2007年11月14日 (水)

「46年ぶりの奇跡の再会-2」

tsutsuji1.jpg沖縄のあるFM放送を聞いたという友人からの感動物語「46年ぶりの奇跡の再会」の続きです。

母の姉との46年ぶりの奇跡の再会を果たし、その女の子と母はハワイから帰国しました。

ハワイでの夢のような日々から現実に戻る2人ですが、あの強烈な感動はしばらく2人を温かく包みました。

母を姉に逢わせることができた、少しでも親孝行の真似事ができたとの自己満足にも浸れました。

そんな中、親子の会話の中で「次は、お父さんだね」という言葉がポロリと出てしまいました。

自分で口にした言葉に、彼女自身が驚きました。

「これはどういうことだろう」しばらく自問自答し、そして考え込んでしまいました。

そして彼女は決意したのです。

「母を父に逢わせよう」と。

思い立ったらすぐに行動に移すのが彼女の信条!

何を考えたのか、急に英会話教室に通い出しました。

お父さん探しは、本気らしい。

学生時代、一番に苦手にしていたのが、英語だったのですが……。

英会話教室に通っているのは、母親には内緒だったと言います。

彼女はその教室の講師に、親父について相談しました。

彼曰わく「何か、手掛かりはありますか?」

「まったくありません」と答えたのですが、

しばらく考えて、「そうだ!」と膝を叩くと一目散に家に走り出しました。

持って来たのが、一通の手紙と親父の写真でした。

すり減った手紙の上書きは、とても読みづらいものでした。

アメリカでは、住所と同様な働きする番号があるらしいのですが、その番号にしてもかすれて一数字みえません。

コンピュータに、考えられるすべての数字を入力していくと、それらしき番号にぶつかりました。

検索の結果、父親と同姓同名のリストがズラリと表示されました。

これまた根気強く、一件一件当たっていきました。

その気の遠くなるような作業の末、英会話講師がついに父親を見つけたのです!

まさに、奇跡でした!

「マリア、分かった。はい、お父さんだよ」と電話を渡されました。

「ええ…………っ!! 何と言えばいいの?」

「ハローと言えばいいよ。」

話せるはずもない彼女は、ただオロオロするばかり。

見かねた講師は電話を代わり、事情を説明、ついに再会の約束を取り付けてくれたのです。

奇跡は続くものですね!

今回は二週間の休暇を会社から頂き、父を訪ねて三千里、アメリカへ。

英語が話せない彼女だけでは心許ないということで、今回英会話の講師が同行してくれることになりました。

今年7月、彼女は、先発隊ということで、母親を連れずに英会話講師と二人で渡米。

自分と母を捨てた父親に対する憎しみは彼女の中にはすでになく、親父に会う時に一番心配し悩んだのが、自分が行くことによって父の家庭にヒビを入れないかということだけでした。

しかしながら、それも老婆心。

感動の再会の後、新しい奥さんを「お母さん」と呼ぶようになりました。

母が2人出来て、本当に嬉しいというのです。

次回には、沖縄の母を連れて渡米する予定だそうです。

現実は、まさに小説よりも奇なりです。

私自身の中には、父親に対する割り切れないものがまだ残っていますが、それを克服した彼女の赦しの心のすばらしさには感銘を受けました。

母への愛と感謝に根ざした恩返しの一念が生んだ感動の再会物語でした。

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「46年ぶりの奇跡の再会-1」

okinawapic1.jpg沖縄のあるFM放送を聞いたという友人から、少しうわずった声で感動物語を聞きました。

主人公は、ひとりの女の子です。

彼女は、小学生の頃は、「クロ」と言うあだ名で呼ばれ、中学校に上がり、さらに転校した学校では「ナ‐ビヌスク‐」(鍋の底)と言われ、心傷つく悲しい思いをたびたび経験してきました。

というのも、父が黒人の米兵、母は沖縄の女性、二人の間に生まれたのが彼女だったのです。

単なる肌の色の違いが、彼女をかくも厳しい境遇へ追いやる大きな要因のひとつとなりました。

さらに、彼女が乳飲み子の頃に、父親は母親を置いて米国に帰ってしまったのです。

そこから、親子二人だけでの想像を絶するような苦しい生活が始まりました。

生活のための度重なる借金、そして血のにじむような苦労の連続でした。

でも、苦しい中にあっても彼女は温かい母の愛情に育まれ、素直で明るい子供に育ちました。

大人に成長した彼女は、誠実な努力の証として今ではマンションを手に入れ、高級車に乗るまでに成功しました

極貧から這い上がり、豊かな生活を手にした彼女は、これまでの母親の御恩に報いたいと考えるようになりました。

彼女の母親は、4人姉妹の末っ子。

2番目、3番目の姉たちは去る大戦で死去。

一番上の姉は、アメリカ人と結婚してハワイへ。

しばらくは連絡し合っていたものの、その後は全くの音信不通となっていました。

そこで彼女は、母にとってただ一人の身内である母の姉を探し当て、母に合わせたいと考えたのです。

もちろん、母の姉を探す当てなど全くありませんでした。

あれこれ考えた末ひらめいたのが、ハワイでかなり盛んな沖縄県人会です。

「これしかない!」と確信した彼女は、早速行動を起こしました。

当地ハワイの県人会の方々に連絡を取り、母の姉の消息捜査を依頼。

その後粘り強く手がかりを求めます。

しかしながら、なかなか手がかりは見つかりません。

半ばあきらめかけていたまさにその時に、懸命に捜索を続けてくれた県人会から消息が分かったとの連絡を受けたのです!

彼女は、早速会社から一週間の休暇をいただき、母を伴ってハワイへ急行。

そこで、なんと46年ぶりの奇跡の再会を果たしたのです!!

涙、涙、涙……、感動、感動、感動……。

そして、喜び、喜び、喜び……、感謝、感謝、感謝……の一週間でした。

母を思う娘の祈り、切なる願いを、天はしっかり受け止め叶えてくれました!

幼い頃傷ついた心は、天が決して自分たちを見捨てなかったとはっきりと知る、この奇跡の再会により癒されました。

母への感謝とご恩返しの一念が生んだ感動の再会物語でした。

ところが、この物語には後日譚があるのです……!

さらに感動の後日譚、次回をお楽しみに!

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2007年11月 8日 (木)

「黄色いハンカチ」

kiiroihana1.jpg

今日、「黄色いハンカチ」というアメリカで実際に起こった出来事に関する記事を読みました。

めっちゃくちゃ感動して久しぶりに泣きました。

家内に話したら、「とても有名な話よ。同じような話が確か高倉健が主演する山田洋次監督の映画にもなっていたはずよ。」とのこと。

知らなかったのは、どうやら私だけみたい……です。(^_^;)

でも、それはどうでもいいんです。

まだ、聞いたり、読んだり、観たりしたことのない方、是非お読み下さい!

ちょっと長いのですが、本当に泣けますよ!!

1957年春の週末のある日、シカゴの下町にあるバスターミナルからセントルイス経由で南部に向かう1台のグレイハウンド長距離バスが出発しました。

中には、イースター休暇を故郷ですごすために数人の学生たちが乗りこんでいました。

身軽な服装で、ギターなどをかかえて、楽しい旅行に今出発したところです。

バスは快スピードでイリノイ州の豊かな農業地帯を南下します。

ところで同じバスにひとりの初老の男が乗っていることに、若者たちはだいぶ前から気づいていました。

そうとう痛んだ灰色の服を着て、荷物といったら薄汚れたボストンバッグひとつ。

疲れ切ったその顔は、物思いに沈んでいるようでした。

やがてバスは、とある小さな町の郊外にあるレストランの前に停車しました。

30分の間休憩です。

その間に乗客たちは昼食を食べるためにみんな車をおりました。

しかし例の男はひとりバスの中に残っていました。

やがて時間がきてバスは再び走り出しました。

車中はまたにぎやかになりました。

そしてふたたび休憩地に着いて、みんなは冷たいものを飲み、ハンバーグなどを詰め込みました。

今度はその男も車を降りましたが、店のすみでコーヒーを一杯すすっただけでした。

学生たちは、この男のことが少し気になり出していました。

「あれでお腹がすかないのかなあ。」

「お金がないのかしら……。」

ひとりの女子学生が思い切って声をかけました。

「おじさんサンドイッチをひとついかがですか。」

男は微笑して、ひとつ取り、礼を言いましたが、あとはどんなにすすめても、それ以上は取ろうとしませんでした。

こんなことがきっかけで、この口の重い男は手短にぽつりぽつりと身上話を始めました。

彼は過去5年間刑務所にいました。

3日前に仮釈放されたばかりです。

実は、5年前に彼は刑務所から妻に手紙を書いたのです。

「おれのような男を待つ必要はない。よい機会があったら再婚しなさい。ただ子供たちだけは愛してやってほしい。今後文通も必要ない。」

バスの中はしーんと静まり返ってしまいました。

学生のひとりがたずねました。

「それなのに、あなたは今、その奥さんの所へ帰ろうというのですか。」

男はいらいらしたようにこう言いました。

「釈放と同時に、私は何年ぶりかで、もとの住所宛で女房に速達を出しました。今でもそこに住んでいるかどうかもわからないんですがね。私はこのバスの時間を知らせてこう書きました。『もし迎えてくれるなら、村はずれの樫の大木にハンカチを結びつけておいてくれ』と。もしハンカチがなければ、私はこのまま乗り過ごして行くつもりです。」

今やバスの乗客はひとり残らず、彼の運命の瞬間を、胸を押しつぶされる思いで待ちました。

もう雑談する者もいなくなり、バスのエンジン音だけが快調に響いているだけでした。

やがて男がぽつりと言いました。

「次の村です。教会の塔が見えはじめたら、右側にやがて樫の木があるはずです。」

乗客はみな右側の座席に移り、じっと外をながめました。

バスが小さなカーブを切ると、遠くに教会の尖塔が見えてきました。

「ああ、私は見ることができない……。」とその男はうめくように言いました。

「おじさん、目をつぶってらっしゃい。私たちが見ています。」

男は目をとじて、何か祈っているようでした。

2分の後、バスの乗客は見ました。

夕焼けに映える空を背景にそそり立つ樫の大木を……。

その枝という枝に、何十枚、いや何百枚もの黄色いハンカチが、まるで黄金の花を満開に咲かせたように'結びつけられて、春の夕風にゆれて輝いているのを……。

バスの中には歓声とすすり泣きの声がわきあがりました。

運転手は、高らかにクラクションを吹き鳴らして、その木の前にバスを臨時停車させました。

学生たちがギターの伴奏で歌う「ゴーイング・ホーム」の歌声の中を、その男は涙でくしゃくしゃになった顔をふり向けて、「皆さん、ありがとう」「皆さん、ありがとう」とくり返しながら、バスをおりていきました。


「家族の愛」と「赦し」が如何にすばらしいものであるか、骨の髄まで味わい、再確認しました……。


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2006年6月22日 (木)

家習る外習(ヤーナレールフカナレー)

umitosora30.jpg 沖縄の黄金言葉に「家習る外習(ヤーナレールフカナレー)」というのがあります。

直訳すると「家での習いが外での習い」すなわち家庭での行いや習慣は、外に出たときにあらわれるという意味です。

家庭においてきちんとしつけられた子供は、どこにあってもきちんとした行動が取れるようになり、周りに対する心遣いや配慮が自然にできるようになります。

特に礼儀作法は家庭で学び身につけるべきことであり、十分な配慮が欠けてしまうと、日常事だけにその家の教育程度を窺い知られてしまうことになりますよとの忠告が込められています。

親はよくよく子供をしつけ、子は親の忠告を良く心に留めて日頃から良い習慣を身につけましょうという家庭教育の大切さを説いた黄金言葉です。

6人の子供を抱える私にとっては、本当に大きなチャレンジです。

ところで、この「ヤーナレールフカナレー」に関するおもしろいエピソードを聞きました。

先日の父の日を前に、小学校の教師をしている私の姪がちょっとした失敗をしてしまった際のお話です。

彼女は、父の日に備えて子供たちに書かせたお父さんの似顔絵入りのお手紙を、金曜日に子供たちに持たせるのを忘れてしまったのです。

金曜日の晩、思い悩み色々考えてから、彼女は翌日の土曜日に生徒の家を一軒一軒廻り、お詫びも含めてそのお手紙を届けることにしました。

一人の女の子の家を訪問したときのことです。

「先生また失敗してしまったさ~。さゆりちゃんごめんね~。」

するとその子何のためらいもなくいわく、

「先生、こんなのしっぱいってはいわないよ~。また、しっぱいはせいこうのもとっていうでしょ。気にしない気にしない。先生みんなの家あまりよくわからないでしょ。私がいっしょにまわってあげるよ~。」

お母さんの許可をいただいて一緒に一軒一軒廻ることになったのですが、道々運転している姪のそばで書類を広げ、不慣れな姪にしっかり道を教えてあげたとのことです。

「先生、次は~~のお家でしょ。このちかく、あっ! あの角を右だと思うよ。」

おかげで、楽しくスムーズに全員の家を無事廻ることができました。

とても助かりまた感心した姪は、マクドナルドでその子にご馳走してあげたのですが、その際も、

「さゆりちゃん、もっと食べたいのな~い? たくさん注文してもいいよ。今日、先生本当に助かったから……」

するとその子いわく、

「先生、本当にいいの? じゃ~私はいいけど、お姉ちゃんに持っていってもいい? お姉ちゃんいつもはうるさいけど、なかなかやさしいから……。」

「もちろん、いいよ!」と姪。

姪が言うには、その子は、いつも明るく賢く前向きで、なおかつ周りの誰に対しても優しい心配りができる本当に頼りになる子だそうです。

父親や母親の愛情たっぷり込めた日頃の家庭での教育が、とてもしっかりとしたものであることがよく分かります。

「ヤーナレールフカナレー」まさにその通りです。

わが家も腕白坊主たち相手にもう少し真剣に取り組まなければなりません……(^_^;)

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2006年6月20日 (火)

父の日に寄せて-一人の父親は百人の教師に勝る

Kosumosu001以前紹介した父に関する記事を「父の日に寄せて」と題して琉球新報に投稿したところ採用していただき、父の日の6月18日の日曜日の朝刊の「論壇」に掲載されました。

