思い出「教室のペンキ塗り」を紹介します。

28年前の5月、ちょうどこの時期の懐かしい思い出です。

理科ビルの隣に建っていた私たちの校舎は、今ではもう新しい校舎になっていますが、当時はかなり古く、1階部分に4クラス、2階部分に同じく4クラスの2階建てになっていました。

何よりも大変だったのが、戸袋に潜んでいる数十匹のガジャン(蚊)。毎朝雨戸を開けるたびにその数十匹(夏場は百匹以上)のガジャン(蚊)が一斉に総攻撃を仕掛けるため、もうたまりません。

そこで気心知れた数人の男子生徒を招集し、共に作戦会議を開催。すったもんだの挙げ句、女子に内緒で(驚かせるため)教室全体のペンキを塗り直そうと決定しました。

密かに打診した男子生徒全員が、なんと二もなく賛成してくれたのです。涙が出そうになる位感動しました。

早速担任の先生と用務員のおじさんを通じ、校長先生に交渉。なぜかすんなり了承をいただき用具とペンキを準備していただきました。

5月中旬の土曜日と日曜日、男子生徒全員が朝早くから教室に集まり、にぎやかにペンキ塗りの決行です。

例の戸袋から雨戸や内壁、外壁、廊下の天井や柱まで一生懸命塗って新ピカピンです。

22人の元気有り余る男子生徒が力を合わせたものですから、2日間で3年13組の教室だけが全くの新築同様になりました。

翌月曜日の朝、女子生徒たちをはじめ先生方や全校生徒のあの驚きの顔を決して忘れません。

特に同じ校舎の他のクラスのみんなの驚きの顔は本当に最高でした!

ガジャン(蚊)もほとんどいなくなり、五月病の症状を呈する仲間も皆無でまさに快適な学校生活の再スタートです。

さらに、出し抜かれたと感じた他のクラスの全男子生徒が立ち上がり、それぞれにペンキ塗りを始めました。

6月末頃までには、学生だけでひとつの校舎のペンキ塗りを完成させ、リニューアルさせてしまったのです。

青春を謳歌するとはまさにこのことだと自ら納得し、すがすがしい気持ちで一杯でした。

同じ気持ちになれる友や仲間がいるということは本当にいいものです。

ペンキ塗りを提案したとき、みんなが心をひとつにしてくれなければ、決してあのようなことは起こりえなかったと思っています。

気持ちが分かり合える友達は本当に大切な宝物です。

卒業式を終えたクラスの分散会の時、私はオリジナルの曲を作りギターをつま弾きながらみんなに感謝を込めて歌いプレゼントしました。

以下に紹介します。皆さんも味わいながら五月病を吹き飛ばして下さい。

吹き飛ぶかな……?

  「わがクラスいつまでも」

         作詞・作曲  安里吉隆

1.暖かな日差しが 校庭を包み
  桜の花も ちらほら咲き出した
  屋根の上では 子猫がうたた寝をしてる
  とてものどかな 春の昼下がり
  なのに日向で語らう みんなの声が
  以前のようには 弾まない
  教室では 想い出作り 授業なんて上の空
  ああ 学生時代も もうあとわずか

2.共に過ごした日々が 一陣の風と
  肩を並べて 通り過ぎて行く
  数々の想い出が 走馬燈のように
  脳裏を 楽しく 悲しく駆けめぐる
  ラララ 服まで真っ白ペンキ塗り
  みんなで応援 陸上 *1
  ちょっぴり涙の 学園祭
  笑いだらけの クリ年会 *2
  ああ 青春の想い出を 宝石箱の中へ

  *1 校内陸上競技大会 
  *2 クラスのクリスマス&忘年会

3.たとえ ひとりびとりの歩む道が
  違ってて みんな 遠くに離れていても
  そして その道が長く 険しくて
  ひとり 涙を落としそうになったとき
  決してくじけちゃいけない ひとりじゃないさ
  みんなの心はひとつさ みんな気持ちのいい奴ばかり
  淋しさなんて 雲の上
  ああ わがクラス いついつまでも

  ラララ……………………………………

  ああ わがクラス いついつまでも


2006年4月30日 (日)

歌はいいもんだ-すてきな友達

Bugenbiriya01_2 先日のブログで紹介した小6の息子からもらった楽譜綴りの中より、もうひとつすてきな歌を紹介します。

「すてきな友達」と題する歌です。

息子の小5の時の担任の先生が選んで子供たちに紹介した歌の中のひとつですが、その楽譜綴りの中は、先生のすてきな感性と子供たちへの温かな思いや望み、励ましが感じられるいい歌で満ちています。

そのような温かい目で息子たちを教え育んで下さった先生に心から感謝しております。

   「すてきな友達」

             梶原千鶴子

  人はみんな だれでも
  一人では生きていけないから
  いつもすてきな友達と
  この手を つなぐのさ

  悲しいときも 仲間がいれば
  つらくはない
  苦しいときも 仲間がいれば
  つらくはない

  ぼくも きみも ときには
  真っ暗やみに落ちて とまどうから
  いつもすてきな友達と

  愛と仲間 それさえあれば
  つらくはない
  愛と仲間 それさえあれば
  つらくはない

このようなすてきな歌に出逢うたびに、私はなぜか青春時代の懐かしい記憶を呼び覚まされます。

あの頃歌った同じようなすてきな歌を思い起こしつつ、共に泣き笑い、共に学び遊び、共に青春を謳歌した仲間たちとの思い出が次々と脳裏を巡って本当にすがすがしい思いになるのです。

