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2011年12月

2011年12月31日 (土)

「あなたの心の中の最良のものを…」

01私が心から尊敬するマザー・テレサは、次のような詩を詠んでいます。彼女の高潔さを示すひとつの象徴的な詩といっても良いと思います。

自らの必要を顧みることなく、助けを必要とする周りの人々に常に手を差し伸べるべくすべてを捧げて行動する人格者の清い魂の発露です。

「あなたの心の中の最良のものを」

人は不合理、非理論、利己的です。
気にすることなく人を愛しなさい。

あなたが善を行うと利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく善を行いなさい。

目的を達しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなくやりとげなさい。

善い行いをしてもおそらく次の日には忘れ去られるでしょう。
気にすることなくし続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。

あなたの作り上げたものが壊されるでしょう。
気にすることなく作り続けなさい。

助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
蹴り落とされるかもしれません。
それでも気にすることなく最良のものを与え続けなさい。

私たち凡人には到底まねの出来ないような生き方かもしれませんが、めざすべき目標であり、理想です。心からそのような人物に近づきたいと思います。

特に、自らに利益をもたらさないものには、目もくれないという風潮が広がる今の世の中にあって、灯台の光のような存在です。

Candle01明かりは、たとえそれがどんなに小さなものでも、闇が深ければ深いほど遠くまで見えるものです。どんなに小さくても、どんなにささやかでも、良い行い、親切な行いは人々の心に温かな感動や希望を与えることが出来ます。

灯台のような光ではなくとも、たとえろうそくのような小さな明かりでも、「気にすることなく」精一杯輝かし続けましょう。たとえ「蹴り落とされても」気にすることなく「最良のもの」を与え続けましょう。

2011年12月30日 (金)

「心が通い合う家族を築く」

J1マービン・J・アシュトン氏は、「心が通い合う家族を築く」ための7つの事柄を提案しています。先日、家族を強めることに関する記事を記しましたが、この提案は前回の記事での提案の具体的な実践を促す提案です。とても参考になりました。皆さんにも分かち合います。

「心の通い合う家族を築く」-7つの提案

1.喜んで犠牲を払う
 聞く時間を喜んで取る人になりましょう。家族を思いやり、自分のことより優先して家族のことを考える能力を増すべく自己訓練を積みましょう。

2.環境を整える
 場所や周囲の状況や環境は、快く秘密が保てしかも会話の通じる場所でなければなりません。環境が整ったら、相手に関心を集中し、上手に受け答えをしましょう。

3.喜んで聞く
 聞くということは、ただ黙っていることではありません。聞くには集中力を要します。慰めになる質問をして、その後ごく自然な態度で「熱心に話しに耳を傾ける態度」を私たちは伸ばさなければなりません。「聞くに早く、語るに遅く、起こるに遅くあるべきです」。

4.気持ちを素直に話す
 考えていることや感じていることを口にするのは何と大切なことでしょう。私たちは「相手のどこが悪いのだろう」と考えがちですが、そんな時は「私の何が良くないのだろうか」と考えるべきです。「沈黙は溝を作る」です。

5.裁くことを避ける
 批判的にならず、理解しようと努めましょう。自分の価値観を人に押しつけてはいけません。「間違いを指摘し、裁断を下すのは簡単である」。

6.秘密を守る
 「小さなこと」で信頼されれば、「重大な質問や大切な話し」を打ち明けてもらえるものです。

7.忍耐する
 家族の誰かを面前で正すことは避けましょう。穏やかな一対一の対話による方が、物わかりがずっと良いものです。「家族との関係の中で、穏やかな忍耐は貴重な徳である」。

一足飛びにすべての事柄をうまくこなすことなど私たち凡人にはむずかしいですが、ひとつひとつを少しずつコツコツと積み上げていくことは出来ます。焦らず、地道に取り組んでいきましょう。

デビッド・O・マッケイ氏をはじめとする世の指導者たちは、家族の大切さについて次のように語っています。

O4「私たちに与えられた最も貴い財産は家族である。家族関係は何にも勝るものであり、この世にあって他のいかなる社会的結びつきよりも価値のあるものである。何といっても一番心を動かす力があるのは家庭であり、家庭こそ底知れない愛の源である。家庭は人間としての徳を学ぶ大切な場である。人間生活の中に見られる責任、喜び、悲しみ、ほほえみ、涙、希望、心配といった様々な経験を私たちは家庭生活の中で味わうことができるのである。…愛のもとに一致した家族は、いかに貧しくとも、他のいかなる富にも増して神と将来の人類にとって大きな価値を持つのである。」(デビッド・O・マッケイ氏)

01「どんな時代であろうと、どんな時勢であろうと不変のものが一つあります。父親、母親である皆さん、子供があるならば、まず子供たちを優先しなければなりません。本を読んだり、抱き締めたりして愛を示さなくてはなりません。家族としての皆さんの成功、社会としてのわたしたちの成功は、ホワイトハウスではなく、皆さんの家庭の中で起こることにかかっているのです。」(バーバラ・ブッシュ元大統領夫人「リアホナ」2005年10月号 p.4)

Family03「人の幸福とは家族の中にこそあるのです。家族を守ることが国を守ることにつながり、家族の絆を弱めてしまうということは、先祖への誉れや未来の子孫の幸福や祝福を損なってしまうことにつながるのです。それを忘れないで下さい。」(「スティール・ボール・ラン」少年ジャンプより)

社会の強さの最も堅固な基である家族を強められるよう共に力を尽くしましょう。

2011年12月29日 (木)

「修学旅行と引っ越し」

Kouyou01先日の早朝、中学2年の娘が私の元へ来て曰く、

「お父さん、このエッセイの宿題今日学校に提出しないといけないんだけど、紅葉の写真を貼り付けてから出したいの。やり方教えてくれる?」

「簡単だよ。どれお父さんにも読ませてごらん。」

と娘が差し出したメモリースティックをPCに差し込み確認してみると、娘のエッセイに感銘を受けるも、大いに複雑な思いにさせられました。

来年の3月、わが家は私の仕事の転勤で福岡に引っ越すことになりました。娘は生来楽観的な方だと思い込んでいたので、忙しさにかまけてあまり心配することもなく彼女の思いを十分に汲み取れないまま、心のケアもほとんどなさぬ状態でいました。そのエッセイを読んで初めて、娘の葛藤の大きさとまたその心の成長をも知りました。以下に紹介します。タイトルは「修学旅行と引っ越し」です。

「修学旅行と引っ越し」

「出発の時間を、今か今かと待っている私たち。そう、今日は、修学旅行出発の日。今年一番楽しみにしていた修学旅行。みんなテンションが上がっていて、離陸するだけで歓声が上がるほど…。こんなテンションだからバスでは、ガイドさんの話を聞く耳ゼロ。窓の外をのぞき込みまた歓声が上がる。怒られてもみんなの勢いは止まらず、ガイドさんは独り言をいつまでも…。でもこんなのが修学旅行って感じで、三組らしくて、自然と涙があふれてきた。

 5か月前の7月1日、私の両親が韓国への出張から帰ってきた夜だった。大事な話があるといって家族を集めた。そして両親がした話は、引っ越しについてだった。お父さんの仕事の都合で、福岡に引っ越すことになったのだ。大好きな沖縄から離れるさみしさ。大好きな人たちとの別れ。思い出の一杯詰まった家との別れ。そして、知らない土地へ行く不安が一気にこみあげてきた。ふいても、ふいても止まらない涙、涙、涙…。

 こっくりこっくりとみんなが居眠りしている今は、もう帰りの飛行機の中。楽しい時間はいつでも早く過ぎるもので、4日間はあっという間に終わってしまった。この4日間、京都・大阪・奈良・滋賀・兵庫に行き、お寺を見たり、大仏を見たり、しっかり遊んだり、初めての様々な体験をしたり…。書物で学ぶのと実際に足で廻り、目で見ることによって学ぶのとは大違い。た~くさんのことを感じそして学んだ。またホテルではみんなでお風呂に入ったり、恋話をしたり、くっついて眠ったり、一人ひとり違う面白い寝顔があったりで、とってもいい思い出ができた。

 新しい土地に行くということは、いろんな不安があるけど、この修学旅行のように新しい発見があったり、すてきな思い出を作ったりできるすばらしい機会なんだと思った。また、自分にとって大きな試練・チャレンジではあるけれど、成長するためのステップでもあるなとも思った。だから、ポジティブに考え、引っ越しをちょっと長い修学旅行と考えればいいんだと思った。これから、いつもネガティブな私が、ポジティブに考えられるように頑張りたいと思う。

 少し長い修学旅行に行ってきます…。」

父親としてまだまだ未熟だなあと思い知らされました。子供たちとのコミュニケーションをもっと深めつつ、ひとりひとりの心の状態を常に確認しながら十分なスキンシップと心のケアに努めなければならないと感じました。感じるだけでなく、実際に行っていこうと思います……。

2011年12月28日 (水)

「強い目標を立てる」

Ibukamasaru01世界的に有名なブランドであるソニーの創業者井深大(いぶかまさる)氏は次のように語っています。

「まず強い目標を立てる。それを達成するためにあらゆる技術を動員する。できそうだったらやってみようというのとは大きな違いがある。」

すべての事柄に徹底してチャレンジし、数々の発明をなし、様々な問題を克服する中で、わずか従業員20人の小さな町工場を50年間で世界のソニーに育て上げた彼の言葉には次の聖句と相通じるものがあるように感じています。

「 そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」(マルコ11章24節)

そこでは単に信じるだけではなく、強い望みや願いすなわち「強い目標」を持ったら、天に頼りつつ、それを達成するためにありとあらゆる知恵を絞り、自らのあらゆる能力を尽くしてそれに打ち込む努力が必要だと説いているように思われます。