日頃親父孝行がなかなか出来ない私にとって、父へのささやかなプレゼントになったと少し喜んでいます。

今日はその記事を以下に紹介します。サブタイトルは「一人の父親は百人の教師に勝る」です。

アメリカのある牧場経営者が、自分の小さな息子たちそれぞれに子牛を与え育てさせることにしました。

子供たちは大きな黄色い叫び声を上げ、本当に大喜びします。

自分自身の本物の牛を育てることができるのです。

子供たちは朝も早くから起き、一生懸命自分の牛の世話をします。

ところが、全く要領を得ません。

時々様子を窺っていた隣の友人が、ある日ついに見かねて父親に一言声をかけました。

「お宅のお子さんたちは全く要領を得てはいませんね。あれじゃーだめですよ。」

するとその父親いわく、

「私は牛を飼っているのではなく息子たちを育てているのですよ。ご心配なく。」

私はその父親の言葉にとても考えさせられました。

「お腹のすいた人に一匹の魚をあげれば、それを食べた後その人はまたお腹がすく。しかし、魚の取り方を教えれば、その人は一生自分で食べられるようになる。」

とはよく聞く名言です。

人を支援するに当たって、その人が真の自立へ向かって歩めるように助けることの大切さ―福祉の根本原則を説いたものです。

アメリカの偉大な指導者ジョセフ・スミスも次のように述べています。

「私は、人々に正しい原則を教え、人々に自らを治めさせる。」

本当にすばらしい教えだと感銘を受けました。

幼い頃、私の父は小さな畑を借りていて、一日の仕事を終えて後、毎日のように私たちを連れて畑仕事に精を出しました。

汗と泥にまみれ、疲れる雑草抜きや土興し等は、遊び盛りの私にとってとてもつらい仕事でした。

特に他の友人たちが、みんなで楽しそうに遊んでいる時の畑仕事は、最もつらい仕事と感じられました。

そんな中での唯一の楽しみは、畑を耕す中で出てくる古銭や戦争当時の機関銃・短銃の弾を集めること(危険な弾は後で父に没収されましたが…笑)と、収穫したトマト、キュウリ、トウモロコシ等を思いっきりほおばることくらいでした。

あれから30数年の月日が流れ、私も結婚し、6人の子供たちに恵まれました。

その子供たちがちょうど当時の私と同じ年齢になった今、父と同じことをしている自分に気づきます。

猫の額ほどの菜園で、子供たちと共に土に親しみ、野菜を育てつつ、勤勉、忍耐、責任、倹約の大切さ、生き物への慈しみや自然への感謝、そして共に家族が協力して働くことの尊さを教えているのです。

父は母と協力して、野菜を育てていたのではなく、私たちを育てていたのだと今分かります。

あのアメリカの牧場経営者のように……。

教職に就いていたわけではありませんが、父と母は、私にとって最高の教師でしたし、今も変わらぬ最高の教師です。

ジョージ・ハーバートソンの次の言葉は、私から父と母への心からの賛辞です。

「一人の父(母)親は、百人の教師に勝る。」

そこで一首。

「子や孫と 畑で野菜 育てつつ 人を育てる オジーは教師」

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2006年6月12日 (月)

世にも稀なる家族での家造り-頭領はオジー

Murasakihana001

母の父は、とても聡明で、心優しい穏やかな性格の人でした。

その上、手先が非常に器用で、あらゆる生活の道具を独自に考案し作り上げるという独創的なおじいちゃんです。

農具や漁具をはじめ生活の中の細々とした物まで自分で作りました。

圧巻だったのは脱穀機だそうです。

鉄板を櫛状に加工し、台に固定したシンプルな物でしたが、近所の多くの方々が輪番で借用するほどの優れものでした。


もう20年以上も前のことですが、ある日、そのおじいちゃんの血を引く母と、これまた手先の器用な「物作りの魔術師」と私が呼んでいた父が相談し、トタン屋根のわが家を建て替えることになりました。

そう言うと大抵は、建築業者が家を解体し、新たに建て直すことをイメージしますが、全くそうではありません。

建築費を押さえるために父が頭領で、家族みんなで建てるのです。

本当に恐ろしい計画です。

しかしながら、家族で家を建てるというのは、その数年前にすでに経験済みでした。

大変な計画ですが、誰も驚きません。

ただ、またかという感じでした。

それに先立つ数年前、父の会社の宿泊寮を解体し新たな建物を建てた時、父はその廃材をもらい受け、広い庭を潰して子供部屋を建ててしまいました。

その際、風呂場とトイレ・洗面所を鉄筋コンクリートで仕上げ、屋上には断水時の水を確保するためのコンクリートのタンクと物乾し場まで作りました。

それに接した木造の子供部屋を作る際は、骨組みの組み立てを職場の同僚たちが手伝ってくれましたが、基礎打ちや内装・外装はみな父を中心に家族総出でやりあげてしまったのです。

大変でしたが、自分の部屋を持てる子供たちは大喜びでした。


今度は、その母屋と子供部屋の壁をすべてブロック積みにし、母屋のトタン屋根をすべて新しく葺き替えると同時にふたつの建物をひとつにくっつけるという壮大な工事です。

それを家族だけでやるのです。

父は一旦やると言ったら、決して後に引きません。

昔からそうでした。

そして、世にも珍しい家族工事がまた始まったのです。

工事の間、子供7人の9人家族がアパートを借りることもできないので、その家に住みながら、部分的に建て直していきます。

まず母屋の柱を残して少しずつ壁を崩して基礎を打ち、そこにブロックで壁を作っていくのです。

周囲のブロック塀が完成した後、屋根とブロック塀とをくっつけます。

その後、屋根のトタンをすべてはがし、新たな骨組みを作って新しいトタンを張ります。

高所恐怖症の私にとっては、命がけの仕事でした。

ここまで終えるとあとは内装です。

仕事は、平日父が仕事から帰る5時過ぎから夜遅くまで、土曜日は午後すべて、休日は朝から晩まで一日中働きます。

時間は限られていますが、父の手際の良さと仕事の速さはプロ並みです。

約半年で母屋を仕上げ、さらに約半年かけて子供部屋を仕上げました。

仕上がりにみんなが驚き、そして満足しました。

色々ありましたが、家族の絆も深まりました。


父親のすごさに敬服し、改めて尊敬の念を深めた特別な経験でした。

不都合なことは、それぞれの部屋が正確な長方形ではなく、畳屋がそれに合わせて畳を作るのに少し難渋したことくらいです。(笑)


オジー頭領の決断と意志の固さ(頑固さ)、体力、精神力、知恵、大工技術・技能の高さすべてに脱帽です。

いくつになっても私はオジーを越えられそうにありません。

「藍は藍より出でて藍よりも薄し」です。

オジーの家族に対する「愛」に思いっきり負けているのかも知れません……。



  「住み慣れた トタン家壊し 新居建つ 家族みんなで 頭領はオジー」




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2006年6月11日 (日)

『タコ取り名人』元気オバー

Umitosora32 私の妻の伯母さんで八十歳半ばになりなんとする、聡明で元気な「タコ捕りオバー」がおります。

大宜味村大兼久の大自然の中で、元気一杯タコを捕りつつ、旅館の経営に手腕を振るっておりました。

村では若者も顔負けの「タコ取り名人」として名の知れていた本当に優しくバイタリティーとユーモアに溢れたな元気なオバーです。

海に潜れば決して空手では帰りませんでした。

名人の名人たる所以です。

現在ではもう引退し、旅館も閉めてしまっていますが、当時は、その人懐っこく面倒見の良い人柄ゆえに多くの泊まり客から慕われ、その触れ合いの中で元気パワーを増し加えておりました。

新鮮なタコを含む海の幸、山の幸をご馳走になり、温かくもてなされた泊まり客の中には、本土の旅行客も含めて今でもオバーを慕う方々が大勢います。

さて、前回の衆議院総選挙は、郵政法案否決、衆議院解散を受け、小泉首相が成立を強く求める郵政民営化法案の是非を国民に問うという形の選挙となり、多くの関心を集めたことは皆さまの記憶に新しいことと思います。

結果は、大方の予想に反して自民公明による与党が衆院の三分の二を超す議席を獲得して圧勝となりました。

その衆院選の投票が行われる前日、OTVでは有権者の総選挙に寄せる関心と政治への希望を生の声で伝える番組を企画し放送しました。

そのインタビューを受けたひとりが、なんとあの「タコ取り名人」の元気オバーだったのです。

リポーターの女性アナウンサーいわく

「おばあちゃん、明日はいよいよ衆議院の総選挙ですが、おばあちゃんは明日選挙に行かれますか。」

それに対してのオバーいわく

「選挙に行く~?
 選挙に行くんじゃなくて、投票に行くでしょ。
 間違えたらだめさ~。
 もちろんオバーは必ず行くよ~!
 選挙のたびに必ず投票に行ってるさ~。
 一回も行かなかったことはないよ~。
 オバーはいつも社大党。
 社大党は上等よ~!」

でした……。

リポーターは、オバーの元気に押されて絶句……でした。

沖縄のオバーたちは、若者に負けずまだまだ本当に元気です!


「OTV タコ捕りオバーに インタビュー
 オバーの元気 司会もたじたじ」



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2006年6月10日 (土)

野口英世の陰に母あり

Kogiku002現在小学校6年生の息子が、学校の先生から読書感想文を書いて提出しなさいとの宿題をいただきました。

作文が苦手な彼は、まずどんな本を読んだらいいのかも分からず、私のもとへ助けを乞いにやって来ました。

「何か読んでみたい本はないの。」

と私が聞くと、

「ないことはないのだけど、原稿用紙の3枚も4枚も感想文を書くというのは、あまり経験もなくて大変だという思いが先に来て、何を読んだらいいかも分からないよ。」

との返事です。

色々考えた末、野口英世に関するマンガ本と小学生低学年用の活字の大きな本を2冊彼に渡し、

「まずマンガ本を読んで内容をつかんだら、もうひとつの本を読んで、とにかく感動したところ全部に赤鉛筆で線を引きなさい。そしてなぜ感動したのか、その時どのように感じ、どうしようと思ったのかまとめてみなさい。」

とだけアドバイスしました。

彼は彼なりに考えて、以下のような文章を考えてきました。

英世を支えてくれる母や周りの人々の愛情とご恩と、それに応えて努力する英世の熱い情熱と行動力が、自分の感動と共になんとかまとめられていて悪くはないと思いました。

沖縄のオジーやオバーが持つよき特質に相通ずると思われるので、後述の2首の短歌と共に以下に紹介します。


  「野口英世ものがたりを読んで」

                大山小学校6年   安里まさと

ぼくは、野口英世ものがたりを読んで、感動したことがいくつかあります。

まずひとつ目は、清作と呼ばれていた英世のお母さんの、清作に対する本当に深い愛情です。

清作が2歳の時、もえるいろりにころげおちて、左手に大やけどをおい、木のこぶのようになってしましました。

お母さんはむねがひきさかれるような思いでした。

そして、畑仕事ができなくなる清作に、学問をさせようと、今までの2倍も3倍も働くことを決心しました。

たくさんの仕事のほかに、けわしい山道を、重い荷物を村から村へ運ぶ、男の人でもほねの折れるつらい仕事を、雪の日も雨の日も一生けん命がんばりました。

お母さんの清作に対する深い愛情に感動して、なみだが出そうになりました。


もうひとつ感動したことは、お母さんの深い愛情にこたえて、清作が一生けん命勉強したことです。

でも家が貧乏でランプの油も買えず、夜は本が読めません。

清作は、やどやのふろたきの手伝いをして、その火をたよりにして勉強しました。

本当に一生けん命勉強しました。

そして、3年生の時に1番になり、4年生では先生のいない時、代わりに教える「生長」にもなりました。

卒業試験の時、テストした小林先生もびっくりする位どんな質問にもすらすら答えました。

深い愛情は人を動かす力があると分かりました。


3つ目に感動したことは、小林先生が、清作の高等学校の授業料を出してくれたり、先生たちが清作の左手の手術のお金を出してくれたり、医者の渡部先生が、清作に病院のげんかんばんとして勉強させてくれたりしたことです。

またたくさんの人たちが清作が医者になれるように助けてくれました。

そして、周りの人たちの深い愛情は、医者になるという清作の目標をとげるのを助けてくれました。


最後は、英世を助けてくれた人々のご恩を決してわすれないで、医者として一生けん命人々を助けたことです。

生きたどくへびからしるをとって研究したり、自分が死ぬこともおそれないでアフリカに行って、黄熱病で苦しむ人たちを助けたりしたことです。

英世は次のように言っています。

「わたしの体がどうなろうが、たくさんの命を助けることができるのなら、それがわたしののぞみです。」

そして、英世は、自分の研究している黄熱病にかかってなくなったのです。

のちのかがく者の研究のためにとうとい実験台となってたおれたのです。

うけた愛情や恩をわすれず、命をかけて人々のために働いた英世は、本当に意志の強い人だと感じました。


野口英世のおはかには「野口英世は、人のために生き人のために死んだ」と書かれています。

ぼくも野口英世のように、助けてくれるまわりの人々の恩をいつもわすれないで、一生けん命勉強し、人々のお役に立つような人になりたいです。


野口英世の生きざまは、彼を助け支えてくれた多くの方々と、まさに母親が息子のために生き、息子のために生涯を捧げたそのことに対するご恩返しのように思われます。

オジーやオバーたちの生きざまにも、英世の母親に通じる深い愛情が感じられます。

子や孫のために一生懸命働くそのようなオジーやオバーの姿を、次の歌に込めました。

  「自転車に  山と積まれし  アルミ缶  坂道なんの  オバーが登る」

  「天秤棒  右に左に  大袋  足下軽く  オジーたくまし」


いかに貧しくとも、効率が悪く収入は少ない仕事でも、子や孫のために一生懸命、一途に働く沖縄(うちな~)のオジーやオバー、父(とうちゃん)母(かあちゃん)バンザーイ!と叫びたいです。

私が編詞・作曲して、以前紹介した「ただの父」は、そのようなオジーやオバー、父母への心からの賛辞です。


 「人のため 生きて世のため 命捨つ 野口英世の 陰に母あり」




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2006年6月 9日 (金)

親ぬ言葉や神ぬ言葉-父と母を敬う

Umitosora33

私の母校である県立普天間高校は、私が学生だった当時、国際親善の交換留学生プログラムに参加していて、米国オレゴン州のスプリングフィールド高校と姉妹校を提携していました。

毎年交互に交換留学生数名を送り友好を深めておりました。

私はその第1期の交換学生として、高校1年の春休み前から4月の中旬までの約1カ月半7人の先輩や同期生たちと共にオレゴン州へ行かせていただきました。

田舎者の私のこと、見るもの聞くものがすべて目新しく、本当に沢山のことを学びました。

何よりも自由闊達な雰囲気が校内に満ちあふれていて、学生たちの明るい笑顔や親しみを込めて私たちに接する姿、優しい目がとても印象に残りまた感銘を受けました。

高校3年生と共に数学の授業に出た時には、むしろ私たちの方が進んでいてやさしく感じられ、彼らに教える光景も見られました。

しかしながら不思議なことにそのような時でさえ、彼らの内には一様に変なプライドや自らを卑下するような態度が微塵も見られないのです。

彼らは、たとえ数学が不得意でも、野球は誰にも負けない、サッカー、トラック競技、レスリング、バスケットは誰にも負けない、という得意分野を基とした自らへの自信と誇りがあります。

自らを決して卑下せず、得意な分野になお一層磨きをかけることのよって将来の夢へ近づこうとする前向きな雰囲気がひとりひとりにしっかり根付いているのです。

とてもさわやかな印象を持ちました。

どのような状況でも、両親や家族、先生や友人から愛され期待されているとの強い安定感があるように感じられ、それが自らの価値を認識し自尊の心をしっかりと保つ大きな力になっているようにも思われました。