そこで、友人のひとりが「ケサラの歌」をもじって作った替え歌、仲間が集まれば必ずギターをつま弾きながらみんなで歌った歌も以下に紹介します。

これもなかなかいい歌ですよ。

   「ケサラの歌」

1.君は何に 傷つき
  ひとり うつむいているのか
  さあ顔を上げて わらってみせて
  明るい君が 好きさ

 ※ケサラ ケサラ ケサラ
  つらく 淋しい時には
  休みにおいで みんなの所に
  僕らは永遠(とわ)の友だち

2.大きな声で 笑おう
  大きな声で 泣こう
  そう自分を真直ぐ 見つめて歩こう
  二度と 帰らぬ今を

 ※ケサラ ケサラ ケサラ
  強い愛で 結ばれた
  私にはあなたが 君には僕が
  そうさ みんながいるさ

3.世間が 何を言おうと
  どんなに 非難を浴びようと
  僕は君を 信じているよ
  君はひとりじゃないさ

 ※ケサラ ケサラ ケサラ
  光り輝く あの星を
  めざして 僕らは生きているんだ
  今日も 明日も いつも

 ※印を順を追って繰り返す


2006年4月27日 (木)

子供の話に耳を傾けよう

Umitosora09 昨晩、とても含蓄のある言葉を見つけました。

ジョン・パウル・リヒターの以下の言葉です。

「父親が子供に語ることは世間には聞こえないが、彼の子孫には聞こえる。」

6人の子供を抱え、父親業に悪戦苦闘中の私は色々考えさせられました。

リヒターのこの言葉は次のように言い換えることができるとも思いました。すなわち、

「父親が子供に示す関心と注ぐ愛情は、彼の子孫にも注がれる」です。

仕事が忙しくなると6人の子供に同じように愛情と関心を示し、そしてそのバロメータのひとつにもなる彼らのために時間を作るというのがなかなか難しくなります。

ただ、十分な時間をかけられなくてもいつも心がけていることがあります。

それは「子供たちの話に耳を傾ける」ことです。

もちろん時々忘れかけ、たまには失敗もしますが、以下の大好きな詩を度々読み返しつつ日々奮闘しています。

なかなかいい詩ですよ。

       「子供の話に耳を傾けよう」

今日、少し
あなたの子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。

今日、聞いてあげよう。
あなたがどんなに忙しくても。
さもないと いつか子供はあなたの話を聞こうとしなくなる。

子供の悩みや 要求を聞いてあげよう。
どんなに些細な勝利の話も、
どんなにささやかな行いも ほめてあげよう。

おしゃべりを我慢して聞き、一緒に大笑いしてあげよう。
子供に何があったのか、
何を求めているのかを 見つけてあげよう。

そして 言ってあげよう。「愛している」と毎晩、毎晩。
叱ったあとは必ず抱きしめてやり、「だいじょうぶ」と言ってやろう。

子供の悪い点ばかり あげつらっていると、
そうなってほしくない人間になってしまう。
だが、同じ家族の一員なのが誇らしいと言ってやれば、
子供は自分を成功者だと思って育つ。

今日、少し、
あなたの子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。
今日、聞いてあげよう。
あなたがどんなに忙しくても。
そうすれば、子供もあなたの話を聞きに戻って来るだろう。

2006年4月15日 (土)

「ねぇ 歌おう」

Amaririsu02 昨晩、古い教科書や資料を整理していた6年生になる息子が、処分しかねていた学校の音楽の資料を携えて私のもとへやって来ました。そして息子曰く、

「お父さん、これ5年生の時に音楽で使った楽譜や歌詞なんだけど、捨ててもいいかな。」

「もういらないの。」

「うん。でもちょっともったいない気もして迷っているんだけど……。」

「どれ、お父さんも見てみよう。」

と手にして10数枚の印刷された楽譜や歌詞に目を通すと、なんとすてきな歌、歌詞の数々。思わず感動して、

「まさとが要らないんならお父さんもらってもいい?」

「いいよ。捨てるの迷ってたからちょうどいいや。」

ということで、全部もらっちゃいました。

今日はその中のすてきなひとつの詩を紹介します。

中山真理さんの「ねぇ 歌おう」という詩です。

 表したい気持ちはいつだって
 胸の中にたくさんあるけれど
 みんなきっと本当はね
 わかり合いたくて でも
 うまくそれが 言えないから
 もどかしいよね

 ねえきみ 歌おう
 歌は言葉を越えるから
 ねえきみ 歌おう
 歌は心をつなぐから

 もっと優しくなれるように
 もっとまあるくなれるように
 もっと大きくなれるように
 人の想いがわかるように

 人は昔 言葉を知らなくて
 どうにかして気持ちを伝えたくて
 声を出して 叫びあって
 いつしかわかり合えた
 そしてやがて生まれたのが
 歌うことだよ

 ねえきみ 歌おう
 歌は言葉を越えるから
 ねえきみ、歌おう
 歌は心をつなぐから

 もっと優しくなれるように
 もっとまあるくなれるように
 もっと大きくなれるように
 人の想いがわかるように

高校時代、親しい仲間たちと互いにギターを持ち寄り、オリジナルの曲を演奏し合ったり、「かぐや姫」や「さだまさし」、「松山千春」など往年のスターたちの歌をコピーし、青春を謳歌しておりました。

歌には確かに自分の想いを言葉以上に伝える力があります。
また人の心を癒し、鼓舞し、その心をひとつに結ぶ力があります。

歌は本当にいいものです。

忙しさにかまけて忘れていたとても大切なものを思い出したようなとてもさわやかな気持ちになりました。

今日、錆び付いた懐かしの古いギターの弦を張り直し、これまた懐かしい音色を楽しんでいます。

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