「祈り求めたらすでにかなえられたと信じなさい」とは何もしなくても天が助けて下さるという意味ではなく、必ず達成できるように天が備えて下さっている道を見出し、その目標を実際に達成できるように絶対にあきらめないで全力を尽くすならば、必ずや望みや願いすなわち目標は達成できるということです。

私たちも自らの「強い目標」を立て、それを達成できるように上記のような信念をもって取り組むことが出来るならば、本当にすばらしい成功や祝福に与ることができるようになることでしょう。

2011年12月27日 (火)

「我以外皆我師」

Miyamotomusashi01天才的な心臓外科医である須磨久善氏は次のように語っています。

「病気って、魔法みたいに、全く気づかなかった人生のとっても大事なことをいとも簡単に気づかせてくれるということもある。例えば、家族の暖かさだとか、友達の優しさだとか、その当たり前の身の回りにある事がどれだけ大事なことか、どれだけ素敵かっていうことをね、すごく簡単に気づかせてくれるんですよ。」

皆さんも一度や二度ならず、風邪やインフルエンザで寝込み、健康のありがたさをしみじみ実感して、これまで得てきた祝福に心から感謝した経験があると思います。何らかの問題や困難は決してネガティブなものではなく、それ自体から非常に大切な真理を学ぶために天から私たちに与えられたプレゼントです。

そのような見方をすることができる人は、どのような環境、どのような厳しい境遇にあっても沢山のことに気付き、また学ぶことができます。そして人生が豊かになるのです。

吉川英治氏の著書「宮本武蔵」の中で剣豪武蔵も次のように語ったと言われています。「我以外皆我師」つまり「自分以外の、人でも物でも皆、自分に何かを教えてくれる先生である」という意味です。

柔和謙遜な心を持つ時、私たちは周りのすべてのものから大切な真理を学ぶことができるのです。そのような謙虚な心を持つことができる人は本当にすばらしいと思います。真の知恵に至るからです。謙虚な人になりましょう。

2011年12月26日 (月)

「積極的な思いと言葉で常に自分を高める」

Nakamuratenpu01仲村天風氏は次のように彼の哲学を語っています。

「『人生は自分のこころが思考したとおりになる』以上、何が大切か。『こころをいつも積極的にし、思えば楽しい、愉快なことだけを心にいれろ』。

ところが、『現代の知識人は、考えるべきじゃないことを考え、思うべきじゃないことを思って当たり前だとしているから、いつも心が弱っている』という。

それはあたかも、『くもった鏡に、ものは完全に写らない』、『酸いも甘いもかみわけているはずの年配者の方が悟りがおそい、余計なこだわりが多くあるためだ』、『体によいからとソバを注文して、できるのが遅いと怒りながら食っている奴がいる』、『口から入れる栄養物ばかり気にしているが、心へは毒物を平気で入れているね』、『あなたがた、放っておくとすぐ消極的なものを心にいれてしまう』、『こころは感じてから思って考える。だからマイナスのことを感じても思わないこと』、『いやだ、おもしろくないと感じたら笑ってしまえ』。

とくに言葉は、こころに感じさせるだけでなく思い考えさせることになるから、『消極的な言葉は一切口にしてはいけないよ』。『具合がわるい時に具合がわるいと言ったら治るかい』。『暑いなあ、やりきれないなあじゃなく、暑いなあ、より元気がでるなと言いなさい』。

『困った、弱った、情けない、悲しい、腹が立つ、寂しいという消極的な言葉は絶対に口にしない』。ところがわれわれはデキてないからすぐ消極的なことを言ってしまう。

そのときは、『いけねえ、つい口にしちゃったが、今までの自分なら知らなかったから、それがどうした、腹が立ったから腹が立つと口にして何が悪いと思ったが、今は違うぞ。腹が立つと言ったことは間違い、取り消す、と言うんだよ』。

消極的な言葉を口にしないようにするには『できるだけ積極的な人と交わりなさい』集まると他人の悪口を言って楽しむようなところには顔をださないことだ。『習いは性。よいことを本性になるまでまねしなさい』」

物事をいつも積極的な心と眼でとらえ、否定的あるいは消極的な思いや言葉を一切自分から遠ざけることができるなら、私たちは世の中で最も幸福で成功する人になれると私も思います。そうなれるよう頑張りましょう。

2011年12月25日 (日)

「他人の幸福を願い行動する」

Masakik01工学博士であり、発明家でもある政木和三氏は、次のように語っています。 「人間の修行とは、他人に幸福を与えることである。」

1,000もの発明品を世に送りながら、特許権を無償で公開し、世の人の利便のために大いに貢献した人の含蓄のある言葉です。また、肺結核を自ら克服し、実業界や各界にすばらしい人材を送りNakamuratenpu01出した仲村天風氏も次のように語っています。

「自分の成功や幸福のことよりも、他人の成功や幸福を願い、かつそれに向けてまい進していけば、いつの間にか、自分も成功と幸福を掌中におさめることが出来るのです。」

イギリスの英雄ウィンストン・チャーチル首相も次のように諭しています。

Winstonchurchill02「人は得るもので生計を立て、与えるもので人生を築く。」

私たちの幸福は、周りの人の幸福のためにいかに尽くしたかによって築かれそうです。

わが家のモットーは「一日一善」です。どんなに小さなことでも助けを必要としている他の人のために何かを行うよう共にチャレンジしています。何も出来ないときは、精一杯の笑顔や「ありがとう」の言葉だけでも良しとしています。

肩の力を抜きつつ「一日一善」をいつも心に留めて実践しましょう。そして幸せになりましょう。

「感動によって人を動かす」

Takayanagikenjiro01高柳健次郎氏は、日本ビクター元副社長・技術最高顧問で『テレビの父』と呼ばれていました。ブラウン管による電送・受像を世界で初めて成功させた天才的な人物です。その愛弟子高野鎭雄氏(たかのしずお)が次のように語りました。

「会社の中には秩序やルールがあるから、権力や腕力を使えば社員は上の人の指示に従うのは当たり前だ。しかし、権力やルールで社員に指示しても、本当に動いてくれるわけではない。権力によってではなく感動によって人を動かすのが真の経営者ではないか。」

自らの信念を貫き、たゆまぬ努力を積み重ねて世界的な偉業を成し遂げた人の本当に含蓄の深い言葉です。自らが全身全霊を傾けて努力するその姿を通して、また実際の成功を通して人を高い目標へと駆り立てる力が感じられます。

師である高柳健次郎氏の発想の原点は、いつも、「将来のためになるか、世の中のために役に立つか、人々の幸せにつながるか」であり、その方法は、「何のために」がまずあり、すべてのエネルギーをその目標に向けて注ぎ込むやり方であったと言います。Friendshipping01

私たちも人の幸福を一心に願いながら、人を感動させる努力をする中で、人を動かす力を得られる人物になれたらどんなにすばらしいでしょうか。そのような信念、そして自らの良心に懸命に従おうと努める人は、皆そうなれると信じています。

2011年12月24日 (土)

「Merry Christmas!」

いつもこのサイトを訪問して下さる皆さんへ

Christmasmessage01

毎日のようにこのサイトを訪問して下さる皆さん、本当にありがとうございます。多くの方々がこのサイトを訪問し記事を読んで下さっていることは、私にとって本当に大きな励みです。皆様が少しでも元気を得て夢を実現する力が得られますようこれからも投稿頑張ります。今後とも皆さまの応援を宜しくお願い申し上げます。

イエス・キリスト様の生誕をお祝いするこの聖なる季節に、皆様とご家族の上に豊かな祝福が注がれますよう心よりお祈り申し上げます。また、皆様のご健康を心より願い、迎える新しい年が祝福に満ちたすばらしい一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。 以下は皆さまへの心からの感謝を込めた小さなクリスマスカードです。是非お読み下さい。(<クリスマスメッセージ>をクリックして下さい。)

Kansha01

「自信を育む公式」

Napoleonhill01成功哲学の祖として世界的に有名なナポレオン・ヒルは「自信を生む公式」として次の5つを上げています。非常に大切な原則を含んでいると思います。すでにご存知の方もいるかもしれませんが、皆さんにも紹介します。

1.私は人生の明確な願望・目標を達成できるだけの能力を持っている。したがって私はどんなことがあっても忍耐強くそれを追求していく。このことを私は自分自身に対して約束する。

2.心の中で強く願えば、いつの日か必ず実現することを私は確信している。だから毎日30分私がこのようになりたいと思う自分の姿を心の中で鮮明に、そして具体的に想像する。

3.深層自己説得の素晴らしい威力を私は知っている。だから毎日10分間、私はリラックスして自信を養うための深層自己説得を行う。

4.私は自分の願望・目標をはっきりと紙に書き出した。私はそれを達成するまで、どのようなことがあっても諦めないことを誓う。

5.いかなる富も地位もそれが真実と信義に基づくものでなければ、長続きしない。私は真実と信義を重んじる。人々の利益にならないことは決してしない。人は誰でも、他の人々の協力によって成功をかちとることを私は知っている。だから私は、まず人々に対して奉仕をすることを私の使命とする。私は憎しみ、嫉妬、利己的な心、これらをすべては排除し、思いやりと誠実な心で人々に接する。私は自分を愛するのと同じように他人を愛する。(ナポレオン・ヒル)

ナポレオン・ヒルが言う「深層自己説得」とは、自分自身の魂に、肯定的で積極的な情報を与えることによって、人の内に秘められた可能性を引き出し存分に発揮できるようにするということだと思います。

いずれにしても、私たちの健全かつ肯定的な「思い」が人の内に秘めた莫大な力を引き出し、良き行いを習慣化し、人を成功へ導く力となることは確かだと思います。彼の「自信を育む公式」は毎日の生活の中で、より良い生活を行う上での大きな助けとなることでしょう。私たちも自身を育むべく上記5つの公式に取り組んでみましょう。