春休みに入ってからは、2週間ほどホストファミリーと共に乾燥地帯や雪の残る森林でキャンプをしました。

そこで生まれて初めて、本物のけん銃とライフルに触らせていただきました。

けん銃での空き缶打ちはとても楽しかったのですが、さすがにライフルの爆発音は半端ではありません。

弾丸発射の際の肩への衝撃が小柄の私にとってはものすごく大きく、情けないのですが1発で投げ出してしまいました。

前置きが長くなりましたが、そのライフルにまつわるとても興味深い話を聞きました。

以下に紹介します。

4人の若い青年たちが、鹿を狩るために車で山へキャンプに出かけることになりました。

4人は大の仲良しで、行動する時はいつも一緒です。

誰もが、翌日からのキャンプを本当に楽しみにしていました。

ところが彼らの中の一人の母親が、今回のキャンプに関し、なぜかとても大きな不安と胸騒ぎを感じて、息子に今回だけはキャンプへ行かないよう説得し始めたというのです。

その息子は、とてもがっかりし、でもなんとか母の気持ちが変わるよう、許可してくれるよう粘り強く多少のいらだちも含めて母に頼みました。

ところが母親の不安は募るばかりでその決意も固く、結局優しく理由を説明され、説得されたその青年は、母の勧告に渋々従うことにし、キャンプ行きを断念したそうです。

2日後3人の友人たちが青ざめて彼の元へ帰ってきました。

そして次のように報告したのです。

「君は今回のキャンプをキャンセルして本当に良かったよ。
 帰りしな、君がいつも座るシートの後ろには
 いつものようにライフルが立てかけられていたのだが、
 それが、どういう訳か暴発してしまったんだよ。
 君が座っていたはずのシートの背もたれを貫通し、
 フロントガラスに大きな穴を残して……。
 もしあの時君がそのシートに座っていたなら、
 今頃君はこの世にいないはずだよ……。」

その青年は絶句しました。

そして、しばらくしてわれに帰った後、母親への本当に深い感謝の念で満たされました。

沖縄の「島唄」の一節に次のようなくだりがあります。

「親ぬ言葉や 神ぬ言葉 忘んなよ」
(ウヤヌクトゥバヤ カミヌクトゥバ ワシンナヨ)

これは、「子供たちへの深い愛情を込めて語られる親の義しい教えや勧告は、神から下される勧告の言葉としてしっかりと心に留めて行い、決して忘れるようなことがあってはいけませんよ」という意味です。

聖書にも次のようにあります。

「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。」(出エジプト記20章12節)

沖縄のオジー・オバーたちは、自らが義にかなった生活をする限り、すべての父親母親は自らの子供たちのために、神(御天大主:ウティンウフシュ)より直接導きをいただき、子供たちに幸いと益をもたらす教えと勧告を与えることができると信じています。

そして義しい親を通して愛情を持って語られる教えや勧告は、すなわち神の教え、勧告であり、それに喜んで素直な心で従う時、神に守られこの地に長く幸せに暮らせると信じているのです。

父と母を敬い、その愛情を込めて語られる教えや勧告に従うことの大切さを改めて痛感しました。





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2006年6月 8日 (木)

満州で鍛えたオジーの片腕懸垂

Kibarengyo003 父は当時18歳だった昭和15年6月、満州開拓少年義勇団の一員として満州の北安省鉄驪へ赴きました。

訓練期間は3年。そこでは毎日朝から晩まで農業と軍事訓練に明け暮れます。

3年後の昭和18年、所属する三十中隊約300人の先遣隊として50人で黒河省遜克へ移動。

本隊到着までに宿舎等を建設して準備します。

訓練および実地の経験を経てその年の末、軍隊に徴兵されています。

近くの孫呉へ移動し、自動車部隊にてトラックの運転技術を習得。

その後再び黒河省遜克の開拓団へ戻りますが、とにかく厳しい自然環境の中での地獄のような訓練の明け暮れでした。

鉄の暴風が吹き荒れ、焦土と化した沖縄に戻ってきたのは、終戦の翌年昭和21年12月です。

とにかく、少年義勇団および軍隊で鍛え抜かれた父の身体は半端な強さではありませんでした。

愛する人々を守るために、またその愛する人々が住む祖国を守るために、喜んで死ぬ覚悟を持ち、どんな厳しい苦しい訓練も耐え抜きました。

清廉な心を持ち従軍していった若き青年たち皆がそうであったように、全身全魂を込めて鍛えた身体はまさにバットマン(古いかな…)、スパイダーマン並です。

片腕懸垂もお手のものでした。

ある日、おじいちゃん手作りの鉄パイプ物干し竿で、父の片腕懸垂を見た孫たちはまさに度肝を抜かれました。

「おじいちゃんのかたうでけんすい、まじですご~~~い!!」

「おじいちゃん、チョ~かっこいい!!」

それから後おじいちゃんは、孫たちにとってウルトラマン以上のスーパーヒーローです。

 「手作りの  竹馬一本 取り出して 片足ケンケン オジーの曲芸」

つい数年前まで毎日の畑仕事で鍛えた足腰の強さも健在で、この短歌にもあるように、竹馬の片足ケンケン曲芸も余裕でこなしました。

特に男の子にとっておじいちゃんは、何でもこなすあこがれの筋肉スーパーマンです。

私の4人息子の内上3人はビーチバレー、サッカー、そしてテニス部の選手ですが、時々上半身裸になり、誰の筋肉が一番隆々としているか筋肉比べをしています。

鶏ガラのような肉体が、若き頃のおじいちゃんに近づくのはあと20年先のようです。

 「満州で 鍛えた筋肉 隆々と 片腕懸垂 孫たち唖然」




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2006年6月 5日 (月)

芸術家オバーの籠作り

Umitosora34物のなかった時代、オジーやオバーたちはどのような物でも大切に使いました。

利用できる物は何でも再利用しました。

終戦直後などは、戦闘機の残骸からジュラルミンの金属板をはがし、鍋や皿などの食器に加工したり、鉄兜で鍋や急須を作ったり、空き缶で三線を作ったり等々……。

手先の器用なオジーやオバーたちは、身近な材料を用いて生活のための道具を何でも自分で作りました。

多くのオジーやオバーたちが、油の缶を加工して鍋を作り、米軍から失敬したエンジンオイルで天ぷらをこしらえ食べたとも聞いています。

今からしたら恐ろしい話ですが、本当にあった話です。

生きるために必死だったのです。

あれから60年、物が豊かになった今でも、オジーやオバーたちの物を大切にする節約・倹約・再利用の精神は生きています。

ある時地域の老人会で広告のチラシを用いた籠作りの講習会が持たれました。

器用、几帳面な特にオバーたちは、互いに楽しみながら熱を入れて取り組みました。

広告のチラシを細長く巻き込んで棒状にし、それを編みながら籠や壺、バッグなどの形に加工していくのです。

出来上がったら色の付いたニスを塗って完成です。

それがまた実に整った形、色合いの傑作品なのです。

私の母も凝っていて、たくさんの作品を生み出しました。

子や孫はその恩恵にたくさん浴しました。

小さな節約・倹約の精神がたくさんの芸術家を生み、互いの生活を豊かにしています。



  「折り込みの チラシ丸めて 籠作り オバーの芸術 年季百年」






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2006年6月 2日 (金)

物作りの魔術師-オジー師匠

Kumisukuchin01小学校低学年の頃、私たち少年にとって憧れのアイテムがありました。

それは上級生たちが持っている銀ピカの三徳ナイフです。

ナイフ、カマ、のこぎりの3種類の刃がついていて、山川に入って物を作り、遊ぶ際の必須アイテムです。

釣り用のうきや竹竿、竹鉄砲、竹馬、パチンコ、輪ゴム拳銃、ミニカー等々どんな道具、おもちゃでも作れます。

物のない時代、少年たちにとって喉から手が出るほど欲しい魔法のアイテムです。

でも当時の値段で25セント。

私たちのような小学1、2年生が簡単に手の届くような品物ではありませんでした。

すべての家庭が貧しかったあの時代、子供心にも両親にお願いすることもできません。

でも欲しいのです。

あらゆることを考え実行しました。

くず鉄を1キログラム集めて売れば1セント、いただいたバス賃を使わず5、6キロの道のりを歩いて2セント、隣の風呂屋の掃除を手伝って3セント、ミッキージュースを買うためのお小遣いを使わず1セント等々……。

25セント貯めるのに必死でした。

一番良かったのはくず鉄集めです。

わが家の1、2軒両隣は風呂屋さんで多くの廃材を薪として燃やしていました。

その廃材にはたくさんの鉄釘がついているのです。

オーナーのオジーやオバーに了承をいただいて古釘集めに大張り切りです。

他の方法より時間と労力がかかりますが、確実にお金が貯まります。

やっと25セントが貯まった時には、胸もはち切れんばかりの喜びです。

実際にナイフを購入して手に持った時には、本当に手が震えました。

その後、父に弟子入りして様々な指示を仰ぎながら、肌身離さず持ち歩いたそのナイフで様々な遊び道具を作りました。

父は本当に手先の器用な魔術師のような師匠でした。

どんな物でも工夫して作りました。

そしてその作り方を優しく教えてくれました。

幼かった私は、両手指に20数カ所もの切り傷跡を作りましたが、手先の器用さは増し加わりました。

手指の切り傷を見るたびに、父との懐かしい思い出の数々が温かく蘇ってきます。

貧しさゆえに得られた貴重な体験と喜び、そして温かな思い出です。

今ではオジーになった父が、最近孫たちのために下駄を作ってくれました。

年のせいか、あの頃の精彩は多少欠くものの、杉の香りがほのかに香るしっかりとした下駄です。

華緒も手作りです。

孫たちは本当に大喜びです。

どんなに走り回っても壊れることはありません。

「物作りの魔術師」健在という感じです。

オジーは、その孫たちの下駄の音とほのかに香る杉の香りに目を細め、本当にいい顔をしていました。


  「愛孫の  ひとりひとりに 下駄作り 香音楽しむ 笑顔のオジー」




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2006年5月28日 (日)

元満州開拓少年義勇兵オジーの底力

Umitosora26わが家には、二百坪ほどの畑があります。

北中城村の村道のすぐ側にあり、入手した時には村道より50センチメートルほど低い土地でした。

生い茂っていた木々をすべて切り倒し、根ごと掘り起こして小さな畑にしました。

その村道の舗装工事があった際、出てきた大量の土砂の一部をいただいて、道路側の50センチメートルの落差を埋めるべく畑に放り込みました。

ところがその土は野菜栽培には到底向かないやせ土です。

そこで父を筆頭に農地一等地化計画が実施に移されました。

なんと、ユンボを使うことなく、ショベルや鍬の手作業で、畑の土を再生させるというのです。

この無謀な発想にびっくりしました。

しかしながら、一度言い出したら後に引かないのが父の性分。

年老いた父だけで二百坪を耕させるわけにはいきません。

畑の一番下手に幅2メートル、深さ1メートル、長さ15メートルほどの溝を掘り、そこにトラック5、6台分のあの道路舗装工事から出た土砂を移し始めました。

溝が埋まると肥えた土を被せ、また別の溝を掘って例の土砂を移すわけです。

それを何回か繰り返して、すべてのやせ土を移した後、山のように盛り上がっている肥えて黒々とした土を、道路との落差50センチメートル部分を埋めるべく移動させます。これがまた半端ではない本当に大変な作業です。

しかしながら、父はほとんど休まず、黙々と働き続けます。

私たち若者の息が上がってもまだまだ黙々と穴を掘り、土を運び続けます。

最初は「オヤジはよくやるな~」の軽い驚きから次第に驚嘆に変わり、仕舞いには尊敬に変わっていきました。

二百坪の畑を1日で一等農地に変えたのです。

恐ろしいまでの働きぶりです。

翌日私はダウン、父はいつものように畑に出て、区画整理と種まきの準備です。

当時70歳を超え、大手術を終えてまだ間もないオジーのどこからそのような力が出てくるのかと本当に敬服しました。

元満州開拓少年義勇隊の一員であった父の恐ろしいほどの底力を思い知らされました。

大正生まれの断固実行の気概と勤勉さ、そして強靱な肉体と体力の前には全く歯が立ちません。

情けない当時30代、面目丸つぶれでした。

もう一度身体を鍛え直して出直しです。



「二百坪の 田んぼも畑も なんのその オジーの鍬で 一等農地」




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2006年5月26日 (金)

値引きおまけのかめえかめえオジー&オバー

Umitosora23

三男の息子は中学のテニス部に所属していて、部活が終わるといつものごとく、学校の近くのパーラーに寄ります。

そのパーラーを経営しているのは、とても仲のよいオジーとオバーですが、学生の間でかなりの人気があるようです。

なぜかというと、このオジーとオバーはとても優しくて、お腹をすかせながらもあまりお金のない学生に対しては、値段をまけてあげ、またすべての学生に分け隔てなく、多めに作った商品をおまけであげるというのです。

50円のコロッケが40円になったり30円になったり、また、多めに作ったオバー特製のサーターアンダギー(麦ナゲットの沖縄版みたいなもの)をみんなに一個ずつ振る舞ったりするのです。

商売戦略と言われればそれまでかもしれませんが、それだけでもなさそうです。

少ない小遣いで一ヶ月をやり繰りしなければならない息子たちにとっては、神さまのような存在です。

くりくり坊主頭の学生たちが、自分の孫のように見えるのでしょうか、あるいは戦争でなくした自分の息子、娘のように見えるのでしょうか、オジーとオバーは、典型的な「かめえかめえオジー」「かめえかめえオバー」です。

気になるのは、オジーとオバーの儲けです。

採算はとれているのでしょうか。

息子には、「オジーとオバーにも生活があるのだから、値切るんじゃないよ! もらうだけじゃなくて、お母さんの得意なジェローケーキでも一緒に作って、時折はお礼しに行きなさいよ!」と釘を刺し続けますが、オジーとオバーにとっては、子供たちの喜ぶ顔が彼らの元気の源なのかもしれません。

「子供はみんなで育てるもの」と太っ腹に構える「かめえかめえオジー&オバー」たち。

彼らの子供たちに対する温かな思いは、なんとも嬉しく、私たちにとっても大きな元気の源です。


「学生に 大もてパーラー 切り盛りす 値引きおまけの オジーとオバー」




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2006年5月24日 (水)

風薫る 初夏のやわ雨 すがすがと キュウリ伸びゆく 竿先越えて

Kyuri001 オジーやオバーは、子供たちや特に孫たちを連れて畑に入り、野菜や果物を収穫するのを本当に楽しみにしています。

何よりも収穫する際の子供や孫たちの喜ぶ顔が、また何とも言えない満ち足りた思いをオジーやオバーに与えてくれるのです。

トマトやナス、キュウリ、大根、オクラ、白菜にキャベツ、ほうれん草やからし菜をはじめグァバにアセローラ、バナナにパパイヤ等のおいしい実にいたるまで、収穫は本当に豊富。

