2007年11月 4日 (日)

心からの信頼と相互扶助に根ざした「ゆいまーる」

akabana02.jpg中世に建てられたゴシック様式の教会は、以下のように非常に興味深い方法で建てられたようです。

まず、始めに石切り場が選ばれます。

普通、教会建設予定地から80キロメートル前後離れた場所が多かったようです。

それには、特別な理由があります。

まず工事が始まると、付近の住民たちが一列に並び、石切り場から建設現場まで数十キロメートルにおよぶ人の鎖を作ります。

切り出された石は、人の手から人の手へと手渡され、建設現場まで運ばれるというのです。

多くの人の参加と協力の大切さを学ぶ、本当にすばらしい話です。

沖縄にも協力関係の大切さを謳う「ゆいまーる」という言葉があります。

「ゆいまーる」は「結(ゆ)い」を意味する沖縄の方言です。

「ゆい」は、結い=結合=共同=協働、「まーる」は順番のことだそうです。

すなわち「ゆいまーる」は労働交換を意味します。

サトウキビなどの収穫は、一戸の家ではかなり厳しい重労働です。

それを隣近所が順番を組んで、互に助け合って収穫するという相互扶助のシステムが、「ゆいまーる」です。

日本本土はもとより中国、韓国などでも労働交換が発達しているようですが、特に沖縄の「ゆいまーる」は、農作業だけに限定されていないところが大きな特徴と言われています。

「ゆいま~る」の根底には、「相互扶助」と「平等の原則」の精神が流れており、みんなが互いに信頼し合い、心から支えあえる地域社会の実現に向けて、ひとりひとりがちいさな力を出し合い、連携しあおうという精神に支えられているのです。

前述の教会建設における共同作業も、まさにこの「ゆいまーる」の「こころ」に通じるものであり、物心両面にわたって大きな成果をもたらすすばらしいものだと思います。

「ゆいまーる」ってなかなかいいですよね。

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2006年6月13日 (火)

開拓者の信仰の奇跡

Umitosora36 アメリカの西部開拓の時代、多くの開拓者たちが信仰の自由と新天地を求め、道なき道を切り開き、多くの犠牲を払いつつ西へ西へと厳しい旅を続けました。