2011年12月23日 (金)

「庭球訓」

tennis01.jpgテニスの世界には次のような言葉があるそうです。

「この一球は絶対無二の一球なり。されば身心を挙げて一打すべし。この一球一打に技を磨き体力を鍛へ、精神力を養ふべきなり。この一打に今の自己を発揮すべし。これを庭球する心といふ。」

これは一般的に『庭球訓』と呼ばれているもので、(「庭球」とはテニスのことです)1922年の第1回全日本テニス選手権で優勝を飾った福田雅之助が残した言葉です。多くのテニスプレイヤーが座右の銘としている言葉で、テニスの道を志す者は必ず知っている名句でもあるそうです。

ある有名企業の人事部の人がテニス部出身で、面接に来る学生にテニスサークル出身という連中がやたら多いから、この『庭球訓』を知っているかどうかを聞いて、テニスをしていると言うくせに「庭球訓」を知らない場合はすぐに不合格にしてきた、と言っていたそうです。それぐらい、テニスを本気で愛する人たちにとっては、かけがえのない金科玉条なのです。

tennis02.jpgテニスは傍から見ているとポンポンとラリーが続いているので、とりあえず様子を見ながら打ち合っておいて、タイミングのいい一球で必殺打を出している、というように見ている人も多いかもしれません。でも、『庭球訓』にあるとおり、テニス選手からすると、全ての一球一球が大事と考えています。一球への意識を疎かにして返してしまうと、それが相手の決め球になってしまうからです。

学校の勉強をするにしても、仕事をするにしても、何をするにしてもこの「庭球訓」の教えはとても大切な成功の原則を教えてくれます。私たちも今できることに、今なすべき事柄に全力投球しましょう。

Smile01「微笑み」というタイトルのとてもすてきな詩を見つけました。とても感銘を受けました。この詩を読むと、誰でも最高の笑顔、微笑みをほかの人に投げかけ励ましたいと思うようになると感じました。

賢明な先人も「小さな、簡単なことによって大いなることが成し遂げられるのである。」(アルマ37章6節)語っていますが、まさに「微笑み」は大いなることを成し遂げる大きな力になると思いました。

Smile02皆さんもこの詩を読むと周りの人々へのやさしい思いが大きく膨らむと確信しています。味わって読んで下さい。

「微笑み」

微笑みを与えるには一銭のお金もいらない。
しかし、微笑みは多くのものを与えることができる。

微笑みはそれを受ける人を豊かにする。
そして、与える人も決して貧しくなることがない。

微笑みを与えるのに多くの時間は必要ない。
しかし、その思いは出は永遠に消えることがない。

微笑みなしに生きていけるほど、富める人も強い人もいはしない。
また、微笑みを受けても心が豊かになれないほど、貧しい人もいない。

微笑みは家庭に幸せ、仕事にうるおいをもたらし、
真の友情のしるしとなる。

微笑みは疲れた心に休息、そして落胆した人には励ましを与える。
悲しむ人には太陽、悩む人には最高の良薬となる。

しかし、微笑みは買うことも、もらうことも、借りることも出来ない。
なぜなら、微笑みは人に与えて初めて、価値を生ずるものだから。

あなたに微笑みかけることができないほど疲れている人がいる。
そんな人にはあなたから微笑みをあげなさい。

そんな人こそ、いちばん微笑みを必要としているのだから。
Ojiiobaa01

あの偉大な奉仕の人マザー・テレサは次のように語っています。

Motherteresa02

「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。人から見放され、『自分は誰からも必要とされていない』と感じる事なのです。」

心からの「微笑み」はそのように感じる気持ちを温め癒す最良の良薬なのだと私も思います。

2011年12月22日 (木)

「シークレットサンタ」

Santa01皆さん中にはすでに聞いたことのある方もいると思いますが、この季節に関連した心温まるお話しをします。「シークレットサンタ」物語です。長い話ですが頑張って読んで下さい。

「アメリカでクリスマスになると、貧しく困っている人々に現金をプレゼントする男性がいた。彼はいつしか「シークレットサンタ」と呼ばれるようになった。

1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは会社が倒産し路頭に迷っていた。あまりの空腹に耐えきれず、ついレストランに入って取り憑かれたように注文してしまった。請求書を出されようやく我に返り、お金を持っていないことに気づいた。そして、なんとかその場を取り繕おうとポケットの中を探すフリをしながらも、警察に突き出されても仕方が無いと思っていた時だった。

一人の男性店員がラリーの横でしゃがんで、20ドル札(現在約2400円)が落ちていたと渡してくれたお陰で、彼は会計を済ませることができた。だがこの人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、後に彼の運命を変える重大な鍵となる。

1972年、運良く拾った20ドルの残りを旅費にカンザスシティに移り住んだラリーは、警備関係の会社を起こして懸命に働いた。結婚し子供も生まれたラリーは幸せな生活を手に入れたかに見えた。だが1977年12月、不況で会社が倒産しその日の食事代にも困るほど追いつめられた。貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになった。だが、20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまった。

改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして懸命に働いた。だが彼はまたしても試練を与えられる。1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまったのだ。

もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時だった。ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文した。店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡した。ラリーは彼女が困っているのだと思い、おつりの中から20ドル札をプレゼントした。彼女は受け取れないと言ったが、ラリーは『クリスマスプレゼントだ』と言って手渡した。

この日はクリスマスだった。女性は嬉しそうに礼を言った。その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになった。そのままラリーは銀行に行くとなけなしの貯金を引き出し、白いオーバーオールに 赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出した。そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのだ。「シークレットサンタ」が誕生した瞬間だった。

20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けとなり喜んで 受け取ってもらえた。それがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになる。家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかった、と聞かれた。ラリーは落としてしまったと答えた。すると妻は怒るどころか、「仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね」と微笑むだけで文句を言わなかった。

翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。そして、その年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けた。そしてその金額は少しずつ多くなっていった。不思議なことに「シークレットサンタ」となって施しをすればするほど会社の業績が上がり、長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新しい車を買えるまでになった。

ラリーの妻も町中で「シークレットサンタ」の噂を耳にするようになった。彼は家族にも言っていなかったのだ。彼はそれからも一年も休むことなく「シークレットサンタ」の活動を続けたのだが、9年目の1987年12月、ついに妻に「シークレットサンタ」がラリーであることがわかってしまった。

「すまない」と謝るラリーに、妻は「素敵なことじゃない。これからはもっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ。」と答えた。以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになった。

1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じた。カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話す。しかし報道されてから、「シークレットサンタ」の正体への関心はさらに高くなった。

一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていった。そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れた。その男性とは、「シークレットサンタ」の生みの親だった。

28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと…。本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、我に返って真実に気づいた。20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに…。

男性店員はテッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。ラリーは「彼がしてくれたことをいつか誰かにしよう」と思ったのだと話した。そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうという。自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡した。

受け取れないというテッドに、ラリーは「自分が今あるのはあなたのおかげ」だと引かなかった。当時テッドは、警察に突き出すのではなく、「自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しい」と思って20ドルを差し出した。「それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がる」とテッドは話している。

テッドはラリーから渡された1万ドルを、近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったという。人を思いやる気持ちは健在だった。

そしてラリーのサンタ活動は全米に広がった。2001年には、世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配った。

2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)になった。

だが2006年、「シークレットサンタ」がついにカメラの前に現れ正体を明かした。彼は2006年4月、食道ガンのため治療しなければ1ヶ月生きられないと宣告されたのだ。正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、「身近な人への思いやりを広げて欲しい」というメッセージを送りたかったからだろうと、マクガイヤー記者は話す。

その反響は大きかった。2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届いた。大半は自分も「シークレットサンタ」になりたいというものだった。2006年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行った。そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられた。

2007年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去った。それでも彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に永遠のサンタとして刻み込まれただろう。生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、会員資格は「少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。」今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たない。日本でも各地で「シークレットサンタ」活動が行われている。今日もどこかで……。」

 私たちもラリーの模範に倣い、誰かを幸せにするために行動しましょう。

2011年12月21日 (水)

「一眼 二足 三膽 四力」

01「一眼 二足 三膽 四力」という言葉があります。高名なゴルフのクラブハウスに飾られているゴルフに必要な4つの要因を表わしている言葉なのですが、その言葉と共に「傳柳生但馬守」と書かれてあります。「傳」とは「伝」の旧字体ですので、柳生但馬守、つまり、江戸将軍家の剣術師範を務めた柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の言葉のようです。

つまり、「一眼 二足 三膽 四力」とは、剣術に大切な4つの注意点を表わした言葉だそうです。

「一眼」→1つめは眼。よく見ること。単純に眼に見えていることだけではなく、眼に見えない流れや相手の動きなどを読むことも含まれているようです。とにかくよく見る。

「二足」→2つめは足。よく構えること。ただ単に足を使って動くということだけではなく、動かない時でもバランスをしっかりと取って次の動きに備えるということも含まれているようです。

「三膽」→3つめは胆。強い精神を持つこと。相手を怖れない勇気や立ち向かう意気地などはもちろん、自分の小さなミスですぐ調子が狂ったりしないような大きな精神力を持つことを表わしているようです。

「四力」→4つめは力。力を発揮すること。単純にとにかく大きな力でひっぱたけ、ということではなく、状況に応じて最適な力を使うといった、力加減のバランスの大切さなのだと思われます。

私たちの日々の生活にも通じる大切な教えだと感じます。

「一眼」は、上述の事柄に加えて、物事を常に近視眼的ではなく、長期的な展望を持って見る眼、さらには自らの内なる「良心の声」に耳を傾けつつ表面的には見えない物事をも見極める眼。それを養う必要があります。

「二足」は、実際に足腰を鍛え、心のままに動ける心身のバランスを持つとともに、熱心に多くの良書に親しみ、学んだことを熱心に実践する中で決して揺るがない信念の基盤を築くこと。心の足腰をも鍛えるのです。。

「三膽」は、「二足」に誠心誠意取り組む中で育まれる精神力、人間力、生き抜く力や勇気、人格の力、感化の力です。

「四力」は、自らの「良心」の声に従うままに実際に自らを変え、自然体で他によい影響を与え、より良いものに変える力を実際に発揮すること。

これらの「眼、足、膽、力」を自分のもの出来たら本当にすばらしいと思います。私たち凡人にはもちろん簡単ではありませんが、凡人でも非凡に努力するなかで何とかなるかもしれません。

日々の生活の中で、心と魂の「一眼 二足 三膽 四力」を心に留め、それを自分のものとできるよう努めましょう。

2011年12月20日 (火)

「あらゆる成功が努力の結果2」

Jamesalen01ジェームズ・アレン特集第十六弾です。彼は次のように語っています。

「富を築き上げた人、知性に溢れた人、神のような人格を備えて大きな影響力を手にしている人達を見て、彼らは言います。あの人はなんて幸運なんだろう!なんて恵まれているんだろう!なんて良い巡り合わせにあるんだろう!