オジーやオバーは、まさに篤農家です。

孫たちがおじいちゃんと共に菜園でキュウリに取り組んだ時のことです。

梅雨時のほどよい雨をぐんぐん吸収して、日毎に大きく成長していくキュウリの勢いのすごさに孫たちも感動しています。

2、3日おきに畑に来るたびに、また一雨毎に、キュウリの背丈はぐんぐん伸び、支柱を越える勢いです。

キュウリの実自体も勢いよく大きくなっています。

畑仕事を手伝う孫たちの成長と重なって、オジーやオバーも嬉しそうです。

子供や孫たちにとっても自然から多くのものを学ぶ本当にいい機会です。

ある方が、次のような含蓄のある言葉を紹介してくれました。

「花に囲まれて育った子供は、2人の母を持っているに等しい。」

まさにそのとおりだと思います。

花を愛し、慈しみ育てる中で、無条件の愛情で優しく包む母親のような温かさを感じながら、心癒され、心満たされ、心身共に健やかに過ごし成長できます。

この言葉を少しもじって次のように言えるかも知れません。

「野菜や果物を養い育て、それに囲まれて育った子供は、2人の父親を持っているに等しい。」

畑仕事は時として土や汗にまみれる決してやさしい仕事ではありません。

時として自然の厳しさを学ぶと共にそれに対処する気概や強さを学びます。

自然の恵みの豊かさやありがたさ、生き物への慈しみ、そして野菜の成長過程で様々に好奇心をそそられ、たくさんのことに気づき、学び、知恵や喜びを得ていきます。

自然はまさに偉大な教師であり、家族の絆を深める仲立ちとなり得る友であり、子らの成長を優しく促す温かな父や母のようなものです。




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2006年5月13日 (土)

黄金言葉-てぃんさぐの花

Housennka01 先日母から鳳仙花(ホウセンカ)の苗を一株いただきました。

畑で自然にはじけた種から芽を出し、大きく成長したものです。

以前にも少し紹介しましたが、鳳仙花のことを沖縄では「てぃんさぐ」と呼んでいます。

この「てぃんさぐ」の花にまつわるすてきな琉歌があります。

いわゆる人の道を指し示し、良き事柄へと人を誘う珠玉のような黄金言(クガニクトゥバ)、先人の深い洞察と知恵に基づいて語られた数々の格言を歌にしたものです。

  「てぃんさぐぬ花」

1.「てぃんさぐぬ花や 爪先に染みてぃ 親ぬ諭言や 肝に染みり♪」

  (ティンサグヌハナヤ チミサチニスミティ
   ウヤヌユシグトゥヤ チムニスミリ)

(意味)
鳳仙花の花びらを指先ですりつぶし、出てきた淡いピンクの汁を爪につけて染めると、その色は決して落ちることがありません。そのように、父親や母親の教えを決して消えることのないように心に染め、すなわち心に深く留めて、それを行いなさいという意味の歌です。

2.「天ぬ群り星や 読みば読まりしが 親ぬ諭言や 読みやならん♪」

  (ティンヌムリブシヤ ユミバユマリシガ
   ウヤヌユシグトゥヤ ユミヤナラン」

(意味)
天の群星は数えようと思えば数えることができるが、私たちの幸福を願い情愛を込めて語られる親の教えは数えることができない。

3.「夜走らす船や 北極星みあてぃ 我なちぇる親や 我どぅみあて♪」

  (ユルハラスフニヤ ニヌファブシミアティ
   ワンナチェルウヤヤ ワンドゥミアティ」

(意味)
夜航海する船は北極星を目当てに進みます。同じように私を産み育ててくれた親は私の成長と幸福を目当てとして努めてくれます。

本当にすばらしい黄金言葉だと思います。

私たちのことを本当に愛し大切に思ってくれている両親が、その子や孫たちの幸せを願って与える正しい教えや諭しを、真に心に留めて行い、その期待のままに幸せな人生を送ること、もしかしたらそれが物やお金に勝る最も大きな親孝行-ご恩返しかもしれません。

母からいただいた鳳仙花の苗を大切に育てながら、それを見るたびに上記のことを思い起こすよう努めたいと思います。

※「琉歌」とは奄美・沖縄・宮古・八重山諸島に伝承される
  叙情的短詩形歌謡の総称。
  短歌形式の琉歌は、8・8・8・6の30音からなる定型短詩です。





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2006年5月12日 (金)

オジー・オバーの祈り2

Haibisukasu03

妻の実家は、沖縄本島北部にある大宜味村大兼久の海岸のすぐそばにあります。

家の後方は美しい自然の残る小高い山に支えられ、季節の山菜や山あいを流れる小川で捕れる小魚やエビ、眼前の海で獲れるカニ、タコ、イカ、様々な魚など、都会ではお目にかかれない自然の幸を楽しむことができる本当にすばらしい所です。

心癒されるまさにふるさとです。

その実家を子供たちと訪れるたび、おじいちゃん、おばあちゃんは大歓迎です。

さっそく「かめえかめえ攻撃」の歓待を受けますが、おじいちゃんは、決まってまず仏壇の前にひざまづき、私たちのために次のように祈ります。

「タンメーヨウサイ、安里(アサトゥ)ヌ夫婦(ミートゥンダ)ガ ウマグァ ムルスルティ チャイビータンド~。
 事故ンケガンネーランヨークー 無事チチュルグゥトゥ 見守リクィミソーチ イッペーニヘーデービル。
 …家族、子孫ヌ幸(クァマガヌサチ) クヌ後(ヌチ)ン 心(ククル)ユリ ウニゲーサビラ。」

(ご先祖さま、安里の夫婦が、孫たちをみな引き連れてやって参りましたよ。
 事故もケガもなく、無事に着けるよう見守り下さり心より感謝申し上げます。
 …家族、子や孫たちが、この後も幸福に過ごせますよう心よりお願い申し上げます。)

おじいちゃんのこの感謝の祈りを同じようにひざまずいて耳にする度に、私たちや子供たちひとりひとりは、おじいちゃん・おばあちゃんの深い愛情を感じ、感謝の念で満たされました。

その仏壇のそばには、おじいちゃんの長男兄さんで、今は亡き神太郎おじいちゃんが残した家訓ともいうべき琉歌が掛けられてあります。

次のようにあります。

 「誠ある人ぬ 後やいちまでぃん 栄えゆくたみし 世々のかぎり」
  マクトゥアルチュヌ アトゥヤイチマディン サカエユクタミシ ユユヌカギリ

 (誠ある人は 後世いつまでも 世が続く限り栄えるものです。)

その家訓をいつも心に留めつつ、真心から祈るおじいちゃんやおばあちゃん。

いつも「必ずしも偉い人、立派な人にならなくてもいいですよ。ただ誠を尽くす良い人になりなさい」と諭す二人の祈りには、本当に大きな力があると感じています。

私たちが今得ているたくさんの恵みは、私たちを深く愛し、その幸福を祈り、手を差し伸べる人々によるものが大きいとも感じています。


「子や孫が 家に来るたび ひざまずき 仏壇の前 オジーの感謝」



※「琉歌」とは奄美・沖縄・宮古・八重山諸島に伝承される
  叙情的短詩形歌謡の総称。
  短歌形式の琉歌は、8・8・8・6の30音からなる定型短詩です。



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2006年5月11日 (木)

オジー・オバーの祈り

Umitosora20 以前にも紹介しましたが、私は、詩人須永博士さんの詩が大好きです。

須永さんの作品は、つらく悲しい立場にいる人の痛みを自らの痛みとして感じて励ます温かさと優しさに溢れています。

同時に良き事柄に向かって前向きに立ち向かっていく強さを教え、またそれを与えてくれます。

そんな須永さんの作品の中でも私は次の詩が大好きです。

    父ありて我が強さあり
    母ありて我が優しさあり
    父母の姿いつも忘れられず
    いつも我が人生の心の支えなり
            須永博士

沖縄のオジーやオバーに日々接する中で、あるいはよくよく観察する中で、須永さんには怒られるかもしれませんが、この詩を次のように書き換えてみました。

    オジーや父ありてわれらが強さあり
    オバーや母ありてわれらが優しさあり
    オジー・オバー、父母の姿いつも忘れられず
    いつもわれらが人生の心の支え
    われらが謙虚さと知恵の礎
    見えぬ大いなる力を信じ引き寄させる師なり

沖縄のオジーやオバーたちというのは、まさに祈りの民です。

自身のためにあるいは家族のため、すなわち子や孫、子孫の幸福を念じどのようなときでもどのようなことについてもトートーメー(仏壇)の前にひざまづいて、あるいは歩きながら、あるいは道ばたで腰を下ろしつつ心込めて熱心に祈ります。

沖縄は先祖崇拝の特殊な地というのが一般のとらえ方のようです。確かにそれは言えるかも知れません。

私たちのオジーやオバー・父母たちは先祖を敬い、その供養に努めるという点では他の地にはない熱の込め方があります。

ただ、母やオバーの話を聞き整理すると、単なる先祖崇拝とも違う興味深い事柄も浮かび上がってきます。

オジー・オバーたちは、人が亡くなると33年後にその人は「神」になると信じています。(イエス・キリストの33歳での復活と昇天を類推させます。)

亡くなった肉親や先祖が「神」になれるよう、またそれらの「神」が自らと家族を見守ってくれるよう熱心に供養し祈るのです。

単なる先祖崇拝と違うのは、その「神」にも大本の「神」がいます。

沖縄ではそれらを「三天の神(ミティンヌカミ)」と呼んでいるようです。

すなわち「御天大主(ウティンウフシュ)」「一味の守り神(イチミヌマモリガミ)」そして「風空気の神(カジクウキヌカミ)」の御三方です。それぞれ別々の人格(神格)を持つ独立した存在です。

キリスト教の神会の概念と以下のように本当によく似ています。

もちろん三位一体とは全く違いますが……。

「御天大主(ウティンウフシュ)」:

  全宇宙を統治する全能の神。天父。父なる神。

「一味の守り神(イチミヌマモリガミ)」:

  イエス・キリスト(全人類の救い主、贖い主)

「風空気の神(カジクウキヌカミ)」:

  聖霊(肉体を持たない霊の御方)

沖縄のオジー・オバーたちは直接、あるいは先祖に祈るときでも先祖を介して、父なる神すなわち「御天大主(ウティンウフシュ)」に祈っているのです。

一般のキリスト教徒からは、沖縄の先祖崇拝は「偶像礼拝」と一刀両断に伏されそうですが、いずれにしてもあのまさに地獄のような沖縄戦を経験し、家族すなわち子や孫の幸福、同胞の幸福を誰よりも強く強く望むオジー・オバーたちの純朴で切実な祈りには、私たちの理解をはるかに超えた大きな力があります。

深い愛情に根ざしたその心から発される祈りには、まさに「見えぬ大いなる力を信じ引き寄せ、奇跡を起こし、魂の癒しをもたらす力」があるのです。

オジー・オバーたちは、理屈抜きで文字通り「われらが謙虚さと知恵の礎、見えぬ大いなる力を信じ引き寄させる師」なのです。

オジー・オバーたちのこの祈りという「霊的な財産」を他の芸能・文化と同じように正しい形で私たち以降の世代にゆずり伝えていくことはとても価値あることだと思います。

もしかしたら、物質的な豊かさとは裏腹に、心の飢えをなかなか満たせない今の殺伐とした時代に最も必要な、真の幸福へ至る鍵のひとつかも知れません。

謙虚な心、深い愛情と感謝に根ざした心から発される祈りは、確かに奇跡と魂の癒しをもたらすからです。




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2006年5月 9日 (火)

危篤をはねのけたオバーパワー

Umitosora19 母方の祖母、ウサ~オバーが100歳の頃、足は若干不自由ではありましたが、頭ははっきりしていましたし、健康そのものでした。

サツマイモが大好きで、毎日一食は食膳にあげていました。

とても働き者で清潔好き、いつも身の回りを自分できれいに整え、いつ訪問してもさわやかな印象が残りました。

ウサ~オバーも先日のブログで紹介したように、御多分に洩れず「かめえかめえオバー」の典型のようなオバーでした。

子や孫が来ると決して空手で帰すようなことはしません。

手元に何もない時、私の母に食べかけのサツマイモを持たせたこともあったほどです。

とにかく心優しい元気なオバーでした。

そんなオバーも年には勝てず、風邪をこじらせてからはずっと入院続きでした。

いつでも見舞いに行けるようにと、私の実家の近くにある病院に移って来ていました。

そんな折、病状が急変し、病院の医師から私の母にウサ~オバー危篤の連絡が入りました。

その夜が峠で、明朝まではもたないだろうということでした。

家族を集めて最後のお別れをということと、亡くなった場合の衣装等を準備して欲しいとのことでした。

母方の親戚と私たち孫がほとんど全員集まりました。

ウサ~オバーは、とても穏やかな表情をしていて、さほど苦しむ様子はありません。

意識もほとんどないようで、眠っているかのようです。

私の母はいつものように、オバーの体をさすりながら、一生懸命祈っています。

干潮が早朝の四時頃。年配の方々は、その頃が山だろうと話をしています。

ところが、すべての家族がお別れを告げた後、朝の四時を過ぎても、オバーの体はもっています。

潮止まりが終わり、そろそろ潮が満ち始める頃、なんとオバーは急に薄目を開け、おもむろに「ワンネーヤーサンドー。ヌーガラカマシェー」(私はお腹がすきました。何か食べさせて下さい。)と言うではありませんか。

医師から看護師、私たち全員が驚き、目が点になりました。

急いでおかゆを食べさせ、点滴を追加し、適切な処置が施されました。

なんとその時を境に、オバーはみるみる元気になっていったのです。

本当に不思議な奇跡としか言いようがありません。

その後、オバーは一時期自宅療養できるまでに回復し、子や孫と親しい語らいの時を持ちました。

もちろん大好きなサツマイモも食べながら……。

そして3年後、安らかに103歳の天寿を全うしたのです。

オバーの本当にすごい「生きるバイタリティー」に心から敬服しました。

グソー(霊界)で、最愛の夫である徳唐オジーに再会した時、ウサ~オバーはオジーを抱きしめながら次のように言ったかもしれません。

「大好きなオジーに早く会いたかったけど、だ~、おかゆとサツマイモに少し未練があって3年も遅くなったさ~。オジー、寂しくさせてごめんネ~。(笑)」

「オバー危篤 医師の知らせに みな揃う 未明に目覚め ワンネーヤーサン(私はお腹すいたよ)」




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2006年5月 5日 (金)