彼らやその子孫によって綴られた手記には、涙なくして読むことができない感動的な物語が多くあります。

今日はそのひとつをご紹介します。

アメリカユタ州で生涯を閉じたニール・A・マックスウェル氏の曾祖父母の日記からの感動物語です。

その日記には、生活が厳しい中、彼女の夫が宣教師として召され各地を伝道したことが記された箇所があります。

夫は妻と4人の子供を残し、西部から遠く離れた東部へ3年間の伝道の召しを受けたのです。

彼は、信仰を持ってその召しに応え、厳しい状況の中家族を残して出かけて行きました。

彼が伝道に出てから1年と数ヶ月たったある日、彼女がパンを焼いていた時のことです。

誰かがドアを叩く小さな音に気づき急いで開けてみると、そこに小柄なみすぼらしい老人が立っていました。

「何か食べる物をいただけませんか。3日前から何も口にしていないのです。」

「ちょっと待って下さい。」

彼女は走って台所に行き、ついさっき焼き上げたパンを一本、そのままその老人に差し出した。

老人は丁重に礼を言うとその家を離れました。

彼女は仕事に戻ろうとした時、

「そうだわ……。」

と、パンだけしか与えなかった自分の不親切さに気づき、すぐに台所に戻るとバターとジャムを持ってドアから飛び出しました。

しかし、不思議なことにその老人の姿はもうどこにも見当たりませんでした。

2週間後、彼女の夫から1通の手紙が届きました。

そこにも不思議な出来事が記されていました。

「その日の夕暮れ、私と同僚は疲れ果ててとうとう歩くことさえ出来なくなってしまいました。

3日前から何も食べずに伝道をしていたからです。

そこで、私たちは誰も通っていない道の真ん中でひざまずき、主に助けていただくために祈り始めました。

『天のお父様、何か食べ物を恵んでいただけませんか。3日前から何も口にしていないのです。』

するとよい香りがあたり一面に広がりました。

目を開けてみると、私たちの目の前に焼きたてのパンが1本置かれていたのです。

周りには、人の姿など見当たりませんでした。

私たちは主に感謝しました。

さわってみると、そのパンにはまだ温かさが残っていました。」

彼女の夫が見た奇跡と彼女が経験したあの不思議な出来事が、心の中でひとつになりました。

その出来事は同じ日の、ちょうど同じ時刻頃に起こった出来事でした。

彼女は確かに天が彼女の夫を助けて下さったのだと確信したのです。

この話は、マックスウェル家の霊的な遺産として、今日まで大切に語り継がれているということです。

極限状態の中でさえ、天に全幅の信頼を寄せて最善を尽くす者を、天は決して見捨てず、豊かな報いから外すことがないということを改めて確認する感動の物語でした。




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2006年6月 1日 (木)

思い出のリヤカー押し

Umitosora27 私が、小学4年生だった昭和45年前後、そのころの沖縄では、多くのオジーやオバーたちが、自分の家で豚を飼っていました。

彼らは、毎朝まだ夜も明けやらぬころに、一軒一軒の家をリヤカーを引いてまわっていました。

家や飲食店から出た前の日の残飯を、飼っている豚たちのために集めていたのです。

それぞれの入り口には、ふたのついたブリキの缶がおかれてありました。

オジーやオバーたちは、その缶に入った残飯をリヤカーの大きな缶に移し、それから重いリヤカーをかわいい豚たちのもとへと引いていきました。


私の家の近くにもそのようなオジーがいました。そのオジーが毎日通る私の実家の前には、美しい一本松のある泉の方角に向かって緩やかな長い坂がありました。

緑に囲まれてとても風情のある坂ですが、そのオジーにとっては、リヤカーを引いて行く際の最大の難所でした。


ある夏休みの早朝、ラジオ体操へ向かう私の目の前を、そのオジーが重いリヤカーを引いてその坂を上りかけています。

とっさに「手伝ってあげなければ!」と思うのですが、周りの目が気になり動けません。

心の中で迷う内に、年少の一人の少年が一目散にリヤカーに向かって走って行きました。

そしてすかさず顔を真っ赤にしながら「よいしょ、よいしょ」とかけ声をかけながらリヤカーの後を押し始めたのです。

リヤカーが軽くなったのに気づいたオジーは、立ち止まって後ろを振り返り、とても嬉しそうに「ぼうや、ありがとうね~」とその子にとても優しい声をかけました。

私はその少年の勇気に感心しながらも、結局最後まで気持ちを行動に移せませんでした。

幼心に自責の念が残りました。

その光景が一日中頭から離れませんでした。

そしてその晩決心しました。

翌朝、同じ時刻にオジーはやって来ました。

私はその少年と2人で、リヤカーを坂の頂上まで押していきました。

できるだけ人と目を合わさないように「よいしょ、よいしょ」と小さなかけ声をかけながらリヤカーを押していきました。

リヤカーが軽くなったのに気づいたオジーは、昨日と同じように立ち止まって後ろを振り返り、とても嬉しそうに「ふたりとも、ありがとうね~」ととても穏やかな声をかけました。