彼らは、その運の良い人達が、より良い人生を夢見て流し続けてきた『血と汗と涙』の部分には決して目を向けません。それらの人達は、強い信念を維持し、数々の犠牲を払い、粘り強い努力を続けてきた人達なのです。そうやって理想の実現を目指して、様々な困難を見事に乗り越えてきた人達なのです。」

沖縄海邦銀行の頭取まで務めた私の尊敬する先輩与座章建氏が、かつて私に次のように語りました。「たとえどのような小さなことでも、それを一日も欠かさず10年続けることができる人物は、将来非常に大きな事柄を達成する人物に成長する。安里君、きみも何かひとつの目標を定めて頑張りなさい。」

彼自身は、まさにこの言葉の通りに様々に努力し続けてきた方です。それ故に彼を心の底から尊敬しています。

私は彼の勧告に従い、この数年間1日も欠かさず良書を読むことにチャレンジしています。今後も10年間1日も欠かさず読み続けるつもりです。また来年は何度も挫折してきた「毎日日記を記す」ことに再チャレンジしたいと思っています。

私たちのような凡人は、たとえ小さなことであっても、そしてそれがよいものであると分かっていても、長く続けるとなるとなかなか忍耐が続きません。しかしながら、出来ている事柄をそのまま継続しつつ、出来ていない事柄に果敢にチャレンジすることはとても大切だと思います。

何かひとつのことを定めて、一日も欠かさず続けられるよう頑張りましょう。その延長線に成功した人物、高潔な人格を備えた人物としての自分を見出すことができるようになると確信しています。

2011年12月19日 (月)

「クリスマスの象徴」-2

Christmastree01一昨日紹介した「クリスマスの象徴」の残り第二部をお贈りします。是非、クリスマスイブの晩にでも子供たちに紹介して下さい。思い出深い家族団らんのひとときになると思います。では……

私はふと、チリン、チリンとやさしく響く音色に気づきました。その音色がだんだん大きくなるにつれて、何故かとても懐かしく感じました。

「子供たちに迷える羊が鈴の音によって見つけられるのと同じように、この鈴の音によって、人も神の群に帰れるように……という意味のあることを教えてほしいのだ。鈴は導きと天へ帰ることの象徴なのだ。さらに、それはすべての者は神の目から見て、尊い存在であることを意味しているのだ。」

Candle01_2心地の良い音が闇夜に消えていくと、サンタは、今度はローソクを取り出しました。暖炉の上に置き火をつけると、小さな炎は暗い部屋に柔らかな光を放ちました。影が壁に揺れて静かにダンスをしているようでした。

「子供たちに教えてやっておくれ……」サンタは小さな声で続けて言いました。「ローソクのともしびは古い昔の星への感謝の念を表しているのだ。この小さなともしびは、星の光を映しているのだ。はじめローソクはツリーに飾られ、それは、あたかも深緑の空に輝く無数の星のようだった。今は、安全のためにローソクは取り去られ、代わりに色々な色のライトが輝いてその象徴を思い出させる。」

Presents01

サンタはライトのスイッチを入れ、木の下の贈り物を手に取りました。そして、その贈り物の大きなリボンの蝶結びを指さして言いました。「贈り物につけてあるリボンの蝶結びは、兄弟愛の精神を思い起こさせてくれる。リボンの蝶結びのように、人の心も皆互いに良い心で結び合わされるように覚えておかなければならない。永遠の良い心、これがリボンの蝶結びのメッセージなのだ。」

Redkazari01私が、袋の中には他にどんな物が残っているのだろうと考えていると、サンタは袋から物を取り出す代わりに袋を肩に担ぐと、クリスマスツリーに手を伸ばし、上の方の枝に掛かっているキャンディーを取って、私に渡しました。

「この杖のキャンディーは、羊飼いの杖を象徴していることを子供たちに教えてほしい。杖の曲がりは、迷った羊を引っかけて群に連れ戻すときに役に立つようになっている。杖のキャンディーは、クリスマスに差し出す、助け合いの手を意味しているのだ。そして、それは、人は互いに兄弟の番人であることも象徴しているのだ。」

Christmasleese02サンタは部屋を眺めながら満足そうな顔をしました。私が、まだ戸惑いを感じながらも、考えさせられている様子を見て、満足しているようでした。サンタはもう一度袋に手を入れ、今度は大きなクリスマスリースを取り出しました。それをドアの所に置きながら言いました。

「どうか、子供たちに教えておくれ。このクリスマスリースは永遠の愛を象徴していることを。それは決して消え失せることなく、止むことなく、終わりがない。それは絶えることのないひとつの愛の輪だ。このリースはもう一つのことを象徴している。このクリスマスリースはたくさんの物と色からできている。それは、クリスマスのすべての物を私たちに思い起こさせるものなのだ。」

Tonakai01「そしてどうか、子供たちに教えておくれ。このクリスマスのすべての象徴を見るときに、深く考え、思いめぐらし、喜びに身を震わせてほしいことを。与え、助け、愛し、仕えることが価値あることであることを。年老いたサンタクロースと陽気なトナカイは、クリスマスそのものの最高の象徴であることを。悪事をやめ、争いに終止符を打つために、あの夜にサンタのメッセージがどれほど私の洞察を深めてくれたかを。」

この地上で是非ともしなくてはならないこと、それは子供たちに正義と真理を教えることである。皆さんの上に平安と幸福、そしてクリスマスの真の精神がもたらされますように……。

2011年12月18日 (日)

「あらゆる成功が努力の結果1」

Jamesalen01ジェームズ・アレン特集第十五弾です。彼は次のように語っています。

「人間が達成するあらゆる成功が、努力の結果です。そして、努力の大きさによって結果の大小が決定します。そこにはいかなる偶然も介在しません。」

またさらに次のように語っています。

「不注意な人間、無知な人間、怠け心を持つ人間は、表に現れた『結果』だけに目を奪われ、その背後に存在する『原因』を見ようとしないために、あらゆる成功を、幸運、運命、あるいは偶然などという言葉で片付けようとしています。」

私にとってはかなり耳の痛い言葉ですが、人が成功や祝福を得るには、それを得るために創世の以前から定められた律法に従う必要があると啓発の書も教えています。(教義と聖約130章20~21節)。また、小さな簡単なことによって大いなることが成し遂げられるのである(アルマ37章6節)、との先人の教えにもあるように、決意を込めた小さな努力の積み重ねが成功の大きな鍵となりそうです。

私たち凡人には簡単なことではありませんが、そのことを心に留めながら、自らが今取り組んでいる自分にできる小さくて簡単な事柄をどんなに大変でも細く長く続けていけば、何とかなるかもしれません。

自他共に幸せに出来るワクワクするような夢に向かって、価値ある何かに取り組み、それを地道に長く続けましょう。真の成功はその先にあるのだと思います。

2011年12月17日 (土)

「クリスマスの象徴-1」

Santa01今回は「クリスマスの象徴」という物語を紹介します。クリスマスの真の意味を教えるとてもすばらしいお話しです。長いので2部に分けて届けます。まずは第一部です。

クリスマスのちょうど一週間前でした。私は特別な訪問を受けました。その時のことをお話しましょう。私は、家の雑用を終え、寝ようとしていたところでした。

玄関に通じるドアのところで何か物音がするのを聞いたのです。ドアをそっと開けてみると、驚いたことに、クリスマスツリーの後ろからサンタクロースが現れ、私の前に立ったのです。そして、私が声を上げないように「静かに」と唇に指を当て合図をしました。

「何をしているのですか?」と尋ねようとしたとき、サンタの目に涙があふれているのを見て、言葉が喉につかえてしまいました。

彼には普段の陽気さがありませんでした。みんなの知っている陽気なサンタではなかったのです。彼は一言、私にこう答えて言いました。

「子供に教えてやってほしいのだが……」

私には意味が分からず当惑してしまいました。彼は何が言いたいのだろう。サンタは私の当惑を察したかのように、クリスマスツリーの後ろにおいてあったおもちゃ袋をぐいとひきよせると、まだまごついている私にもう一度こう言いました。

「子供たちに教えてやってほしいのだ。昔のクリスマスの意味を。近ごろ、もうクリスマスの意味はすっかり忘れ去られてしまっている。」

私は尋ねました。「どうやって……」

star01.jpgサンタは袋に手を入れ、中からキラキラと輝く星を取り出しました。

「星は昔から『約束の天のしるし』であることを教えてやってほしいのだ。神は世の救い主を送られることを約束して下さった。そして、その約束の成就のしるしが東の空に輝く大きな星だったのだ。星は人類に対する神の愛と約束の成就とを思い起こさせ、数え切れないほどの夜空に輝く無数の星……一人にひとつずつ……は、今や人類すべての燃える望みを示しているのだ。」