かめえかめえオバー

Umitosora17103歳で亡くなった私の母方の祖母には、彼女の家を訪問するたびに私たちへ発する口癖がありました。

それは、「かめえかめえ。うりんありん、むるかめえ」です。

それは、「お食べなさい、お食べなさい。これもあれも、みなお食べなさい。」という意味です。

戦時中、筆舌に尽くしがたい艱難辛苦の限りを嘗め、苦悩と極限の飢えを経験したおばあちゃんたち。

平和で何の心配もなく食べられる今の幸せを骨身に染みて知る者が醸し出す優しさなのでしょうか。

沖縄のオバーたちは本当に食べ物の勧め上手です。

たとえ始めて会う人であったとしても、心からのおもてなしを欠かしません。

差し出すものは何であっても構わないのです。

お茶一杯、黒砂糖一個あるいはたとえふかし芋半分であっても……。

空手(素手)で帰してしまっては心苦しいと感じる思いやりの心に溢れています。

このような優しいオバーたちを、私たちは「かめえかめえオバー」と呼んでいます。

そしてそのようなオバーたちのもてなしを、私は「かめえかめえ攻撃」と呼んでいます。

父方、母方双方の実家に出かけおばあちゃんに会う時、いつでもその「かめえかめ攻撃」に見舞われました。

でもそれは、祖母に限ったことでもありませんでした。

小学生の頃、休日になると特に親しい友人たち数人を連れだって、家から三、四キロメートルほど離れた山の中に「探険」と称して入り、様々な楽しい時間を過ごしました。

季節の山菜や野いちご、山ブドウを収穫しては舌鼓を打ち、小川で泳ぎ、エビや小魚を捕まえたりしました。

時には、上流の農業用ダム兼養殖場から、大雨で増水した際に流されてきた色とりどりの鯉を捕まえては、家の庭にこしらえた池に放ったりもしました。

そんな「探険」の時には、貧しかった私たちは、もちろん水筒も一セントのお金も持参しません。

長時間にわたって遊びのどが渇くと、近くのオジーやオバーが住む民家に飛び込んでいきます。

きちんとごあいさつをし、のどが渇いて水をいただきたい旨を丁寧に説明し、お辞儀してお願いします。

すると、満面笑みを浮かべたオジーやオバーは、私たちを玄関先に招き入れ、お水や黒砂糖一個ずつを下さりました。

当時の水道事情のまだまだ良くない沖縄の民家には、雨樋を伝った水を溜める直径一メートル、高さ二メートルほどのコンクリート造りのタンクが一つか二つほどありました。

その中には大抵水浄化用の炭が入っていて、各家庭ではそのタンクの水を沸騰させてから飲料用に置いておきます。

その水がとても甘いのです。

遊び疲れた体には、その水と黒砂糖は疲労回復の格別な妙薬です。

戦争で失った自らの子供たちを思い出すのでしょうか、どのオジーやオバーも、腕白な私たちひとりひとりに優しく接し、温かくもてなしてくれました。

あの優しさと甘い水、甘い黒砂糖の味は、三十数年を経た今でも決して忘れません。

「かめえかめえ  うりんありん  むるかめえ 勧めるオバー  ビタミンI(愛)いっぱい」




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2006年4月28日 (金)

母の黄金言葉(クガニクトゥバ)

Akaihana05 あまりにも多くを失い、生きていくのさえ精一杯だった沖縄の終戦直後の厳しい時代、子育てで大変だった母を支えた珠玉の黄金言葉がありました。

母の結婚そして子育てを温かく応援してくれた近所に住むオジーたちからプレゼントしていただいたという3首の琉歌です。

昨晩実家を訪問した私に懐かしそうに紹介してくれました。

どんなに苦しい中にあっても、親子の情愛と周りの方々との温かい情を持った交わりの大切さを諭すすばらしい歌です。

(1)産し育てぃ召しょち 御恩いちまでぃん
   肝染みてぃ我身や 行かゆ御母

  (ナシスダティミショチ グウンイチマディン
   チムスミティワンミヤ イカユアンマー)

 意味:産み育てて下さった御恩はいつまでも心に染めて
    お母さん、私は嫁いでいきます。

(2)行く先や童 黄金倉建てぃてぃ
   福禄と共に 育ち給れ

  (イクサチヤワラビ クガニグラタティティ
   フクルクトゥトゥムニ スダチタボレ)

 意味:嫁ぎ先にて わが娘よ 黄金の倉を建て
    幸福の中に 健やかに育ち日々を過ごしておくれ。

(3)倉に積み余る 宝ゆい勝てぃ
   情尽しや 人間ぬ要

  (クニチミアマル タカラユイマサティ
   ナサキチクシヤ ヒトゥヌカナミ)

 意味:ただ、倉に積み余る 宝よりも勝って
    誠と情けを尽くすことが
    人として最も大切なことですよ。




普段はステテコ姿のどこにでもいるようなオジーたちが、時代がどのように変わろうとも、変わることなく多くの人々に共感され感化を与える金言を、何気ない生活の中でとても自然に出せるというそのことに本当に感銘を受けました。

それはオジーたちの心の深さそして温かさのなせる業なのでしょう。

母が、それらが記されている古く破れかけた紙を宝物のように大切に持っている理由がよく分かります。

母はそのような方々に囲まれて本当に幸せでした。


私は「黄金言葉」が大好きです。

それは単にそれらの言葉がすばらしいということだけでなく、それらを発した人々の人柄や生きざまを垣間見ることができ、それに感銘を受けるからです。

※「琉歌」とは奄美・沖縄・宮古・八重山諸島に伝承される叙情的
     短詩形歌謡の総称。
     短歌形式の琉歌は、8・8・8・6 の30音からなる定型短詩です。



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2006年4月21日 (金)

母の祈り

Umitosora13 私の長女は今年高校2年生ですが、彼女が三歳の時、非常に重い病気にかかりました。

訪れた県立病院の専門医に診察していただいた結果、非常に深刻な進行状態であることが分かりました。 その後、自宅の近くにある国立病院の有名な小児専門医を紹介され、本格的な治療が始まりました。

ところが様々な薬物治療がなされますが、思うような成果がなかなか得られません。

当初からかなりの長期戦になることは覚悟していましたが、この種の病気の中でもかなり症状が重く、担当の医師も厳しい表情です。

ある日その担当医に夫婦で呼ばれまして、相談を持ちかけられました。

娘の症状は殊の外重く、現在の症状を抑え、抜本的な治療を施すためには入院が必要であること、その治療には副作用が伴い、完治は難しく、症状が大きく改善する確率も三分の一とのことでした。

もちろん命の危険もあります。

「どうしますか」との問いが投げかけられました。

「どうしますか」と言われても、その治療法以外には他に打つ手はなく、そのままでは命の危険も伴います。

完治は困難、症状の大幅改善の確率三分の一と言われても、もうやるしかありません。

早速、入院の手続きが取られ、特殊な治療が始まりました。

これまでの人生の中で、これほど必死に祈った経験はありませんでした。

当時五歳になる上の息子と、一歳半の下の息子を連れて実家に預けるたび、母が私たち夫婦以上の切実さで朝な夕なに必死に祈っている姿を目にしました。

二人の息子も、そのおばあちゃんの祈る背中を毎日のように見つめました。

娘は、治療期間中かなりの副作用で苦しみました。

しかしながら治療は大きな効力を及ぼし、あの重い症状は徐々に引いていきました。

もちろんその後も長く治療と投薬は続きましたが、日常生活を全く問題なく送れるほどに回復しました。 担当の医師も奇跡が起こったと本当に喜んで下さいました。

普通の子供のように幼稚園に通い、そして普通の子供のように小学校へ上がりました。

私たち夫婦にとって、その平凡でごく普通のことが、本当に大きな幸せであると身に染みて感じ感謝しました。

娘が中学へ上がって間もなく、十年近く続いた治療・投薬は病気の完治と共になくなりました。

担当の医師もこれほどまでの回復は、症例が本当に少ないと手放しで喜んで下さいました。

まさに奇跡でした。

温かく支えて下さった担当の先生や病院のスタッフ、周りの方々へ心から感謝しました。

そして十年間ほとんど一日も欠かさず祈ってくれた母(おばあちゃん)には、どのように感謝しても感謝し切れません。

情愛を込めた祈りは奇跡を生むとは月並みな表現かもしれませんが、私たちにとっては本当に重い言葉です。

「子や孫の 幼心に 焼き付くは 祈るオバーの 小さな背中」




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2006年4月19日 (水)

父の禁煙

Akaihana03a20数年も前のことです。私が大学受験へ向けて必死に勉強していた浪人時代のある日、1日2箱のたばこを吸っていた父が、まさに突然きっぱりとそれを止めたのです。

家族一同はもうびっくり! もちろんみんな一様に大歓迎です。

「父ちゃん、たばこ吸い過ぎると身体によくないよ~。もう止めたら。」

日頃から父にそのようにしつこく禁煙を勧めていた私などは、内心

「俺の再三の禁煙攻勢がついに功を奏したぜ!」

と得意満々でした。

ところが、その私の高慢な高い鼻が完璧にへし折られたのは、それから何年もあと、私が結婚して、最初の息子が生まれた時でした。

父親になった私に、母が懐かしそうにこう話したのです。

「吉隆、あなたが浪人の頃、父ちゃんたばこ止めたでしょ。なぜだったかわかる?」

「そりゃあ、父ちゃんの健康を考えて、みんなが執拗に禁煙勧めたからでしょ。」

すると母は優しく曰く、

「もちろんそれもあるし、父ちゃん自身の健康のためでもあるけれど、一番の理由は、あなたが大学に受かるように願をかけて苦しいニコチン中毒をものともしないで止めたのよ……。
あなたもこれから一児の父親、父ちゃんのあなたに対する愛情をいつも心に留めながら、子育て頑張ってね。もちろん無理はしない自然体で……ね。」

大ハンマーで頭を思いっきり殴られたような気がしました。

同時に、ニコチンの禁断症状で、いらだつ気持ちを抑えようと必死にあめ玉をしゃぶったり、ガムをかんだり、禁煙パイプのようなものをくわえて気を紛らわそうとする父の姿が思い出され、胸がとても熱くなりました。

やがてこぼれそうになる涙を母に悟られまいと本当に必死でした。

親というものは本当にありがたい存在です……。

それからの約20年間、今に至るまで、私は酒・たばことはきっぱりと縁を絶ちました。

父から受けたおそらく返すことの出来ない深い愛情と恩に、父のように自分の子供たちの幸福を願い努め励むことによって少しでも報いられるように……。




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2006年4月 8日 (土)

病床の 母に代わりて 姉二人 高校休み 交互に家事す

Pinkbara1わが家は、七人兄弟の九人家族でした。

終戦直後の物に乏しい時代、父や母は育ち盛りの子供たちを養うのに本当に必死でした。

そんな中母が原因不明の病気に倒れ、数年にわたって寝込んでしまいました。

どの医師もさじを投げるほどの病気で、母は何度も死の淵をさまよいました。

家事は当時高校生だった長姉と次姉が主に切り盛りすることになります。多感な年頃の二人にとっては、非常に大きな肩の荷だったに違いありません。

ある日、長姉が目を真っ赤に腫らして帰宅しました。

物心ついたばかりの私には、その理由など知るよしもありません。

後年その理由を知りました。そして私にとってさらに衝撃的な事実を最近知りました。

当時月末になると私は母がわが家の後隣に住んでいた親切なおばさんからお金を借りる姿をよく見かけました。しかしながら、その時はそれも叶わなかったのでしょう。姉は父や母の代わりに親戚の元へお金を借りに出かけたのです。

でも、どの家も貧しく苦しい時代、姉は母の期待に反してお金を借りられずに心を痛めながら帰宅したのです。目を真っ赤に腫らしながら……しかもその後度々です。

さらにその姉と次姉は、母が全く起き上がれなかった時期、一週間交代で高校を休んで母を看病し、なおかつ家事を切り盛りするために自分たちの時間を捧げました。

彼女たちは高校生活のほとんどを母や私たち弟や妹のために喜んで犠牲にしました。私が、姉たちの心の葛藤や痛みを全く知らずに、のどかに遊びほうけていたその時期にです……。

「私たちあんなに学校を休んでよく卒業できたよね。(笑)」

「だっからよ~。私の三年生の時の欠席数は、卒業には厳しいかなりの日数だったと思うんだけどね~。本当に無事卒業できて良かったさ~。(笑)」

明るく笑いながら話す二人の目は、本当に優しく輝いていました。

物心ついた頃から私にとって二人はとても優しい姉たちでした。

特に長姉から怒られた記憶はほとんどありません。身内が言うのも何ですが、本当に明るい弟妹思いの姉たちです。

武田鉄矢さんの「贈る言葉」の歌詞に次のようにあります。

「人は悲しみが多いほど 人には優しくできる…」

人はつらく悲しい経験が多いほど、他人の心の痛みを自分の心の痛みとして感じながら優しく手を差し伸べることができるというのは本当だと思います。

だからこそ、姉たちや戦争の地獄をくぐり抜けてきたオジーやオバーたちは、本当に優しいのです。

その姉たちもやがて六十歳。もう少しで、優しく魅力溢れるオジーやオバーたちの仲間入りです。

父や母と同じように姉たちにはどんなに感謝しても感謝し切れません。

そして、姉たちの家族を思うが故の思いやりの行いを、私は一生忘れません。


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2006年4月 2日 (日)

戦争を風化させないで!

Himeyurinotou1 第二次世界大戦末期、ひめゆり学徒隊に「解散命令」が出たちょうど同じ日の昭和二十年六月十八日、私の祖父母の徳唐オジーとウサ~オバーは、母を含めた四人の子供と孫を抱えて雨あられのように降る米軍の砲弾の中を必死に逃げ惑っていました。

激しい砲撃を避けて島尻郡眞壁村のとあるサトウキビ畑で身を潜めていた時、突然ヒュルヒュルヒュルと砲弾の風を切る音が聞こえてきました。

互いに逃げる間もなく、その砲弾は六人のすぐそばに着弾し爆発しました。午前十一頃のことでした。

飛来する砲弾の大きな音にびっくりした母は、とっさにウサ~オバーと妹の背中を押して地面に伏せましたが、徳唐オジーは驚いて身を起こしてしまい、その爆風に飛ばされて亡くなりました。

重傷を負った弟を背中に負い、母はみんなを安全な場所へ避難させました。

その途上、弟は蚊の泣くような声で母に懇願しました。

「姉さん、私はもうだめです。どうか私をここに置いて、お母さんたちを連れて逃げて下さい。私が一緒ならみんなやられます」。

母は断固とした口調で「馬鹿なことを言わないで。あなたをひとり残すようなことは絶対しません」と告げました。

その場を急いで離れ、崩れた民家のそばで難を逃れました。

午後五時頃、母が水を汲むために家族のそばを離れたその直後のことです。一発の砲弾が身を伏せていた四人のそばで炸裂し、弟と妹が亡くなりました。

ウサ~オバーは、背中や特に肩から右腕にかけて無数の小さな鉄破片が突き刺さり重傷。

姪は右頭部に傷を負いました。

水汲みから帰る途中だった母は、破壊された日本軍のトラックの下に潜り込み、かすり傷ひとつありませんでした。

母は重傷を負ったウサ~オバーの手を引き、頭部に傷を負った姪を背中に負ぶって必死に逃げ惑います。

二日後の六月二十日、救護班として軍と行動を共にしていた姪の母峯子が、家族を必死に捜す中砲弾に倒れました。

沖縄における組織的な戦闘の終結の日が、慰霊の日ともなっている六月二十三日。

せめてあと数日早ければ、このような痛ましい犠牲はなかったかもしれません。

戦後、ウサ~オバーは、長い間にわたって体に突き刺さった無数の鉄破片の痛みに悩まされました。

診てくれる医者もなかなかいません。そしてそのようなお金もありません。

母は、ひとつひとつの鉄破片を丁寧に抜こうとするのですが、うまくいきません。痛み苦しむオバーをなんとか助けられないか必死で考えていた母は、ある時思い立って、当時としては非常に高価な山羊汁をこしらえました。