その笑顔が最高に輝いていて、心がとても温かくなりました。

それから夏休みの間中、毎日リヤカー押しは続きました。

日が経つにつれ、リヤカーを押す子供たちの数が次第に増えていきました。

オジーの嬉しそうな顔はさらに輝いていきました。


このリヤカー押しは、私たちの毎年夏の特別な行事になりました。

でも3年後、そのリヤカーとオジーの姿は突然見えなくなりました。

名前もどこに住んでいるのかも分からないオジーは、亡くなってしまったのか、養豚を止めたのか私たちには分かりませんでした。

「あのおじいちゃん、どうしてしまったのかな……。なんだかつまんないね……。」

ため息混じりに話すみんなの声は、心なしか元気がありませんでした。

私たちの夏の恒例行事は、その年からなくなってしまいました。

でも、お互いの心に芽生え、大きくなった固い友情は、その後いつまでも温かく続いていきました。


あれから30数年を経た今、私の実家の前の道は、アスファルトになりました。

そばにはたくさんの新しい家が建ち並び、昔の面影はわずかに残るリュウキュウマツを含めて、ほんの少しだけになってしまいました。

でも、そのゆるやかな長い坂を見るたびに、オジーのうれしそうな笑顔が、温かな良き思い出として蘇ってきます。

また、一緒にリヤカーを押したあのなつかしい仲間たちの輝いた笑顔が、重なって蘇ってくるのです。

温かな心で深く思いをめぐらせる中、自分たちが助けたと思っていたあのオジーから、本当はたくさんの元気と大切な宝物をいただいていたことが、今になってよく分かります。

そしてあの勇気ある少年と心やさしい仲間たちとともに、オジーへの感謝の気持ちで一杯になります。

そして、その温かな感謝の気持ちを込めて、心の中で短歌を詠み、今は亡きやさしいオジーへ捧げました。



 「残飯の 山と積まれし リヤカーの 後押す子らの 心は温し」





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2006年4月26日 (水)

NPOアジア・チャイルド・サポート

Asagao01 NPO法人アジア・チャイルド・サポートの代表理事である池間哲郎さんを招き、中学生・高校生とその両親を対象に特別な講演会を催しました。

モンゴルのマンホールチルドレンと呼ばれる、両親に捨てられてマンホールの中で生活する子供たちやフィリピンのスモークマウンテンでゴミの山からわずかばかりのビニルや空き缶を集めて生活している子供たちの惨状を生々しく写真や映像で紹介していただきました。

それらの多くの子供たちが、大人になれないまま、栄養失調や病気で、または事故で死んでいきます。

また、貧しい山岳民族の多くの娘たちが、家族の生活のために売られていき、売春業者の手に渡されて、本当に悲惨な生涯を送っています。その多くが、エイズに感染して、村人にも見放され孤独な死を迎えます。

世界では三秒にひとりの特に子供たちが、十分な栄養をとれないまま死んでいきます。

池間さんはそれらの子供のために、日夜粉骨砕身、私財もなげうってできることを一生懸命行っておられます。

私は、本当に大きな衝撃を受けました。

もっともっと真剣に学び、それらの子供たちの惨状を知り、理解し、自分にできる何かを真剣に行うよう努力しなければならないと痛切に感じました。

池間さんはボランティア活動を行っていくに当たって、私たちに三つの事柄をお願いしました。それは以下の通りです。

 1.悲惨な子供たち、人々の惨状を知り、理解すること。
 2.持てるわずかでも彼らのために分かつこと。
 3.私たち自身が、一生懸命に生きること。

池間さんは、感謝することはすなわち生きる力につながる、と述べられました。

今得ているすべてのことに感謝することのできる人は、一生懸命生きるようになります。

そうする時、本当の意味で、周りの人々を助けることができるようになるのです。

そのように強調されました。

何度も危険な目に遭いながらも命をかけてそれらの子供たち、人々のために働く池間さんの姿勢は、本当に力強く、信念を実行に移している人が持つ感化の力を持っています。

「親もなく 路上で暮らす 飢えた児ら 心血注ぎ 命削ぎ支う」

この歌は、貧しい子供たちを救うために文字通り命をかけて立ち働かれる池間さんへの心からの賛辞です。

私も含めて会場にいた多くの方々が、彼のように全身全霊を込めて働き、奉仕する人にならなければならないと感じました。

これらの子供たちや人々をサポートするために、とても小さなことですが、私なりにできることを始めました。

まず、支援のグループを作りその輪を広げることと、30年近く続けてきた1カ月に1日食事を抜き、浮いた食費を貧しい人々だけでなくそれらの子供たちへも分かつことです。



皆さんも是非ご協力下さい。詳しくはこちらです。

 ↓ ↓ ↓

ロゴアジアチャイルドサポートは、貧しい中でも懸命に生きる子供たちを応援します。 アジアチャイルドサポート



また、以下の1クリック募金サイトへのご協力もよろしくお願いします。
募金ボタンをクリックするだけで、無料で募金ができます。

1クリックあたり1円をスポンサー企業がクリックする人に代わって寄付してくれる仕組みになっています。

「熱帯雨林保全」や「難病のこども支援」、「環境学校支援」、「循環型農業支援」、「南太平洋諸国支援」、「シルクロード緑化支援」など数多くの国内外の支援プロジェクトを行うNPO団体に募金してくれるサイトです。

小さな善意が多くの子供たちの命を救い、自然環境を守り、また人々の自立を支援します。

http://www.dff.jp クリックで救える命がある

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2006年4月13日 (木)