Redkazari01サンタは静かにその星を暖炉の上に置くと、次に赤いキラキラしたクリスマスツリーの飾りを袋から出しました「子供たちに、赤はクリスマスの最初の色であることを教えてやっておくれ。それははじめ、信仰深い人々が、全人類のために流された救い主の血を思い起こすことができるようにと用いられたのだ。

キリストは、人が永遠の生命という神の賜にあずかることができるように、御自分の命を捧げ、血を流されたのだ。赤は深遠で情熱的で鮮やかだ。赤は最も重要な色なのだ。それは神からの賜の象徴の色なのだ。」

Mominoki01「子供たちに……」サンタは袋の奥から小さなクリスマスツリーを取り出しながら続けてこう言いました。ツリーを暖炉の前に置き、赤い飾りをやさしくつけました。

モミの木の深緑にその飾りはよく映えました。クリスマスの2番目の色です。

「立派なモミの木の純粋な緑は、一年中を通して色を変えない。それは人類の永遠の望みを表している。緑は、若々しい希望に満ちた自然の豊かな色だ。

空に向かって伸びるすべての針葉は、人類の『天へ帰るのだ』という思いの象徴なのだ。素晴らしい緑の木々は、最良の友として、人類に避け所を与え、温かく過ごせる場所を提供し、美しいものを作り上げてきた。」(第二部へ続く)

「クリスマスの贈り物、クリスマスの祝福」

S5トーマス・S・モンソン氏は、1995年のクリスマスの時期に、特別なメッセージを述べました。「クリスマスの贈り物、クリスマスの祝福」というタイトルのお話しです。クリスマスの精神についてとても大切な事柄を教えています。以下に短く抜粋します。

イエス・キリストさまの贖いの犠牲に心を向け、そのすばらしい愛の模範に倣うよう促すこのクリスマスの特別な時期に、私たち皆が、慰めや励まし・助けを必要としている人々へ、温かい手を差し伸べることが出来るよう心から祈っています。

「クリスマスに何をもらった?」1年中で最も盛大に祝われる休日の次の日には、世界中の子供たちがこの同じ質問をします。小さな女の子はこう答えるかもしれません。「わたしはお人形さんに、新しいドレス、おもしろいゲームもだわ。」男の子の答えはこうでしょう。「ぽくはポケットナイフと汽車。ライトのつくトラックもさ。」

新しい贈り物を見せ合い、自慢し合っているうちに、クリスマスの朝が明け、そして過ぎていきます。こうして得た贈り物は、はかないものです。人形は壊れ、ドレスは着古され、おもしろいゲームも飽きてしまいます。ポケットナイフはなくしてしまい、汽車もいつまでも同じレールの上を走っているだけです。電池のカが弱まり切れてしまえば、トラックも顧みられなくなります。

Shunoseitan01クリスマスの質問は、一言言葉を入れ替えるだけで、結果が随分違ったものになります。「クリスマスに何をあげた?」この質問によってわたしたちは考えさせられ、優しい気持ちになり、記憶のともしびをよみがえらせます。

得ることではなく、与えることによって、クリスマスの精神は生かされます。人々は敵を赦し、友を思い起こし、神に従います。クリスマスの精神は、心の窓から見える景色を照らし出します。わたしたちはこの世の忙しい生活に目をやって、物ではなく、人にもっと関心を寄せるようになります。

Tenshi01「わたしが主にささげられるものは何だろう。
この貧しいわたしが。
わたしが羊飼いだったら、
子羊をささげよう。
博士だったら、
自分の務めを果たそう。
このわたしが
主にささげられるものは何だろう。
ささげよう、自分の心を。」
(クリステイーナ・ジョージナ・ロゼッティ)

与えることがもらうことに取って代わるクリスマスの日を、人はいつまでも忘れません。

Christmas01

2011年12月16日 (金)

「ビジョン2」

Jamesalen01ジェームズ・アレン特集第十四弾です。彼は次のように語っています。

「理想を抱くことです。そのビジョンを見続けることです。あなたの心を最高にワクワクさせるもの、あなたの心に美しく響くもの、あなたが心から愛すことが出来るものを、しっかりと胸に抱くことです。

もし、あなたがそのビジョンを見続けたならば、あなたの世界は、やがてその上に築かれることになります。」

私たちは自らの理想や気高い望みによって自らを変え、自らの環境を変え、自らの人生や運命を変えることが出来ます。すなわち真理に根差した正しい原則を基として理想や望みを抱き、最善の努力を続けるなら自らの目標を達成し、理想を実現できるようになると信じています。

Williamsclark01

北海道大学初代教頭ウィリアム・S・クラーク博士の言葉が響いてくるようです。彼は次のように語りました。
      
「少年よ、大志を抱け!それは金銭や我欲のためにではなく、また人呼んで名声という空しいもののためであってはならない。人間として当然備えていなければならぬあらゆることを成しとげるために大志をもて!」

偉大な事柄を成し遂げた人たちに共通していることは、清廉潔白な心と霊感された志とを持ち、高い理想や目標を掲げて、飽くなき努力を重ねていることです。

これらの人々は自らの良心に忠実に従い、天が喜び後押しするような義しい生活をしているのです。私たちもそのような模範に倣えたら本当にすばらしい、価値ある事柄を達成できることでしょう。

2011年12月15日 (木)

「クリスマスの精神」

O4_2デビッド・O・マッケイ氏は次のように語っています。

「真の幸福はほかの人を幸福にすることによってのみ得られます。すなわち、自分の命を得るには、自分の命を失う必要があるという救い主の教義を実生活に応用することです。

要するに、クリスマスの精神はキリストの精神です。 キリストの精神は兄弟愛と友情の炎を燃え上がらせ、親切な奉仕の行いに導いてくれます。それはイエス・キリストの福音の精神です。

その精神に従うなら『地に平和』がもたらされます。なぜなら、クリスマスの精神とは『すべての人に対する善意』という意味だからです。」

S5_2またトーマス・S・モンソン氏も次のように語っています。

「得ることではなく、与えることにより、クリスマスの精神は大きく花開きます。敵を赦し友を思い出し、神に従うのです。」

そのようなクリスマスの精神をもって周りの方々に温かい励ましや助けの手を差し伸べられるようになれれば、本当にすばらしいと思います。

今日は、その兄弟愛と友情の精神すなわちクリスマスの精神に基をおく、小さな親切な行いについての動画を紹介します。きっと心が温かくなり、クリスマスの精神のすばらしさを実感することでしょう。

タイトルは「The Coat:A Story of Charity」(コート:愛の物語)です。

「細心かつ入念な備え」

Koushien01

2008年夏の甲子園での出来事です。4対3で沖縄県の浦添商業が競り勝った慶応との試合の後、ある野球取材記者が慶応の最後の打者となった二番福富選手のもとを訪れました。

福富選手は北神奈川大会決勝の東海大相模戦で決勝タイムリー放った勝負強い打者です。この試合では9回2死二塁で、キャッチャーフライを打ち上げてしまいました。

その打ち取った球を、浦添商の伊波投手が捕手のサインに首を振ってから投げています。あの動作に福富選手はなにかを感じて、それが勝負のアヤになったのではないかと思ったため是非取材したいと
思ったのだそうです。

福富選手曰く「それまでの試合では伊波君は首を振ってから投げるとカットボールを投げるケースが多かったんです。それでカットボールを待っていたら来たのはストレートでした」とのことでした。

その記者は真相を知りたくて伊波投手に会い質問しました。「あの首振りは何だったのですか。」すると伊波投手は次のように説明したそうです。

「首振りは、ただ『首を振れ』という山城捕手のサイン。最初からストレートを投げると決まっていました」とのことでした。相手が自分たちの配球を分析していることを見越して、ダミーで首を振って見せたのです。

しかもそこで投じたのがあの試合最速の146キロのストレート。伊波選手のカットボールは130キロ台後半ですから、その差およそ10キロ。差し込まれてキャッチャーフライが上がってしまうのも無理ありません。なんという頭脳的なプレーでしょうか。

そこまで細心かつ入念な準備があってはじめてあの厳しい競り合いに勝利することが出来たのです。

本当に感銘を受けました。

私はどのような職業であれ、人が出来ないとをいとも簡単にこなしていく職人たちを心から尊敬します。なぜならその裏には私たちのまねの出来ないような地道な努力があるからです。

それはまさに伊波投手と山城捕手のそれこそ血のにじむような「細心かつ入念な」準備あるいは努力と相通じるものです。

どのような目標に向かってチャレンジして行くにしても、彼らのようなすばらしい徳質を私たちも得られるように努めたいものだと思いました。

2011年12月14日 (水)

「すべてのことに神の御手を認め感謝する」

S5_2トーマス・S・モンソン氏は、次のように語っています。

「主は預言者ジョセフ・スミスを通して与えた啓示で、こうおっしゃいました。『すべてのことの中に神の手を認めない者……のほかに、人はどのようなことについても神を怒らせることはない、すなわち、ほかのどのような人に向かっても神の激しい怒りは燃えない。』わたしたちが天の御父に感謝する者の一人でいられますように。感謝しないことが深刻な罪なら、感謝は最も崇高な徳の一つに数えられるでしょう。」

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私の子供たちの会話の中で時々「勉強は大変」とか「テストはいやだ」とかいう声が聞こえます。しかしながら、日本に生まれ、何の不自由なく学校で学ぶことができるということは本当にすばらしい祝福です。

もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には……57人のアジア人、21人のヨーロッパ人、14人の南北アメリカ人、8人のアフリカ人がいます。52人が女性で、48人が男性です。70人が有色人種で、30人が白人。70人がキリスト教以外の人で、30人がキリスト教徒。6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍。80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字が読めません。50人は栄養失調に苦しみ、1人が瀕死の状態にあり、1人は今、生まれようとしています。1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け、そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています。

もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら……あなたは今生き残ることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています。

もし、あなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら……あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。

もし、あなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会の集会に行くことができるなら……あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています。

もし、冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら……あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。

もし、銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら……あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりです。

もし、あなたの両親がともに健在で、そして2人がまだ一緒なら……それはとても稀なことです。

もし、このメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福をうけるでしょう。なぜならあなたのことを思ってこれを伝えている誰かがいて、その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。

すべてのことに神の御手を認め、深く感謝しましょう。

「世の誘惑に決して屈しない」

K5ボイド・K・パッカー氏は、次のように語りました。

「人類史上、いまだかつて現在の状況に匹敵するものはありませんでした。ソドムとゴモラにさえ、今わたしたちを取り巻いている甚だしい悪と腐敗はありませんでした。どこへ行っても、みだらな言葉、下品な言葉、神への冒とくの言葉を耳にします。かつては人目を忍んで行われていた、言うに堪えない悪と背徳が、今や公然と、法的保護さえ与えられています。ソドムとゴモラの時代には、局地的な現象だったものが、今では世界中に広がり、わたしたちの中にも存在しています。」(“The One Pure Defense,”,2004年2月6日)

時代を担う青少年の健全育成を図る上で非常に厳しい、この道徳的に退廃の一途を辿る現代の風潮の中で、リチャード・G・スコット氏は次のように語っています。

G1

「あなたが人知れず、心の中で抱く思いは、聖なる御霊の導きを招くものですか。それとも大掃除をする必要がありますか。精神を高める書物などには触れて高潔な思いを養っていますか。それともポルノ雑誌やポルノサイトの誘惑に屈していますか。知恵の言葉の目的に反する刺激物や有害物質を避けるために細心の注意を払ってコントロールしていますか。」(2008年11月号『リアホナ』)

悪が甚だしくはびこるこの現代にあって、その悪の力や誘惑を完全に退ける力を養い育む必要があります。自らの良心に反する行いは、自らを傷つけ、時代を担う若人たちに良くない手本となってしまいます。

凡人の私たちには、常に完璧に行動することは難しいかもしれません。しかしながら、子供たちにしてほしくないことを自らもしない、子供たちにしてほしいことを自ら積極的に取り組む姿勢を示せるよう努め励むことは出来ます。

この世の誘惑や悪の力を退け、大きなことは出来ずとも、少しでもより良い社会に変えられるよう自分に出来るところから行動しましょう。

2011年12月13日 (火)

「チロルのうた」-きよしこの夜

Organ01教会のオルガンが壊れてしまいました。クリスマスまで、あと少ししかありません。オルガンの代わりに何でクリスマスイブの音楽を演奏すればよいのでしょう。

オーストリアの小さな村、オーバンドルフは、雪に埋もれてひっそりとしていました。晴れ渡った夜空に冬の星がきらきらと輝く夜でした。牧師のジョセフ・モアは、雪をかきながら、森の中の道を木こりの家へと歩いていきました。木こりのおかみさんは、赤ちゃんを産んだばかりなのです。

Shunoseitan01たどり着いたときは、もう夜更けでした。チラチラ燃える火の光に照らされて、お母さんになったばかりの女の人が見えました。おおいかぶさるようにして、ちっちゃな赤ちゃんを見ています。ちょうど、マリヤと、ベツレヘムの馬小屋で生まれたイエス・キリストのようでした。

モアは、しんと静まり返った美しい冬の森の中を、村へと引き返しました。頭の中に「きよしこの夜…」という歌が浮かんできました。家についてからも、モアの心はその歌でいっぱいでした。寝ることも忘れて夜明けまで書きました。

翌朝早く、モアは、この歌に曲を付けられたらなあと思いました。そうです。親友のフランツ・グルーバーがいます。グルーバーは学校の先生で、教会のオルガニストもしていました。モアは、その歌を持ってグルーバーの家へ走っていきました。グルーバーはギターを弾きながら、二部合唱の曲を付けました。

雪に埋もれたオーバンドルフの教会で、グルーバーは初めてこの歌を歌いました。1818年のクリスマスイブのことでした。この歌が、世界中の子供たちの大好きな「きよしこの夜」なのです。

この歌は、初め「チロルのうた」という題で、4人の子供たちが歌っていました。ふたりの男の子とふたりの女の子の4人兄弟でした。

ある時、この4人はライプチヒに行って歌いました。この歌が、あまりに美しかったので、コンサートで歌ってくれるようにとサクソニー王国の音楽の指揮者が頼みに来ました。

1850年には、ベルリンの王室合唱団が、フレデリック・ウイリアム4世の前でこの歌を歌いました。ウイリアム4世は大変喜び、歌と曲を作った人に会いたいと言いました。このときモアはもうこの世にいませんでしたが、フランツ・グルーバーは、この曲を作った人として尊敬されていました。グルーバーのギターは、今もハルバインの博物館に飾ってあります。

193年たった今年のクリスマスにも、ベツレヘムにお生まれになったイエス・キリストを思い出すために、世界中の子供たちが、美しい「きよしこの夜」の歌を歌うことでしょう。オーバンドルフのふたりの友だちどうしが作ったあの歌を…。

「ビジョン1」

Jamesalen01ジェームズ・アレン特集第十三弾です。彼は次のように語っています。

「気高い夢を見ることです。あなたは、あなたが夢見た人間になるでしょう。あなたの理想は、あなたの未来を預言するものに他なりません。」

また「気高い理想を掲げ、そのビジョンを見続けている人間は、いつの日にか、それを現実のものにします。コロンブスは、未知の世界のビジョンを抱き続け、それを発見しました。コペルニクスは、他の無数の世界と、より広い宇宙のビジョンを抱き続け、それを証明しました。釈迦は、穢れのない美しさと完璧な平和に満ちた精神世界のビジョンを抱き続け、その中に進入しました。」

何とすばらしい教えでしょうか。福音の教えと同じです。

「あなたは、あなたが夢見た人間になる。」「あなたの理想は、あなたの未来を預言するものに他ならない。」「気高い理想を掲げ、そのビジョンを見続けている人間は、いつの日にか、それを現実のものにする。」

それらは決して簡単に何の努力もなしにそうなるとは言ってはいません。しかしながら、信仰に基づき気高い理想を掲げて努力する人は、必ず神様の助けを得て、霊に関わる成功を勝ち得、周りの人々に良い影響を与えるものとなれるようになるでしょう。私たちもそのように努めましょう。

2011年12月12日 (月)

「天よりの恵み-魂の癒し」

琉球大学に在籍していた学生の頃、2年間休学し、バイトで貯めたお金を持って末日聖徒イエス・キリスト教会の専任宣教師として大阪伝道部での伝道活動に携わりました。

主に和歌山と大阪を拠点に少しでも人々に回復されたイエス・キリストさまの福音を伝えるべく、東奔西走しておりました。

大阪城のすぐそば、造幣局へ続く美しい桜並木で有名な淀川沿いの天満橋にも一時期住んでいました。

そこで伝道活動やボランティア活動にいそしんでいた昭和60年夏、石原さんというおじいさんにお会しました。 彼との出会いの中で、私が生涯忘れないであろう感動的な経験をしました。天の恵みが注がれ、まさに魂の癒しを目の当たりにした奇跡の物語です。

1985年10月6日の日記から、その物語を紹介します。

<1985年10月6日 大阪天満橋支部にて>

「2カ月ほど前に、ある55才のお父さん(石原さん)にお会いしました。彼は今年の2月に最愛の奥さんを亡くされ、3年間の病院生活の末抱えてしまった300万円もの借金返済に疲れ果て、真剣に自殺を考えていたようです。

彼は毎朝3時に起き、新聞配達をされて後、昼間の保険の仕事で本当に大変な毎日を送っておられます。そのように時間に追われた大変な中、忙しい合間をぬってレッスンが始まりました。

彼が初めて教会にこられた8月18日(日)に、来日していたモルモンタバナクルクワイヤーの4人のメンバーが天満橋支部の集会に参加して下さり、讃美歌23番「恐れず来たれ聖徒」を歌って下さいました。

そのコーラスや支部の会員の方々の暖かい歓迎に感激した彼は次のようにおっしゃいました。 『妻を亡くした寂しさでぽっかりと、しかも大きく穴の空いていたわたしの心がこの教会の教えによって何か暖かなもので満たされたようです。

わたしは色々な宗教、色々な教会に寄させていただきましたが、この教会はいずれとも大きく異なっています。それはこの教会が生きた教会だと強く感ずるのです…。』

その彼がその後間もないある土曜日、新聞配達の途中、ダンプカーとの接触事故で背骨を強く打ち、1カ月間の病院療養の勧めを医者より言いわたされてしまいました。しかしながら彼にはそのような経済的、時間的な余裕などありません。

翌日彼を教会にお誘いするために家を訪問した私たちは初めて前日の事故について知りました。彼は全く動くことが出来ず、本当に痛々しい様子でした。 けれども、その背骨の痛みに苦しむ彼の口からでた言葉は、『安里長老、大丈夫です。これも神様が、神様御自身を真に信頼して歩むようにとわたしに与えて下さった愛のむちです。神様をうらむ気持ちは少しもありません。心配しないで下さい…。』

その晩、私と同僚はみたまの強い促しに身をまかせて、石原さんに神権による癒しの儀式を説明するために再び彼のもとを訪れました。彼は私たちの話に強く心を動かされ、ぜひその儀式を受けさせて下さいとお願いされました。

『石原さん、イエス・キリストが神の御子であり、私たちの救い主、あがない主であること、あなたの信仰に応じてイエス・キリストがあなたを癒して下さると信じますか。』との私の質問に対して、彼は『信じます。』と答えて下さいました。

私と同僚のコール長老は彼の頭に手を按き、祝福を授けました。本当に特別な儀式でした。

彼は多少の痛みを訴えながらも翌日から仕事に出かけ、1カ月間入院療養が必要との医者の言葉を完全にはねのけてしまいました。

そしてその一周間後、十二使徒であるL.トム.ペリー長老が出席なさった神戸での合同地区大会において奇跡が起こりました。

彼は大勢の人々の間に入り、退場なさるペリー長老と握手されましたが、その時、石原さんは自分の背骨の傷が完全に癒されるのを感じたそうです。本当に不思議なことです。

しかしながら、その日、単なる肉体の癒しという奇跡だけでなく、霊の癒しという大きな奇跡が起こりました!