そしてそれをウサ~オバーにたくさん食べさせたのです。

山羊汁は発散薬とも呼ばれ、出産直後の妊婦や体に切り傷等を持っている人には通常あげません。体に膿を持つようになるからです。

母はそれをあえてウサ~オバーに与えたわけです。

案の定、ウサ~オバーは、体中の鉄破片が突き刺さった箇所に無数の膿疱を持つようになりました。

その痛みと熱にウサ~オバーは本当に苦しみました。

ところが、被弾箇所が膿を持ち、水疱状に腫れることによって、それを潰すことで鉄破片が容易に取り出せるようになったのです。

そしてすべての膿疱を潰すという根気強い母の看護のおかげで、ほとんどの鉄破片を取り除くことができました。

母はこのような治療方法をどこで学んだのかよく分かりませんが、この治療を境に、オバーは日に日に元気になっていきました。

悲しい記憶の中の嬉しい母の知恵物語です。

「爆撃で 鉄の破片を 身に浴びた オバーを癒す 母の山羊汁」

文部科学省は29日、2007年度から使用される高校教科書の検定結果を公表しました。

全般的に戦争および沖縄戦の記述が減る傾向にあります。

罪なき者の尊い命を奪い、人を悲しみと苦しみのどん底に落とす戦争を、私たちはもう二度と繰り返してはなりません。

そしてそれを風化させてもいけません。


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2006年4月 1日 (土)

世界で最も美しい言葉-幼子の言葉

Akaihana03私は家内の助けも借りて、子供たちがそれぞれ生まれて成長する中で、最初にどのようなはっきりとした言葉を口にするか注意深く観察しました。

子供たちひとりひとりが、単語としてはっきり分かる最初に発した言葉は以下の通りです。

 1.長男:「おかあさん」   2.長女:「あんぱんまん」
 3.次男:「おかあさん」   4.三男:「おかあさん」
 5.四男:「おっぱい」     6.末娘:「はい」

「おとうさん」という言葉がないのがちょっと寂しいのですが、まあ毎日一緒にいるのはお母さんですから仕方ないことでしょう。

私は、子供たちが最初に発した言葉は「あんぱんまん」も含めてどれも大好きなのですが、それらの中でも、特に気に入っているのは、末娘の「はい」という言葉です。

末娘が1歳の誕生日を迎えた直後の頃、まだよちよち歩きの頃のことですが、私が彼女のダイパーを替えてあげた際、その時くるんだダイパーを「ちり箱の方へ持って行って捨てておいで」とお願いすると、その子が「はい」と大きなかわいい声で返事するやトコトコとちり箱へ向かって歩いていき、中に入れてまたトコトコと戻って来るのです。

その姿を見た時、親ばかな私の心に何とも言いがたいとても新鮮なものを感じました。

幼子の素直さや純真さに心洗われる思いでした。

世界で最も美しい言葉、それは「ありがとう」と思っていたのですが、最近考えが少しだけ変わってきました。

もちろん「ありがとう」がすばらしい言葉であることは全く異論がありません。私自身大好きな言葉です。

ただ、言葉というものは、私たちの感情や思い、考えが文字や音声によって表現されるもの、いわば私たち自身の象徴です。

「ありがとう」が美しい言葉なのは、それを発する人の心からの感謝、尊敬、愛情、信頼がその言葉に込められるからなのでしょう。

逆に言えば、そのような温かい心を持って発されるよい言葉はすべて美しいと言えるかも知れません。

幼子の言葉にはそのような意味での「美しさ」が具わっているのでしょう。そしてそれだからこそ人の心を洗い新鮮な感動をもたらすのだと思います。

「はい」「おかあさん」「あんぱんまん」「おっぱい」はすべて大好きないい言葉です。

世の中が幼子のような心で発せられる言葉で満ちたら、もっと住みよいすてきな世界になることでしょうね。


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2006年3月31日 (金)

心を洗う幼子の純真さ

Misakipark ある日、三人の孫を預かったオバーが、ひとりの乳飲み子をだっこしています。

三歳になるお姉ちゃんは、オバーを弟にとられたと思って自分もだっこしてくれるようにオバーにせがんでいます。

ところが、二人を同時に抱きかかえられないオバーは困ってしまいました。

その状況を見かねた五歳のお兄ちゃんが、だだをこねるその妹を顔を真っ赤にしながらだっこしてあげたのです。

妹は初めは不服そうにしていましたが、そのうちお兄ちゃんの首に腕を回し、ほっぺたをお兄ちゃんのほっぺたにくっつけて静かになりました。

見ていた私自身も心を本当に強く動かされました。

幼子が、親の求めに素直に従う純真さ、身内の気持ちを察して行動する純粋な優しさには、見る者の心を洗う大きな力があります。

その時オバーが感じた気持ちは、私が感じた気持ち以上のものだったに違いありません。

体の中のすべてが再新されるような、とても温かで、本当に誇らしい気持ちです。

そしてそれは確かに、オバーの身も心も若返らせるまさに長寿の薬なのだと思います。

「乳子も抱き 抱っこねだられ よわるオバー 面染め妹負う 吾孫誇らし」


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2006年3月29日 (水)

素晴らしい家庭12箇条

Soratoumi02 あるカレンダーに記されたすばらしいメッセージを見つけました。

すばらしい家庭を築くための12箇条です。次のようにあります。

   「素晴らしい家庭12箇条」

1.素晴らしい家庭には信仰がある。
  宗教的な心情から家庭は浄化される。
  宗教的な心情とは目に見えないものを大切にする心である。

2.素晴らしい家庭にはいたわりと尊敬と愛情が充ちあふれている。
  何故なら、愛情は魂の糧だからである。

3.素晴らしい家庭は家族がそろって健康である。
  心身共に健康な家にはいつでも笑いが絶えない。

4.素晴らしい家庭は夫婦が仲良く尊敬し合い、愛情の表現が豊かである。

5.素晴らしい家庭には必ず良い教えがある。
  良い教えとは、人のため世のために奉仕する精神である。

6.素晴らしい家庭には美しい言葉がある。
  美しい言葉とは美しい心の表現である。

7.素晴らしい家庭には若さがある。
  若さとは学ぶ姿勢である。
  だから素晴らしい家庭では家族が良く書物を読む。
  読書は若さと進歩の秘訣である。

8.素晴らしい家庭にはユーモアがあり、食事が楽しくおいしい。
  そしてほめ言葉があふれている。

9.素晴らしい家庭は常に美しく整理整頓、清掃されている。
  居は人の心を映すものである。

10.素晴らしい家庭には良いきまりがある。
  そのきまりを守ることによって家の秩序が保たれている。

11.素晴らしい家庭は腹を立てない。
  寛容の心がみなぎっている。
  感謝の心は最高の美である。

12.素晴らしい家庭には憩いがあり、家族みんなの話し合いの場がある。
  そして日々に進歩している。

   私たちの心は常に光に向かっている。
   その光を求めて多くの人々が集まってくる。
   それを繁栄といい、豊かさというのではないだろうか。

なかなかすばらしいメッセージです。
このメッセージに照らしたわが家の現在の状況は、百点満点の35点位でしょうか。

理想と現実はなかなか隔たりが出来てしまいます……。
でも、大丈夫です。

大切なのは、現在どの地点にいるかではなく、どの方向に向かって進んでいるかです。
そう信じています。

このメッセージが示す家庭を築けるよう努力し続ける限り、報いから漏れることはないと思っています。

マイペースで子供たちと一緒に精進していきます。


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2006年3月28日 (火)

わが家の儀式

Kiiroihana1_2 子供たちが幼い頃、わが家には毎日行う儀式がありました。

儀式というとちょっとオーバーですが、要は寝る前に私と家内で子供たちひとりひとりを抱きしめて、「お休みなさい」と声をかけながらほっぺたにキスをしてあげることです。

また、子供たちと共に実家を訪れ、帰るときには必ず子供たちが、おじいちゃんとおばあちゃんを抱きしめ、「ありがとうね~、おじいちゃん・おばあちゃん。バイバイ! また来るね~!」と声をかけながらほっぺたにキスをしてあげることです。

当時は子供たちの方から我先にやってきましたが、中学に上がる頃からは次第に逃げ回るようになり、今では小学3年の末娘と小学6年の4男坊だけになりました。

おじいちゃん・おばあちゃんの家でも抱きしめて、キスをするのはその二人だけで、あとは全員握手に変わりました。照れくさいのでしょうね。私にもよく分かります。

おじいちゃんが直腸ガンの手術で難渋していた頃、子供たちは毎日のように実家を訪れておじいちゃんを見舞い、帰るときには全員がおじいちゃんを抱きしめ、キスをして励ましました。

孫たちの励ましは、おばあちゃんのリンゴとニンジンの愛情・健康ジュースとともにおじいちゃんの回復に大いに寄与したと感じています。

先日このブログでも紹介したように、医者からは5年の命と宣告されていたおじいちゃんの回復は奇跡的なもので、あれからすでに16年、85歳まだまだ元気です。

幼子は天使だと思います。

純真無垢な彼らとの触れ合いから感じる何とも言えない喜びや幸福、彼らの純粋なまなざし、仕草、表情そして愛情は、オジーやオバーの魂の奥、骨の髄までしみこんで、身も心も健やかなものにしていくと信じています。

ある、おじいさんも次のように言いました。

「孫たちはぴっかぴかの新しい硬貨、私たち老人は古びて茶色になり、ところによってはサビのついた古い硬貨です。

でもそのふたつを重ねてこすり合わせると、古い硬貨は新しい硬貨に生まれ変わるのです。

私たち老人も、孫たちとの触れ合いの中で、心も体も若返って、健康で長生きできるのですよ……。」

まさにそのとおりだと思います。

沖縄のオジーやオバーが長寿なのは、もちろん温暖な気候やいにしえから伝わる沖縄独特の健康料理が大きな要因になっているのは否めません。

でも、私にはそれ以上に、多くの子や孫に囲まれ、その触れ合いの中で感じる満ち足りた幸福な思いが、百薬の長にはるかに勝る長寿の薬になっているのだと確信しています。

若者たち、一生懸命勉強して働いてモーキヤーになり(経済力をつけて)、オジーやオバーのためにたくさん子供を産みましょう!

オジーやオバーの長生きの力となるかわいい天使たちを「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」です。

「孫の笑み 百薬の長も 影かすむ オジーの笑顔 三十若し」


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2006年3月27日 (月)

右の頬 打たれば左 頬を出し 耐えて赦せよ オジーの教え

Okinawapic1_3 私の母方の祖父は新垣徳唐といい、沖縄県の中部中城村で父新垣徳眞と母カマの長男として生まれました。明治十二年二月のことです。

とても聡明で、心優しい穏やかな性格の上、手先が非常に器用で、あらゆる生活の道具を独自に考案し作り上げるという独創的なおじいちゃんでした。

二十四歳の時、呉屋カミと結婚し、その後四男一女に恵まれますが、悲しいことに三男を四カ月の頃に病気でなくし、続いて次男を二歳六カ月の時、長男を十五歳、四男を三十三歳の時に病気で亡くします。

なんと結婚後南米へ移民した一人娘の長女をも病気で失ってしまいます。

そして、さらには最愛の妻カミおばあちゃんも、四男の出産が原因で病気になり、徳唐おじいちゃんが二十八歳の時亡くなってしまいます。

まさに地獄の苦しみです。

でも徳唐おじいちゃんは、決して自暴自棄になることなく、誠実に働き子供たちを必死に養いました。

徳唐おじいちゃんが三十九歳の時、宮里ウサおばあちゃんと再婚します。私の母の母、すなわち私の実祖母です。

その後四男二女に恵まれました。その最初の女の子が私の母です。

過去の苦しみを忘れ、幸せをかみしめるひと時が訪れました。

徳唐おじいちゃんは、八男三女、十一人の子供に恵まれたことになります。

しかしながらその幸福な時もつかの間、やがてその幸せに満ちた笑い声も軍歌・軍靴の音にかき消されてしまいます。

沖縄を吹き荒れた戦争の惨禍、鉄の暴風により、さらに四人の子供たちと共に自らの命も失ってしまいました。

十一人の子供たちの中、実に六人の子供の死を看取らなければならない、本当に狂おしいまでに悲しくつらい人生です。

でも、そのような耐え難い悲しみに打ちのめされながらも、徳唐おじいちゃんが、常に私の母に諭し教えていた事柄の中に、次のような教えがあります。

「人は、右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出すようでなければなりませんよ。」

「これからの時代は、三本の指で生活ができるような時代になります。どのような状況でも、熱心に勉強しなさい。」

徳唐おじいちゃんは、クリスチャンではありませんでしたし、聖書を持っていたわけでもありません。

ただ、聖書の中で教えられているひとつの教えを自らの信念として、生活の中で実践していました。

六人の子供を失うという耐え難い試練に会いながらも、天を恨むでもなく、悲しみや苦しみに耐えつつ、自らの心を磨き、人を赦し愛することと熱心に学問に励むことの大切さを子供たちに教え諭しました。

徳唐おじいちゃんは、試練や苦難・悲しみが、決して人をつまずかせるものではなく、それを受け入れ、耐え、乗り越えるべく最善の努力をする人を精錬するものであることを自らの生きざまを通して教えてくれました。

そんな徳唐おじいちゃんを、私は心から尊敬し、誇りに思っています。

「右の頬  打たれば左 頬を出し 耐えて赦せよ オジーの教え」


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2006年3月26日 (日)

アメリカ発の黄金言葉(クガニクトゥバ)

Akaihana1_2 友人のひとりから、沖縄の黄金言葉(クガニクトゥバ)ならぬ、アメリカ発の黄金言葉を紹介して頂きました。

「大草原の小さな家」に出てきそうな、アメリカの古き良き時代の雰囲気を漂わせる本当にすばらしい3つのメッセージです。

ひとつは、エセル・G・レイノルズ婦人の夫に対する賛辞の言葉です。

「子供が病気になると、彼は苦しむわが子をやさしくみまもり、看病します。子供たちが泣いて求めるのは父親であり、病気の子供たちにとっては父親こそ万能薬なのです。傷に包帯をする父親の手、苦しむ者に勇気を与えるその腕、子供が過ちを犯したときにやさしくいさめる声、そのような父親に恵まれた子供たちは、父親を喜ばせることをするのが自分たちの喜びであることを知るようになるのです。」

愛する子供たちをやさしく、親の愛情を持って教え導き、諭すようにいつも心がけて子供に接するとき、親の望んでいることを行い、親の喜ぶことを行うことが子供たちの望み、喜びになります。このような家庭で育つ子供たちは、父親や母親の歩んだ(幸福の)道を歩むようになります。そのように教えています。

あとのふたつは以下の通りです。
                                                  
「父親としてあるいは母親として立派であることは、……高い地位に就くよりもはるかに大切なことである。家庭は決まりきった仕事に追われる、たいして意義のないところであるかのように思われることが時折ある。しかし、家庭を実りある場とすることは人生で最高の仕事である。」
                    ハワード・W・ハンター

「父親が息子に与えることのできるものの中で、母親を愛していると伝えることほど貴いものはありません。」
                    H・バーク・ピーターセン

私自身はそのいずれにおいても、落第父親・夫かも知れません。
でも、このようなメッセージに触れるとき、妙に心が安らぎ、郷愁に似た感動を覚えます。

日本の封建時代やアメリカの無法者がはびこるガンマン時代がいいとは決して言いませんが、上記3つは、徳や家族・家庭を大切にする、古き良き時代の真に幸せになるための本質を突く提言のように感じられ、なかなかいいと思います。

家庭・家族の崩壊を報じる記事が後を絶たない、世紀末すら感じさせるこのご時世、なにかしら心に温かいものを感じさせるすてきな黄金言葉です。

これはインターネット教育サービス配信会社スカイクエストコムがめざす理想的な家族像でもあります。


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2006年3月23日 (木)

漫画も捨てたもんじゃない…かな?