横断の 途上で足止め 車止め 児童らを見送る オジー優しや

Umitoiwa01いよいよ新学期も始まり、毎朝色とりどりのランドセルを背負い元気よく登校していく子供たちの姿が見られます。とてもほほえましい光景です。

私の小学6年生と3年生になる下の息子娘も、毎朝黒と赤のランドセルを背負い元気一杯「行ってきま~す!」と大きな声であいさつし出かけていきます。

そんな多少慌ただしい朝の出来事です。

会社へ出勤する際、家の近くの信号のない横断歩道で、身体よりも大きいかと思われるランドセルを背負った小さな子供たちが道を横切ろうとしています。

子供たちが登校する朝の七時半から八時までの間は、出勤途上の車のまさにラッシュアワーです。

信号のない横断歩道ほど危険なものはありません。通常はPTAの役員の方々、御父母の皆さんが交代で安全指導を行うのですが、その日はたまたま安全員のいないとても危険な状態でした。

子供たちの反対側から来た八十歳なりなんとするおじいさんが、子供たちを気遣い道の真ん中で足を止め、黄色い旗の代わりにしわくちゃの手を一杯に広げて、子供たちを優しくいたわるように横断させていました。

何とも心温まる光景でした。

オジーやオバーたちの子供たちに対するまなざしは、いつも温かく、それを目の当たりにし、その温かさを感じるたびに、満ち足りた思いと元気が体の奥底から湧いてきます。

一日がとてもいい一日になるようなすがすがしい気持ちになるのです。


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2006年4月 5日 (水)

Tsutsuji3 クリックするだけで募金ができるサイトを見つけました。

知っている方も多いと思いますが、募金サイトの募金ボタンをクリックするだけで、無料で募金ができるそうです。

1クリックあたり1円をスポンサー企業がクリックする人に代わって寄付してくれる仕組みになっているようです。

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2006年4月 4日 (火)

厳しい苦難を己を磨き高める糧に…

Tsutsuji2_1 私の中学の頃の先輩に心から尊敬するすてきな女性がおります。

どのようなときでも笑顔を絶やさず、周りの方々への細やかな心遣いを自然な形で行いに示し続けるとても優しい方です。

周りの方々の幸福そうな笑顔が、そしてそれをもたらすべく小さな親切の手を伸べることが、自身の一番の喜びと感じているようです。

以下の賢者の助言を文字通り地で実践している二児のお母さんです。

「喜びを得るための鍵は、人のために奉仕することです。……自由意志とは、わたしたちが熱心に努め、自らの意志で意義ある奉仕の業を行なうための力です。」

                   ゴードン・B・ヒンクレー

いつも明るい笑顔を振りまく彼女ですが、様々な人生の厳しい憂き目を何度となく味わってきました。口に尽くせない辛い挫折を幾度となく経験してきたのです。

でも持ち前の明るさと笑顔を決して失うことなく、その度に失意のどん底から這い上がってきました。

それらすべてに追い打ちをかけるように2番目の息子がダウン症で生まれたときにもそうでした。

一時期は、障害を持つ夫と共にお互い自分自身を責め、すっかり打ちのめされてしまったのですが、それでも顔を上げ、涙を拭いて、笑顔を取り戻し、黙々と奉仕活動に携わっています。2人の息子たちになお一層の愛情を注ぎつつ……。

何ら助けの手を伸べることの出来なかった私の思いは、C・S・ルイスのまさに次の言葉そのものでした。

「私は非常な苦しみを受けている人々の中に、魂の大いなる美しさを見た。
 ほとんどの人々が、日を経るにつれて大きく成長していく。
 落ちていくのではない。
 そして遂にその苦しみが最悪の条件の中から
 不屈の精神、愛と素直な心という宝を生み出すのを見た。」

彼女は賢人たちの以下の言葉を骨の髄まで深く理解し、今日も同じように寒さに震える方々へ温かい励ましの手を差し伸べています。

「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを知る。
 人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。」

             ホイットマン

「今日私が目にする最大の奇跡は、病める者の癒しではない。
  そうではなく、心に悩みを持ち、落胆し、取り乱し、挫折し
  そしてその挫折する一歩手前にある人々への助けである。」