…合同地区大会の前の晩9月14日(土)私と同僚は最後の確認のために石原さんのもとを訪問し、大会へ共に参加して下さるようにお誘いしました。彼は多少躊躇している様子でしたが参加して下さると約束して下さいました。

初め彼の顔の曇が何を意味するのか分かりませんでしたが、大会に参加するための電車賃を心配しておられることがその様子から次第に判ってきました。でもあえて参加して下さるようお願いしました。

その後の彼の話から、その時彼が持っていたすべてのお金は2千円だけでした。そして3日後の火曜日にはかなりの額の借金を返済しなければならず、彼はそのお金を友人の家を廻りお金を借りるための電車賃に充てようとしていたそうです。 …けれども、彼は大会にきて下さいました。

主を信頼し、主にすべてをゆだね、主が特別な導きを与えて下さるようにとの真心からの祈りを心に持ち、参加なさいました。主の僕に会うためには先ず身を清めてからと、私たちが訪問した土曜日の晩220円で風呂に入り、翌日の日曜日会場(神戸)までの往復に1,200円を使い、残りのわずかなお金で何とか工面しようと心に決めたそうです。

当日、彼は普段と変わらぬ様子ですが熱心にペリー長老や他の指導者の話に耳を傾けておられました。大会中、彼は主の導きと祝福を求めて真心から祈っていたそうです。大会後、彼は背骨の癒しという奇跡と指導者の話に心を熱いもので満たしつつも、果たして借金返済のめどを立てることが出来るだろうかとの不安で複雑な気持ちだったようです。

私たちと別れてすぐに友人のもとへ行かれ何軒かにお願いしました。でも結果は惨憺たるものでした。

疲れた心と体を引きずって小さなアパートに戻ってきた頃にはもうすっかり日も暮れ、言いようのない寂しさで押しつぶされそうだったそうです。お金は全く借りることが出来なかったのです。

彼の心の中には神様をうらむ気持ちは少しもなかったようですが、生きる気力がほとんど失われそうでした。

彼は自殺を意識しながら部屋の中の細々としたものを整理し始めました。初めに手掛けたのは今年の2月に亡くなられた奥さんの服を納めた数個の箱でした。

福音の素晴らしさを体感しながらも、子どももなく、最愛の奥さんを亡くされた深い悲しみやあまりにも重すぎる借金苦は、彼をして極限まで追い詰めてしまいました。 でも神様は確かに生きておられ、一人ひとりの祈りを必ず聴き届け答えて下さいます!

死を意識しつつ整理していったその奥さんの服の間から1冊のノートが出てきました。そしてそのノートには奥さんが生前蓄えてあった貯金の証書がはさまれてあったのです。 さらにいくつかある証書の金額(預金残高)の合計がその利子をも含めると、彼の持っているすべての借金を支払ってもなお余りがあるというのです! 信じ難いことです!

彼はこの本当に大きな主の恵みと祝福を通して大きな喜びと証を得ました。

彼はこのようにおっしゃいました。『安里長老、私は出てきたお金を決して手をつけることなく人々のお役に立てるように使いたいと思っています。私も男です。すべての借金は自分の腕で働き、返済していきたいと思います。 神様は私に生きる希望と私を決して見捨てないという確信を下さいました。私はそれだけで充分なのです。』

神様は確かに生きておられ私たち一人ひとりをこよなく愛しておられることをはっきり知ることが出来ました。また神様は確かに私たちの祈りに答えて下さることをはっきり知りました。」

2011年12月11日 (日)

「思いと成功」

Jamesalen01_2愛する子供たちへ

ジェームズ・アレン特集第十二弾です。彼は次のように語っています。

「もしあなたが自分の心と人生を根気よく観察し、分析したならば、弱さとはそもそも身勝手な欲望から発しているものである、ということにも気づくはずです。私たちは、自分の心を高めることによってのみ上昇し、克服し、達成します。そして、その努力を怠ることによってのみ、弱さ、絶望、苦悩の中に溜まり続けるのです。」

「人間は、もし成功を目指すならば、自分の欲望のかなりの部分を犠牲にしなくてはならないのです。私たちは、犠牲を払うことなくしては、いかなる進歩も成功も望めません。

私たちの成功は、私たちがその達成をどれだけ強く決意し、その計画の上にいかに強く心を固定するかに加えて自分の欲望をどれだけ犠牲に出来るかにかかっています。そして、私たちが自分の心を高めれば高めるほど、より高く、より公正な人間になればなるほど、私たちの成功は、より大きな、より祝福された、より持続的なものとなります。」

「宇宙は、たとえ表面的にはどのように見えようと、貪欲な人間、不正直な人間、不道徳な人間を決して援助することがありません。宇宙は、慎み深い人間、正直な人間、清らかな人間のみを支え、援助するのです。」

自らの内にある欲望を抑え、真の人格を高める時、また最善の努力をする時、自らの弱さを克服し、目標を達成するようになると教えています。

Kaihoukoukou01沖縄県の代表的な進学校の一つ開邦高校の校舎の壁に以前次のようなモットーが掲げられていました。

「人格を磨けば、学力は向上する」

とても感銘を受けました。アレン氏の理念と同じ基盤に立つ考え方です。それは真実だと思います。

真の成功の鍵は、自らの内なる貪欲を捨て去り、慎み深い人間、正直な人間、清らかな人間となるよう最善を尽くしつつ、あらゆる可能性に勤勉かつ果敢に挑戦していくことです。まさに自らの人格を高めることです。

私たち凡人にはかなり大きなチャレンジですが、真にめざすべき大切な目標だと思います。

「思いと目標2」

Jamesalen01ジェームズ・アレン特集第十一弾です。彼は次のように語っています。

「疑いや恐れは、いかなる達成にも役に立ちません。それらは、私たちを常に失敗へと導こうとします。疑いや恐れを克服することは、失敗を超越することです。それらが克服された時、人間の思いは強力なパワーで満ち溢れます。」

「どんなに弱い人間も、自分自身の弱さを知り『弱さは持続的な鍛錬によってのみ開発される』という真実を信じた時から、奮闘・努力を開始します。虚弱な肉体を持つ人間が、それを忍耐強いトレーニングによって強化できるように、虚弱な心を持つ人間も、それを正しく力強い思いを意識的にめぐらし続けることによって強化できるのです。」

私たちの肉体には人間であるゆえの限界がありますが、心の力、思いの力、信仰の力には限界がありません。そしてそれは鍛錬によって強くすることができると教えています。そしてその思いの力と対極にあるのが、疑いや恐れです。

まさに聖書の教えと一緒です。聖書には次のように記されています。

「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。」(ヤコブ1章5節)

私たちは、日々の生活の中で何か良き事柄、価値のあることを行おうとするとき、そしてそれが自分にとって初めての経験であったり、大きなチャレンジを要するような課題であったりすると、前述の疑いや恐れから、アクセルを踏みながらも同時にブレーキを踏んでいるような状況にある場合が多いのではないかと思います。

私にも沢山思い当たる節があります。

思いの力により、それらの疑いや恐れを振り払いチャレンジするとき、アレン氏が言うように内なる能力をフルに発揮することが出来るようになるのでしょう。以下のすばらしい詩をかみしめながら、自らの無限に秘められた内なる能力を解き放つことができるよう頑張りましょう。

     「思い」

         ウォルター・D・ウォルトン

もし自分でだめだと思えばだめになってしまう。
しかし自分は違うんだと思えば頑張ることもできる。
勝ちたいのだが勝てそうもないと思えば十中八、九は勝てない。
初めから負けると思っていれば絶対に勝つことはできない。
この世のことに限らず、成功、不成功はすべて人の思いから始まる。
すべては思い次第である。

この世にはその第一歩を踏み出す前から敗れているレース、
仕事にかかる前から失敗している臆病者がなんと多いことか。
大きな思いは行ないを向上させ、小さな思いは人を萎縮させる。
自分には何ができ何をしたいのか、すべては人の思い次第である。
自分をすぐれた者と思えばそのようになる。
自らを高めるためにはそのような思いを抱かなければならなくなる。
賞を得たいと思えば自分にはまずその確信がなければならない。
人生の戦いは必ずしも強い者、早い者が勝つのではない。
最後の勝利者となるのは、いつも自分にはできると考えている人である。

2011年12月10日 (土)

「最も大切な奉仕の機会は、最も都合の悪い時にやってくる」

F2ディーター・F・ウークトドルフ氏は、次のように語っています。

「救い主には、生涯を通じて、御自身のための時間はほとんどありませんでした。きっと疲労と心労をしばしば感じられたことでしょう。それでも時間をかけて、病気の人、悲しんでいる人、見捨てられた人の世話をされました。」(2008年11月号『リアホナ』)