Akabana02_1 私は読書は好きですが、漫画はあまり読みませんでした。漫画に対する若干の偏見があったことも正直に認めます。

子供たちの教育上漫画は好ましくないことの方が多いと感じてきたからです。
目を覆いたくなるような暴力シーンや性描写など、多感な子供たちにとって好ましくないものが漫画の世界にも忍び寄っています。

戦争をはじめとする極端な方向へ人を駆り立てる思想は別として、いにしえから受け継がれてきた道徳観念は非常に大切であると思います。

しかしながら残念なことに、本来すばらしい美徳であるはずのそれらが、現在「古くさいもの」として脇へ追いやられつつあります。

漫画にしろどのようなメディアにしろそれを助長するものはいただけません。

次代を担う子供たちにとって、かれらを取り囲む環境は本当に厳しいと言わざるを得ません。

子供たちには、どうせ読むのなら世界の歴史や日本・沖縄の歴史を漫画で分かりやすく説明する本や偉人伝、童話、昔話など学ぶものが多い本を大いに読むよう勧めています。

ただ、最近私の漫画に対する偏見を大いに和らげた作品に出逢いました。
子供たちがどのような漫画を読んでいるのか確認しようとしていたときのことです。
心動かされる一コマに大いに感銘を受けました。
以下のフレーズをご賞味下さい。

「人の幸福とは家族の中にこそあるのです。

 家族を守ることが国を守ることにつながり、
 家族の絆を弱めてしまうということは、
 先祖への誉れや未来の子孫の幸福や祝福を
 損なってしまうことにつながるのです。

 それを忘れないで下さい。」

     (「スティール・ボール・ラン」
                      少年ジャンプより)

私は感動で、その本に釘付けになってしまいました。
そして、子供たちが持っている漫画をすべて読み尽くしました。

なかなかよい作品ばかりです。

作品の根底に、他人の幸せを願うという優しい心に支えられた作者の理想や理念、信念がしっかりと流れている作品には、本当にすばらしいものがあります。

もちろんすべては手放しでよいというわけでもなく
積極的に勧めているわけでもありませんが、
子供たちに漫画についてあまり小言を言わなくなりました。

少年ジャンプの「スティール・ボール・ラン」の中には、アメリカの偉大な教育者だったデビッド・O・マッケイの以下の名言に相通ずるのがあります。

「私たちに与えられた最も貴い財産は家族である。
 家族関係は何にも勝るものであり、
 この世にあって他のいかなる社会的結びつきよりも
 価値のあるものである。

 何といっても一番心を動かす力があるのは家庭であり、
 家庭こそ底知れない愛の源である。

 家庭は人間としての徳を学ぶ大切な場である。
 人間生活の中に見られる責任、喜び、悲しみ、
 ほほえみ、涙、希望、心配といった様々な経験を
 私たちは家庭生活の中で味わうことができるのである。

 ……愛のもとに一致した家族は、いかに貧しくとも、
 他のいかなる富にも増して神と将来の人類にとって
 大きな価値を持つのである。

 ……いかなる成功も家庭の失敗を償うことは出来ない。」

目の鱗を落としてくれた子供たちに感謝です。



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2006年3月21日 (火)

6人目のお子さん出産おめでとう!

Family1_1 gentanpapaさん、6人目のお子様の出産本当におめでとうございます。

他の5人の子供たちに囲まれて、新しいお子様の世話はなかなか大変だと思いますが、天よりの大切な授かりもの、子育て、お互いにマイペースで丹精込めて一生懸命精進しましょう!(「空と海」さんよりの受け売りです。)

子育てには難儀苦労が伴いますが、その分感動があり、生きる喜びを感じながら、親子共々成長できます。
やりがいのある、まさに一大事業です。

「白金も 黄金も 玉もなにせんに 勝れる宝 子にしかめやも」ですよね。

戦後の日本経済の復興はベビーブームによる消費の拡大とその後の労働力の増大が大きく寄与しました。
このまま少子化が進めば日本は衰退します。

そんな中での6人目の出産は、日本社会への大きな貢献です。
本当にそう思います。

わが家も同じように6人の腕白・おてんばな息子・娘がおりますが、その末っ子が生まれたのが9年前の平成9年8月。
一番上の息子が、小学校4年の時でした。

4人の腕白坊主たちの中、女の子はひとりだけというわが家に、もうひとりのお姫さまが加わった特別な日。
その息子は「いもうと」と題する詩を作りました。
妹の誕生が本当に嬉しかったのでしょう。
以下のようにつづっています。

わが家と同じ8人家族になったgentanpapaさんの家族への小さなプレゼントです。

  「いもうと」
       大山小学校4年3組
              安里 克己(よしや)

  8月1日、とってもうれしい日。
 だって、ぼくのいもうとの
  たんじょう日だから。
  これでぼくらは
  8人家族。

  「かわいい~!」
  「あ! わらってる!」
  と、おとうとたちの声
  うまれたばかりの
  いもうとを見ていると
  なんだか心が
  うきうきしてくる。
  家族みんなもうれしそう。

  いもうとの名前は愛恵(まなえ)ちゃん。
  たくさんの人々に愛され
  恵まれるようにと
  お父さんがつけてくれた。
  愛恵ちゃん 早く大きくなってね。

  いもうとはやっぱりいい。

お子様の健やかな成長と、ご家族のますますの繁栄を心から祈っております。
そして、心から応援しています。

お二人の幸せそうな笑顔を想像しつつ、稚拙ながら一首。

「愛吾子の  顔を覗いて ニンマリと 互いに目くばせ さらにニンマリ」
(まなあこ)


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2006年3月16日 (木)

老夫婦のほほえましい絆

私が幼い頃の実家の前には、美しい一本松のある泉の方向に向かって緩やかな長い坂がありました。

カトリック系教会のハイビスカスでできた垣根のそばを南に伸びる、緑に囲まれたとても風情のある坂でした。私たちにとって幼い頃のたくさんの思い出が詰まった本当に懐かしい、郷愁を感じさせる特別な坂道です。

ある暑い夏の日の午後の光景が目に浮かびます。

当時では珍しい白い半袖のワイシャツに棒ネクタイ、薄いグレーのズボンにシルクハットのような帽子をかぶったおじいちゃんとハワイのムームーにも似た沖縄独特の生地柄でできたワンピースの服に身を包み、沖縄ではカンプーと呼んでいますが、白髪を丸く結い上げたかわいいおばあちゃんが、二人とも杖をつきながら坂道をゆっくりと登っていきます。

アスファルトのまだ敷かれていないでこぼこ道は、夏の午後の日差しに真っ白に輝き、目も開けられないほどの照り返しです。

所々木々や特に枝を張ったリュウキュウマツの枝で涼しげな木陰も点在するその坂は、頂上手前で急に険しくなります。

そこにさしかかる頃、おじいちゃんはおもむろに右手の杖を左手に持ち替え、右手でおばあちゃんの左手を取り優しく引き始めました。

互いに手を取り、互いを気遣い合いながらゆっくり登っていく様子は本当にほほえましく、幼い私たちの心にとてもさわやかな印象を残しました。

大きくなって結婚して、どんなに年を取ってもあのおじいちゃんおばあちゃんのように仲のよい夫婦になれたらいいな、と思いました。

恵まれて今の妻と結婚する際、病気がちだった母にいつも温かい励ましを下さったすばらしいひとりの恩師から特別なメッセージをいただきました。

私たち夫婦がその絆を深めていくに当たっての一生の指針となる本当にすばらしいメッセージです。以下に記します。

  「幸福で堅固な家庭を築くために」

円満で幸福な家庭(家)を築くにはどういうような材料を使うべきか深く考えなければなりません。

まず最初に家庭(家)の土台です。
何よりも土台を最も強くしなければなりません。

土台を堅固なものにするためには、「天を敬い、人を愛する心」あるいは「正義を愛し、人々の幸福を願う心」という材料が必要です。

家を丈夫に支えるために柱が気になります。
四本の柱を強くするために次のような材料が必要です。

北の柱は「誠心誠意」の材料、
南の柱は「尊敬」、
東の柱は「忍耐」、
そして西の柱は「陽気」の材料で建てるように。

屋根はどうでしょうか。
屋根は家全体を雨、雪、風から守る重要な役割を果たすものです。

家を厳重にかぶせる屋根の材料は「ふたりの抱いている純情な愛」で造らなければなりません。

次は天井です。
天井は「理解」の材料でなければなりません。

夫婦の絆を強くするための材料がいつも「理解」であるように。

次は壁です。
高級な材料を使ってしっかりとした壁を造ってもらいたいと思います。

しっかりとした壁に囲まれていたらいつも安心感を感じて楽しい毎日を過ごせます。

北の壁は「思いやり」の材料で造るように。
南の壁は「寛容」の材料、
東の壁は「譲り合い」の材料、
そして西の壁は「有意義で楽しいコミュニケーション」の材料です。

最後に床です。
床は年中踏み歩いて使っているので特別な長持ちのする材料で造らなければなりません。

床を「信頼」の材料で造れば間違いはありません。
床の上をいくら踏み歩いても「信頼」の材料より丈夫で安全なものはありません。

以上です。

……ひとつ肝心な事を忘れていました。
これらすべての材料は無料です。すなわちお金は要らないのです。

天の豊かな祝福がお二人の上にありますよう心よりお祈りいたします。

現実と理想は大抵かけ離れるもので、私たち夫婦も御多分に洩れませんが、このメッセージを度々読んでは、理想に少しでも近づけるように努力する毎日です。

あの微笑ましいおじいちゃんとおばあちゃんの夫婦に近づけるように……。

「杖をつく オジーとオバーが 手を取りて 登りゆく坂 絆深むる」

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2006年3月15日 (水)

ホワイトデー大作戦

一昨晩、4人の息子たちとホワイトデー作戦会議を持ちました。

バレンタインデーに彼らに愛の手を差し伸べてくれた方々に、
感謝のお返しをするための計画会です。

「バレンタインデーにチョコレートをもらったとき、どんな気持ちがした?」
との私の質問に、子供たちの答えは、

「チョー嬉しかったぜ~! クラスの3人からもらったからね~。」と三男。
「お母さんやお姉ちゃん、それにサッチおばちゃんとおばあちゃんたちからだったから、
ん……ちょっと残念。……でも、まあうれしかった。」と四男。
「とても嬉しくて、ひとりで全部食べたら鼻血が出そうだった。」と長男。
「………………………。」と本命からもらえなかった次男。

悲喜こもごも、それぞれにドラマがあったようでした。

「お母さんやお姉ちゃん、おばさんやおばあちゃんたちからも含めて、プレゼントは本当に嬉しいよな~。
お父さんもとても嬉しかったさ~。そこで、みんなが感じたあの嬉しい気持ちを今後はみんなでお返ししたいと思うけど、みんなどうか? 何をプレゼントしたらいいと思う?」

という提案にみんな喧々ごうごう。

結局チョコレートだけでなく、健康にいい「ローズヒップ」と「ノニ」の健康茶も加えることになりました。

早速夜中からみんなでスーパーマーケットへ買い出しに…。
そして昨晩はプレゼント計画を実行!

「おばあちゃん『ありがとうね~。と~ってもうれしいから、プレゼントふところに入れておこうね~』って言ってチョ~喜んでいたぜ。」

「だっからよ~。みんな本当にうれしそうだったね~」

「お母さんも嬉しそうだったさ~。チューもしてくれたし……。

へへへっ…。」←私ではありません。息子です。

帰ってきたみんなの顔は輝いていました。

企業の商戦にまんまと乗せられましたが、
誰かが喜ぶささやかなプレゼント活動もいいものですね。


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2006年3月11日 (土)

ユーモア&ジョーク-オジーと孫の会話

ユダヤ人が生んだ偉大な科学者アインシュタインは、同時にすぐれたコメディアンでもあったそうです。彼は、いつもお客を笑わせては喜びました。

ユダヤ人にとって、学者であり同時にコメディアンであることはよくあることのようです。むしろ彼らの頭脳は、ジョークによって鍛えられたと言えるかもしれません。

彼らの間でジョークはしばしば「知性の砥石(といし)」と呼ばれています。ユダヤ人の子供は成長するにつれて、両親から様々な「なぞなぞ」やジョークを与えられ、家庭の中で知性を鍛えられていきます。

アインシュタインは次のように述べています。

「私にとって最大の学校はジョークであった。世間が信じているルールだけを鵜呑みにしてはならない。そのルールに縛られていては、そのルールを覆す新しいものも生み出すことはできないからだ。」

ジョークは彼にとって、感性を鋭く磨き、連想力・創造力を高めるだけでなく、また、他人とのよりよい関係を築き、人生を前向きに生きる力にもなりました。そのような意味で、ジョークやユーモアは、人生のビタミン剤かもしれません。

そう言えば、おもしろいエピソードがあります。

身体に腫瘍ができて、手術をしなければならなくなった私の父に、心配した幼い孫が質問します。それに、心配させまいと答えたオジーと孫の会話です。

  孫:「おじいちゃん、しゅじゅつ、だいじょうぶ?
     おじいちゃんのおなかのなかには、
     なにかわるいものがあるの?」

オジー:「いや~悪いものはないさ~。
     お医者さんは宝物があるって言ってたよ」

  孫:「たからもの?
     じゃーおじいちゃんおかねもちになるの?」

オジー:「そうよ~、宝物さ~。
     それを切って取り出したら
     お金持ちになるかもしれないってよ~。
     だから、何にも心配ないさ~」

  孫:「おじいちゃんのからだすごいね~。
     たからものもっているんだもん」

オジー:「そうよ~。おじいちゃんの身体、
     鍛えてあるからすごいよ~」

  孫:「びょういんのせんせいに、
     おおきいたからものきってって
     おねがいしたら? 
     そしたらおじいちゃん
     おおがねもちになるでしょ。」