             ハロルド・B・リー

頭で理解していても、同じように行動するのは私たち凡人には至難の業です。

でも差し伸べる温かい手をもっている人がこの世の中にいると知ることは大きな慰めと励みになります。


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2006年3月25日 (土)

名も知れぬスカウトの善行

Soratokumo02_1 とても心温まる記事を読みました。ボーイスカウト関係者の方々には知らない方はいない話かも知れませんが、とても新鮮な感動を与えてくれました。

1909年の秋のこと。イギリスの首都ロンドンは、例のごとく一日中濃い霧に包まれていました。

アメリカのイリノイ州シカゴからロンドンに来た出版業のウィリアム・ボイス氏は、市の中心部で、ある事務所をさがしていましたが、道がわからなくて困りはてていました。

そのとき霧の中からひとりの少年が近づいてきて、「何かお役にたつことがありますか。」と言いました。

事務所がわからなくてこまっていることがわかると、少年は先にたって、その事務所までボイス氏を案内しました。

ボイス氏は、アメリカ人の習慣で、少年にチップを上げようとポケットに手を入れました。しかしボイス氏がチップをとり出す前に、少年は勢いよく右手をあげて敬礼しました。

「ぼくはボーイスカウトです。今日も何かよいことをするつもりでいました。お役にたててうれしいと思います。スカウトは、他の人を助けることでお礼はもらいません。」と少年は言いました。

少年からボーイスカウトのことを聞いたボイス氏は、用事をすませてから、少年に、ボーイスカウトの本部へ案内してもらいました。ボイス氏が少年の名前を聞く前に、少年はもう姿を消していました。

イギリスの本部でボーイスカウトのことをくわしく調べたボイス氏は、アメリカへ帰って大統領のタフト氏などに話し、やがて、アメリカでボーイスカウト運動が始められたのです。

そのときの少年がだれだったのか、その後もだれもわかりませんでした。

しかし名前もわからないこの少年の小さな善行が、アメリカのたくさんの少年に、ボーイスカウトを伝えるもとになったのです。

自分にも出来るとても小さくて簡単なこと、それが将来の世の中を変える力になるかも知れないと思うと希望が湧いてきます。


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2006年3月18日 (土)

イチャリバチョーデー、ヌーフィダティヌアガ

先日、沖縄の「黄金言葉」(クガニクトゥバ)について少し記しました。

「黄金言葉」とはすなわち、人の道を指し示し、良き事柄へと人を誘う、沖縄の先人たちの深い洞察と知恵に基づいて語られた数々の格言です。

そのひとつに次のようなものがあります。

イチャリバチョーデー ヌーフィダティヌアガ
「行逢ば 兄弟、何 隔てぃぬ あが」

(行き逢えば兄弟、何の隔てがあろうか。)

たとえ見ず知らずの人であったとしても、縁あって知り合い親しくなれば、兄弟のようなもの。そこには何の隔てもありませんという意味です。

この世の中、社会というものはみんなが助け合ってこそ成り立つものであり、みんなが仲良くなっていかなければやっていけません。

ですから、出逢いがあったら、その人を自分の兄弟のように受け入れて大切につき合いなさいという教えです。

なかなか言うは易く行うは難しですが、
暖かい気候の沖縄でのんびり育ち暮らしてきた多くの先輩たちは、
その教えを自然体で行いに移しています。

初めての人にも心ゆるすために、だまされる人も多いのですが……。

でも、世知辛いこのご時世であるからこそ、自分の子供たちや将来の孫たちに伝えていきたい教えでもあります。

このような「黄金言葉」に接するたびに、ある方が語ったように私も次のように思います。

 「先人・先輩の珠玉の黄金言葉
  すなわち 知恵に満ちた真理の種が

  私の心に静かに蒔かれるとき

  私の心が
 
  固い道ばたの土でないように

  また ごつごつした石のために
  根が伸びずに枯れてしまうことのないように

  はたまた いばらの地で
  この世のわずらいのために
  実のならないまま
  枯れてしまうことのないように

  そうではなく 深く耕された肥えた土で
  また 誠実な生活がおくれるところであるように……」

沖縄の「黄金言葉」、日本中どこの地域にもある知恵に満ちた格言と同じように
本当にすばらしいと思います。

スカイクエストコムの著名人のセミナーも、このような知恵ある教え-「黄金言葉」で満ちています。本当にすばらしいですよ。

「黄金言葉」、また紹介します。


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2006年3月 6日 (月)

「あしながおばさん」

先日の沖縄タイムス夕刊に、半世紀もの間名前を告げずに、困った人への現金を手紙を添えて長崎の警察へ送り続けた三人の女性についての記事が載りました。

1956年3月のある日、突然現金三百円入りの匿名の封書が届けられました。それ以来、送り主の分からない小さな善意が毎年続けられました。報道によってその輪が全国に広がり基金までできたそうです。

その記事には「50年を迎えた今年、卒業させてもらいます」という最後の手紙が届けられたことを伝えていますが、それと同時に彼女たちの意志がその娘たちに受け継がれているというとても心温まる内容になっていました。

見返りを求めない小さな善意の活動は日本の至る所で行われていますが、50年にわたって続けてこられたというのは本当に並大抵のことではありません。

おそらく原爆を含む恐ろしい戦争を体験され、他人の苦しみが痛いほど解るその婦人たちは、その優しい心ゆえ、困っている隣人を見過ごしにすることができないのでしょう。

拝金主義が世を風靡し、それを象徴するような事件が多く報道されるなか、「あしながおばさん」の真心込めた善行に、とても温かな思いで満たされました。

 まくとぅ ちゅ  ちむ あたた  し         わし     うちゆくぃーてぃ
 「誠する人の 肝ぬ温かみ 染みてぃ忘ららん 浮き世越えて」(琉歌)

(誠を尽くす人の心の温かさは、心に染みこの浮き世を越えて決して忘れることはできません。)

 ※「琉歌」とは奄美・沖縄・宮古・八重山諸島に伝承される
    叙情的短詩形歌謡の総称。
   短歌形式の琉歌は、8・8・8・6の30音からなる定型短詩です。

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「与える者の子孫の幸福、天は忘れず」

私の名前は「吉隆(よしたか)」ですが、それは父母の尊敬する幕末から明治にかけて活躍した西郷隆盛の名前から付けられたようです。

幼少の頃「小吉(しょうきち)」と呼ばれていた隆盛の「小吉」の「吉」と「隆盛」の「隆」をとって「吉隆(よしたか)」と名付けられました。

西郷隆盛の人柄や生きざまには、彼の座右の銘である「敬天愛人」すなわち「天を敬い人を愛する」という精神が如実に表れていて、父母の尊敬の的となったのだと思います。

実際の私はだいぶ名前負けをしていて父母には申し訳ないのですが、でもこのようなすばらしい名前をいただいたことに心から感謝しております。

特に母は、「天を敬い人を愛する」というその精神が大好きです。
母は、生涯を通じて決して大きなことを行ってきたわけではありませんが、まさにそれを自然に行いに示し続けてきたという点で、私は心から母を誇りに思っています。

戦争の修羅場をくぐり抜け、戦後父と結婚してやっと幸せを手にした母でしたが、私たちが幼い頃、原因不明の病気で数年にわたって寝込みました。

何度か死の淵をさまよいながらも、子供を残しては決して死ねないとの思いが強く、多くの医師にさじを投げられながら奇跡的に回復していきました。病弱な体とうまくつきあいつつ、起き上がり、家事もこなせるようにまでなりました。

ただ、終戦後の物に乏しい時代、七人の子供を抱えて貧しい苦しい日々が続きました。子供たちに食べさせるのに必死でした。

そのような中、元気になった母の元には多くの貧しい、病気や悩みを抱える方々が相談に訪れるようになりました。
死の病のどん底から這い上がってきた母の励ましと彼らのための祈りには、それらの方々の心だけでなく病まで癒す本当に不思議な力がありました。

でも、母はそれらの貧しい方々から金品を受け取ることは決してしませんでした。むしろどんなに貧しくても、さらに貧しい方々に持てるものを分かち、彼らを空手(素手)で帰すことをしませんでした。私は、そんな母にずっと尊敬の念を抱き続けてきました。この特質は、戦争を経験した沖縄の多くのおじいちゃんやおばあちゃんに共通する特質でもあります。

母にはひとつの信念がありました。
それは、「貧しい方々や生活に困っている方々に助けの手を伸べるなら、天は必ずや自分の子や孫、子孫に心を留め、恵みを豊かに注いで下さる」というものです。