オジー:「そうだね。そうお願いしておくさ~」

  孫:「おかねもちになったら、
     おこづかいすこしちょうだいね」

オジー:「ああいいよ。
     病院のお金払って余ったらあげるからね」

  孫:「しゅじゅつがうまくいくように
     いっしょうけんめいいのっているからね。
     おじいちゃんがんばってよ」

オジー:「あんたが祈ったら、
     おじいちゃんはもう大丈夫さ~。
     ありがとうね~」

オジーのユーモアもすごいけれど、天然の孫は、その一段上をいっているかもしれません。

医師も心配した父の手術は無事成功し、医師の予想に反して父は驚くほどの回復を見せました。そして、手術後間もなく退院しました。今でも本当に元気です。

オジーやオバーたちの笑顔のしわは、周りの人々の心配(沖縄の方言で、心配=シワ)をユーモアやウィットで取り去るごとに増えていくのではないかと最近思っています。

笑顔のしわの数は、周りの人々に幸せを与えた数に比例しているのかも知れません。

  「ユーモアで 逆境乗り切る しわオジー
   ナンクルナイサ シワーサンドー」
  (なんとかなるさ~ 心配しないよ~)


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2006年3月10日 (金)

母のリンゴ・ニンジン・愛情ジュース

平成2年11月、父は直腸にできた腫瘍を取り除くための手術を受けることになりました。

結局人工肛門を作らなければならないというとても厳しい手術です。それだけ症状が重いということです。医師は、たとえ手術が成功しても5年はもたないと話していました。

でも母はその医師の言葉を受け入れませんでした。毎朝毎晩トートメー(仏壇)の前にひざまずき手を合わせて必死に祈りました。

そして、手術の前も手術の後も、毎日のように新鮮なリンゴとニンジンをジューサーで絞り、それを両手でくるんで、父の健康を高める薬となれと言わんばかりに、強い願いを込めて祈りました。

野菜嫌いな父も、母の強い意志に負けて飲まざるを得ませんでした。

手術前、握り拳ほどあった腫瘍は、手術で切除された際、とても小さくなっていることが確認されました。これにはさすがの医師も驚いておりました。もちろん私たちもびっくりです。

手術後の経過もすこぶる順調で、父はまもなく退院しました。そして母のリンゴ・ニンジン・愛情ジュースはその後も毎日続きました。

人工肛門は、しばらくの間日常生活の中で幾ばくかのストレスを生み、父もそれを克服するのに難渋しました。しかしながら、今は全く元気です。

その後畑仕事も元気にこなせるほどに回復したのです。医師は当初5年はもたないと言っていました。でもあれからすでに15年。途中心臓のペースメーカーを埋め込む手術も行いましたが、それでも元気です。

ビタミンI(愛)?たっぷりの健康ジュースと祈りには、病気を沈める強力な力があると確信しております。

ビタミンI(愛)?と祈りの成分を抽出して、薬として製品化できたらノーベル賞もの、億万長者ものかもしれません……かな?

「大手術 オジーを癒すは 知恵婆の リンゴ・ニンジン 愛情ジュース」


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2006年3月 9日 (木)

子供は育つ環境から学ぶ

私は恵まれて6人の子供たちがいます。子だくさんで知られる沖縄でも、8人家族は最近ではちょっと珍しい家族です。高3の長男を筆頭に、下は小2の娘、4男(難?)2女です。

毎日が本当に騒がしいすったもんだの日々です。

子供たちがまだまだ幼くて手がかかった頃、すなわち私たち夫婦が「よちよち歩きの親」を始め、子育てに悪戦苦闘していた頃、熟年を迎えたある尊敬する先輩夫婦から一編の詩をプレゼントしていただきました。

とても含蓄の深い詩で、新米夫婦の私たちにとって本当に参考になりました。

ロシー・ロー・ノウルティーの「子供は育つ環境から学ぶ」です。紹介します。

  中傷の中で育つ子供は、非難することを学ぶ。
  敵意の中で育つ子供は、争うことを学ぶ。
  あざけりの中で育つ子供は、恥じることを学ぶ。
  恥辱の中で育つ子供は、罪悪感を持つことを学ぶ。

  寛容の中で育つ子供は、忍耐することを学ぶ。
  励ましの中で育つ子供は、自信を持つことを学ぶ。
  賞賛の中で育つ子供は、感謝することを学ぶ。
  公正の中で育つ子供は、正義を行うことを学ぶ。
  安らぎの中で育つ子供は、信仰を持つことを学ぶ。
  賛同の中で育つ子供は、自分を愛することを学ぶ。
  容認と友情の中で育つ子供は、世の中に愛を見いだすことを学ぶ。

この詩は、それ以来私たち夫婦の子育ての指針になりました。
あれからやがて10年になりなんとする今でさえ、まだまだうまくできてはいませんが……。^^;

「もし人があるがままに扱うなら、その人はそのとおりになるだろう。しかし、その人があるべき姿、なりうる姿を思い浮かべてそのように扱うなら、扱われたとおりの人物になるだろう。」(ゲーテ)

子育ては悩みの尽きない一大事業です。しかし、同時に世の中で最もやりがいのある仕事かもしれません。

この「子育ての事業」に成功できれば、もしかしたらどんなビジネスにも成功できるかもしれません。最近そう思います……。^^;

上記のすばらしい提言をしっかり心に留めて、これからも頑張りたいと思います。


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てぃんさぐぬ花-最も大きな親孝行

私は、詩人須永博士さんの詩が大好きです。

須永さんの作品は、つらく悲しい人の痛みを自分の痛みとして感じて励ます温かさと優しさに溢れています。

同時に良き事柄に向かって前向きに立ち向かっていく強さを教え、またそれを与えてくれます。

そんな須永さんの作品の中でも、私は次の詩が大好きです。

  父ありて我が強さあり
  母ありて我が優しさあり
  父母の姿いつも忘れられず
  いつも我が人生の心の支えなり

            須永博士

戦前戦中前後の本当に厳しい中を必死に生き抜き、私たちを養い育んでくれた父母には、どれだけ感謝しても感謝し切れません。

どんな時でも、ありったけの親の情愛を注いで私たちを養い育んでくれた父や母。
子供たちの成長と幸福を一心に願い、すべてを捧げてきた両親へのご恩は、一生かけてもお返しできるものではないと感じています。

ただ、もしも唯一ご恩返しができるすべがあるとするならば、それはささやかながらも幸福な家庭を築き、両親から受けたすべての良きものと愛情を同じように自分の子供たち、ひいては周りの方々に注いでいくことだとも思っております。

もちろん言うは易く行うは難しですが……。
特に私のような凡人には本当に大きなチャレンジです。
しかしながら、自分でだめだと思わない限りなんとかなる……でしたよね。

沖縄には、人の道を指し示し、良き事柄へと人を誘う珠玉のような黄金言(クガニクトゥバ)と呼ばれるものがあります。
先人の深い洞察と知恵に基づいて語られた数々の格言です。

次の琉歌もその一つです。

         ちみさち     うや ゆしぐとぅ ちむ
 「てぃんさぐぬ花や 爪先に染みてぃ 親ぬ諭言や 肝に染みり」

「てぃんさぐぬ花」とはホウセンカのことです。
その花びらを指先ですりつぶし、出てきた淡いピンクの汁を爪につけて染めると、その色は決して落ちることがありません。

そのように、父親や母親の教えを決して消えることのないように心に染め、すなわち心に深く留めて、それを行いなさいという意味の歌です。

本当にすばらしい教えです。

私たちのことを本当に愛し大切に思ってくれている両親が、その子や孫たちの幸せを願って与える正しい教えや諭しを、真に心に留めて行い、その期待のままに幸せな人生を送ること、もしかしたらそれが物やお金に勝る最も大きな親孝行-ご恩返しかもしれません。

私ももう少し真面目に頑張らなければなりません……。^^;


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2006年3月 5日 (日)

「ひとりの父親は百人の教師に勝る」

アメリカのある牧場経営者が、自分の小さな息子たちそれぞれに子牛を与え、育てさせることにしました。子供たちは大きな黄色い叫び声を上げ、本当に大喜びします。自分自身の本物の牛を育てることができるのです。

子供たちは朝も早くから起き、一生懸命自分の牛の世話をします。ところが、全く要領を得ません。時々様子を伺っていた隣の友人が、ある日ついに見かねて父親に一言声をかけました。

お宅のお子さんたちは全く要領を得てはいませんね。あれじゃーだめですよ。」

するとその父親いわく、

「私は牛を飼っているのではなく息子たちを育てているのですよ。ご心配なく。」

私はその父親の言葉にとても考えさせられました。

「お腹のすいた人に一匹の魚をあげれば、それを食べた後その人はまたお腹がすく。しかし、魚の取り方を教えれば、その人は一生自分で食べられるようになる。」

とはよく聞く名言です。人を支援するに当たって、その人が真の自立へ向かって歩めるように助けることの大切さ―福祉の根本原則を説いたものです。

アメリカの偉大な指導者ジョセフ・スミスも次のように述べています。

「私は、人々に正しい原則を教え、人々に自らを治めさせる。」

本当にすばらしい教えだと感銘を受けました。


幼い頃、私の父は小さな畑を借りていて、一日の仕事を終えて後、毎日のように私たちを連れて畑仕事に精を出しました。

汗と泥にまみれ、疲れる雑草抜きや土興し等は、遊び盛りの私にとってとてもつらい仕事でした。特に他の友人たちが、みんなで楽しそうに遊んでいる時の畑仕事は、最もつらい仕事と感じられました。

そんな中での唯一の楽しみは、畑を耕す中で出てくる古銭や戦争当時の機関銃・短銃の弾を集めること(危険な弾は後で父に没収されましたが…笑)と、収穫したトマト、キュウリ、トウモロコシ等を思いっきりほおばることくらいでした。

あれから三十数年の月日が流れ、私も結婚し、六人の子供たちに恵まれました。その子供たちがちょうど当時の私と同じ年齢になった今、父と同じことをしている自分に気づきます。

猫の額ほどの菜園で、子供たちと共に土に親しみ、野菜を育てつつ、勤勉、忍耐、責任、倹約の大切さ、生き物への慈しみや自然への感謝、そして共に家族が協力して働くことの尊さを
教えているのです。

父は母と協力して、野菜を育てていたのではなく、私たちを育てていたのだと今分かります。
あのアメリカの牧場経営者のように……。

教職に就いていたわけではありませんが、父と母は、私にとって最高の教師でしたし、今も変わらぬ最高の教師です。

ジョージ・ハーバートソンの次の言葉は、私から父と母への心からの賛辞です。

 「一人の父(母)親は、百人の教師に勝る。」

そこで一首、

 「子や孫と 畑で野菜 育てつつ 人を育てる オジーは教師」


スカイクエストコムの理念の根底にも、「人々に正しい原則を教えて、人々に自らを治めさせ、成功と幸福へと向かわせる。」との考え方が流れています。

父や母の教育方針と一緒です。そして、私はこの考え方は本当にすばらしいと思います。


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2006年3月 4日 (土)

父の85歳の生年祝い

先日、私の父の85歳の生年祝いを催しました。

たくさんの兄弟姉妹(おじやおば)たち、たくさんの子や孫たちに
囲まれて父はとても嬉しそうでした。

四十人を超える親族に囲まれて、子や孫たちの歌や踊り・演奏に、
終始父の目頭は熱くなっていました。

私は、この日のために、編詞・作曲した父に捧げる歌を準備しました。
父への尊敬と感謝を込めて以下のように歌いました。
タイトルは、「ただの父」です。

これは、私の父だけでなく、母をはじめ、父のように
愛する家族のために働くすべての方々への心からの賛辞です。

ブログ始めに当たって、みなさんにプレゼントします。

         「ただの父」

     ただの父 …だけど 一番立派な人

     ただの父は 疲れ切った足どりで
     日々の仕事から 小さな家に帰る
     お金も名誉も 持っては来ないけれど
     どんなに働いたかが よくわかる
     家族の喜ぶ声聞き 姿を見て 父の心は躍る
     父の帰りを その声を 皆が待ちわびてるから

     ただの父に 愛しい子供が七人
     数え切れないほどいる 父親の中のひとり
     だけど 日々の仕事に汗水流し
     生活の重荷 ひとり身に背負う
     それでも 不平のひとつ 弱音のひとつ 決して口にしない
     父の無事を 祈りつつ 家で待つ家族のため

     ただの父には 富も名誉も何もない
     数知れない群衆の中の ひとりでしかない
     けれど 毎日額に汗を流す
     眼の前に立ちはだかるものがあれば
     どんなにつらくとも どんなに苦しくとも
     黙って立ち向かう
     それらはすべて 他の何にも増して 愛する家族のため

     ただの父 だけどいつでも精魂込めて
     小さな子供たちのため 道を切り開く
     愛する母と共に 手をとり合って
     不屈の勇気もって 立ち向かう
     今は亡き祖父も そうしてくれたからと
     無言で 僕らを諭す
     時はめぐって 今僕らも 父が歩いた道歩むよ

     これが父にささげる 僕らの詩

     ただの父 …だけど 一番立派な人

人前で、涙など決してみせるような父ではありません。
でも、今にも落ちそうな涙を必死にこらえているのがよく分かりました。
あまり見つめると悪いので早々に視線をそらしましたが……。

最後の謝辞をたどたどしく述べる父の顔は、喜びとみんなへの感謝でくしゃくしゃでした。

父の父すなわち私の祖父の、父に対する口癖は、
「何事にも誠を尽くせ」だったそうです。

戦前、戦中、戦後の本当に厳しい中、家族を支えるために必死に生き抜き、地獄のような戦禍から這い上がってきた父や母たち。

戦争により将来の夢も希望もすべて打ち砕かれ、自暴自棄になりかけた父を支えた言葉、それが、祖父の「何事にも誠を尽くせ」でした。

終戦直後母と結婚し、7人の子供を抱えつつ、物のない時代を必死に働き、生き抜いてきた父、そして母の生きざまは、「家族への誠」そのものでした。

当時の極貧の生活からしたら、今の幸せはまさに夢のようかもしれません。

父の幸せそうな笑顔を見ながら、本当に苦しい厳しい時代を立派に生き抜き、私たちを育ててくれた父への感謝を込めて次のように琉歌を詠みました。

  まくとぅ ちゅぬ あとぅ         うむぐとぅ        ちゆ さか
  「誠ある人の 後やいちまでぃん 思事んかなてぃ 千代ぬ栄い」

(誠ある人は 後々にはいつまでも 願い事もかない 千代にわたって栄えるものだ)

新たな仕事を始めるに当たって、祖父の「何事にも誠を尽くせ」を私のモットーにしたいと思います。

今はどんなに苦しくても、あきらめないで頑張り続ければ、必ず夢は実現し幸せになれるのです。
これは、"Happy Life Realize"(ハッピー・ライフ・リアライズ)のモットーでもあります。

みなさん、一緒に頑張りましょう!

           ※ 「琉歌」とは奄美・沖縄・宮古・八重山諸島に伝承される
              叙情的短詩形歌謡の総称。 短歌形式の琉歌は、
             8・8・8・6の30音からなる定型短詩です。

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