そして常々「恩を知ることと感謝には人を動かす力がある」と語っていました。
ほとんどの医師がさじを投げた母の病を、天が癒して下さったと母は確信しています。
そしてその感謝の心が、母の奉仕の大きな原動力となっていることがよく分かります。

私たち子や孫は、本当に恵まれた毎日を送っています。
そしてそれは、母のそのような信念と行い、そして子や孫の幸福を願う、心込めた祈りに依るものが大きいと感じています。
しかし、なかなか真似はできません。

四十数年を経た今でも、当時の方々あるいはそのお子さまに当たる方々が母を訪れ、野菜や果物などの差し入れを感謝の心と共に持ってやって来ます。

私たちは物質的な意味でなく、そのような方々の感謝の気持ちで私たち自身も励まされ、心が満たされるのです。

 「貧しきに 持てる多くを 分かち合う 子孫の幸福 天は忘れず」

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2006年3月 5日 (日)

「与える者は豊かになる」(ロバート・キヨサキ)

スカイクエストコムのメイン講演者のおひとりであり、日本でもベストセラーとなった「金持ち父さん、貧乏父さん」の著者でもあるロバート・キヨサキ氏は、その本の中で次のように語っています。

「金持ち父さんが教えてくれた事で、私がこれまでモットーとしてきたことの一つは、出し惜しみをしないこと、与える事だ。
この本で読んだ他の事はみな忘れたとしても、絶対忘れないで欲しい事が一つある。

それは、何かが足りないとか何かが必要だと感じた時には、まず、それを人に与える事だ。
そうすれば後になって、二倍にも三倍にもなって返ってくる。
この事はお金、ほほえみ、愛情、友情などいろいろな事に当てはまる。

私はこれまでずっと、お金が足りなくなったり、何か助けが必要になったりした時には、いつも自分が欲しいと思っているものをまず人にあげるようにしてきた。
そんなふうにして何かをあげると、必ずそれが戻ってきた。」

これは、自らの私心のない実践を通して得られたキヨサキ氏の確信であり、本当の意味で豊かさを得、幸せになるための大切な秘訣だと私も思います。とても感銘を受けました。

マザー・テレサをはじめ、自らのすべてを捧げて他の人々の幸福のために立ち働いた多くの方々は、確かに心豊かな満ち足りた人生を送っています。

ただ、私のような凡人には、キヨサキ氏が教えるいわゆる「黄金律」を日々の生活の中で実際の行いに移していくことは並大抵のことではありません。

自分自身の、他人への優しい気持ちがまだまだ十分でないことと、心の中に見栄のようなものがあって、「助けの手を伸ばすときには、きちんとしたしかも大きなものを与えなければならない」という気持ちがブレーキとなっているのかも知れません。

しかしながら、次のほほえましい物語により、私の考え方が変わりつつあります。人を幸せにする優しい行いは、決して大きなことではなく、自分にできる小さくて簡単なことから始められるとの示唆を与えてくれたとても温かな物語です。

「四歳になる一人のやさしい女の子が、ある日自分が知っている字を一生懸命一枚の紙に書き、その紙で持っているお金を全部包んでおばあちゃんの家へ出かけていきました。

そしてそのプレゼントをあげると、また急いで家に帰りました。それはクリスマスの朝でした。

それから数十年が過ぎておばあちゃんは亡くなりました。
そこで家族のみんなが集まって、形見の品を調べるためにおばあちゃんのトランクを開けてみました。

長い人生にもかかわらず、おばあちゃんの持ち物は少ししかありませんでした。
もちろん高価な物は一つもありません。

でも、トランクのそこに紙包みが一つ入っていました。

薄汚れたその紙の上に、子供っぽい字でこう書いてありました。
『おばあちゃん、だいすき』
開けてみると中に入っていたのは三枚の銅貨でした……。」

おばあちゃんにとって、それは大切な大切な宝物だったのです。

ある啓発の書にも「小さな、簡単なことによって大いなることが成し遂げられる」と記されています。

私も、肩の力を抜いて、もう少し心込めた小さなほほえみや「ありがとう」の言葉かけのような「小さくて、簡単なこと」から始めようかな~と思っています。

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