Healing_blind_man01ある指導者は「最も大切な奉仕は、最も都合の悪い時にやってくる」とおっしゃいました。

ウークトドルフ氏がおっしゃるように、イエス・キリストはどのような都合の悪い時にも、人々の必要を満たすために自らの必要をわきにおいて全身全霊を込めて、立ち働かれました。

私自身もそうですが、二つの仕事を抱えていたとき、多くの奉仕のチャレンジが来る中で厳しい選択を迫られる時がよくありました。そして時には自らの「良心」の声に応えられないで、しょげてしまうこともありました。もちろん今でもそうです。でも、常にキリストの模範に心を向け、自らに語りかける「良心」の声に耳を傾けつつそれを心に留めて、同じように行えるよう努めたいと切に願っています。

「疲労と心労をしばしば感じ」ながらも「病気の人、悲しんでいる人、見捨てられた人の世話を」すること、これは私のような凡人にとってはとてつもなく大きなチャレンジですが、少しでも実行できるよう頑張りたいと思っています。

聖書には次のように記されています。「 主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」(Ⅰヨハネ3章16節)

今の私たちが、兄弟や友のために命を捨てることは通常では考えられないことかもしれません。

ただ、「兄弟のためにいのちを捨てる」=「最も都合の悪い時にやってくる奉仕の機会に応える」と考えると、簡単ではないにしても、不可能でもなさそうです。

それはもしかしたら今の世が抱える様々な霊的な病を克服する、最も良い解決の鍵なのかもしれません。

Volunteer01今回の東日本大震災に際して、何十万人もの方々や特に若人たちが、被災者の方々の悲しみや心の痛みを自らの悲しみ、痛みとしてボランティア活動に携わりました。

本当に感銘を受けました。そのような方々がいる限り、日本は大きな再生と変革、大きな成長の十分な可能性と力を内に秘めているのだと確信しました。

彼らはまさに、「疲労と心労をしばしば感じ」ながらも「病気の人、悲しんでいる人、見捨てられた人の世話を」真心込めて行ったのです。

2011年12月 9日 (金)

「思いと目標1」

Jamesalen01ジェームズ・アレン特集第十弾です。彼は次のように語っています。

「人間を目標に向かわせるパワーは、『自分はそれを達成できる』という信念から生まれます。疑いや恐れは、その信念にとって最大の敵です。」

「私たちは、人生の目標を持たない時、つまらないことで思い悩んで、余計な苦労を背負ってみたり、ちょっとした失敗で直ぐに絶望してしまう傾向にあります。

人間は、理にかなった人生の目標を心に抱き、その達成を目指すべきです。その目標に、自分の思いを集中して向け続けるべきです。たとえ、その目標の達成に繰り返し失敗したとしても、それを通じて身に付けることの出来る心の強さは、真の成功の確かな礎として機能することになります。」

私たちの究極の目標は、端的に表現するならば、「自らの良心の声に聞き従い、真の喜びと成長そして真の幸福を得ること」だと思います。その目標から決して目をそらさず、思いを集中させて努力し続けるならば、決して道をそれることはありません。

Dealcarnegie1

多くのつまづきを経験したとしても、それはアレンが言うように「真の成功の確かな礎として機能する」ようになります。

失敗を恐れず、自らの内なる「良心」の声に忠実に従い、自らを信じて、疑わず、恐れず、多くの良き事柄に積極果敢にチャレンジしましょう。

「人は自分で不可能だと思わない限り、決して敗北しない」(ディール・カーネギー)のです。

2011年12月 8日 (木)

「思いと健康2」

Jamesalen01ジェームズ・アレン特集第九弾です。彼は次のように語っています。

「けがれた思いは、たとえ行動に移さなくても、神経系統をずたずたにしてしまいます。強くて清らかで幸せな思いは、活力に満ちた美しい肉体を創り上げます。心の中で繰り返しめぐらされた思いは、それが良いものでも悪いものでも、その内容に応じた結果を、肉体内で確実に発生させているのです。

綺麗な心からは、綺麗な人生と綺麗な肉体が創られ、けがれた心からは、けがれた人生とけがれた肉体が創られるのです。いくら食生活を改善しても、自分の心を改めようとしない人間には、ほとんど効果ないのです。」

「綺麗な思いは、綺麗な習慣を創り出します。自分の心を洗わない聖者は、聖者ではありません。自分の心を強化し、浄化した人間は、その時から、もはや病気とは無縁になります。あらゆる生命体に対する深い思いやりと共に毎日を生きる人間は、大いなる安らぎがもたらされます。」

まさに真理を言い当てていると思います。私たちのような凡人には簡単なことではないかもしれませんが、アレンの助言に従って、私たちも心と思いを聖めましょう。それが真の健康と美しい女性、ハンサムな男性になるための大切な鍵のひとつかもしれません。

若さと健康を保ち、心身の輝きをさらに増し加えるためにも、私たちの心と思いを聖めましょう。

2011年12月 7日 (水)

「カレブのために立ち上がろう……」

Karebu01チェリル・C・ラント氏は、次のように語りました。

「わたしたちはいつも、人がどのような気持ちでいるかを考えるべきです。……すべての人に親切にするべきです。」

常に行いに示せるかは別として、そのように努めることはとても大切なことだと思います。

今日それに関連したとても心温まる記事を読みました。実話を元にして書かれたすばらしい記事です。皆さんに紹介します。テーマは「カレブのために立ち上がろう……」です。

     エーミー・S・テート
「兄弟愛……を思い起こしなさい。」(教義と聖約4:6)

その日、いつもと変わりなく授業が始まりました。ぼくが自分の席にすわってぼんやりしている間、担任のブラックストック先生は黒板に何か書いていました。

そのとき校長先生が、見たことのない男の子を連れて教室に入って来ました。校長先生がブラックストック先生の耳もとで何かささやいたので、その声を聞こうと、クラスのだれもが静かになりました。

みんながじろじろ見る中、男の子は教室の前に立ちました。着ている色あせたチェックのシャツがだらりと垂れ下がり、ズボンのひざには穴が開いています。前かがみになり、両手をポケットのおくにつっこんだまま、その子はゆかをじっと見つめていました。

校長先生が出て行くと、ブラックストック先生は言いました。「みなさん、カレブ・サンダース君をしょうかいしましょう。カレブくんは最近モンタナから引っこして来ました。ここからかなり遠い場所ですね。カレブ、ルークのとなりの席にすわったらいいわ。」

先生はぼくのとなりの席を指差しました。クラスのみんなは、おどおどした様子で通路を歩くカレブをながめていました。

ブラックストック先生が黒板の方に向き直ると、教室中にささやき声が広がりました。何人かは、カレブの服装について意地悪なことを言っています。「あのおかしなブーツを見てみろよ。」だれかが言いました。

すると調子を合わせて、もう一人の男の子が言いました。
「あのブーツでヒマラヤを登ろうっていうのかい。」

カレブの方にちらっと目をやると、何も書かれていないノートのページを見つめ、鉛筆をにぎりしめながら、じっとすわったままでした。いすの上で居心地悪そうにもそもそ体を動かしているところを見ると、きっとカレブに悪口が聞こえていたのでしょう。

何人かの男の子が大声でくすくす笑ったので、ブラックストック先生は書く手を止めました。

「みんなカレブと話したくてたまらないようね。ではカレブに前に出て来て少し自己しょうかいをしてもらいましょう」と先生は言いました。

みんなは静まり返り、カレブをじっと見ました。ぼくは、カレブがかわいそうになりました。カレブの後ろにすわっている男の子がカレブのいすの背をけり、冷やかしました。「行けよ、山男。」カレブはゆっくりと教室の前に進み出ました。かみの毛がところどころ両目にかかり、歩くときブーツがゆかの上を引きずっています。ぼくの周りの子たちは、またくすくす笑いました。ブラックストック先生がカレブを助けようとしたのは分かっていましたが、カレブをもっと困らせることになっただけのように思えました。

一人の男の子が手を挙げてたずねました。「モンタナのどこに住んでいたの? 岩の下かい?」

クラス中に大きな笑い声が起こりました。今度は、前の列にすわっていた女の子がたずねました。
「モンタナの人たちはみんなあなたみたいな服を着ているの?」

ぼくはいかりがこみ上げ、顔が熱くなってくるのが分かりました。だれかが止めなければ、カレブはこれから先ずっと学校で仲間外れにされるにちがいありません。でも、もしぼくがカレブのかたを持てば、ぼくまでみんなから笑い者にされるかもしれません。

そのとき、ぼくがサッカーチームの入団テストを受けたときお母さんが言ったことを思い出しました。お母さんは、旧約聖書のダビデについて話してくれました。ダビデは兄弟の中でいちばん若かったにもかかわらず、主はダビデを王にお選びになりました。ダビデがどのように見えるかは大切ではありませんでした。人は時々外見で人を判断します。しかし主は心を見られるのです。

ぼくはカレブが助けを必要としていることを知っていたので、手を挙げました。ブラックストック先生がぼくの名を呼びました。カレブは目を上げようとしません。たぶん、ぼくもカレブをからかうと思ったのでしょう。

「モンタナには、すてきなハイキングコースのあるすばらしい公園がいくつもあるって聞いたことがあるんだ。くわしく教えてくれない?」ぼくはたずねました。

教室は静まり返りました。ぼくはまた顔が赤くなるのを感じましたが、カレブはにっこりしました。思いやりのある質問を投げかけられてカレブの緊張がほぐれていくのが分かりました。カレブは、静かな声で話し始めました。

カレブの家族はモンタナにある大きな牧場で暮らしていて、カレブも自分の馬を1 頭飼っていたことを話してくれました。それから、グレーシャー国立公園のお気に入りのハイキングコースについて、また本物のくまに出会ったときの様子について話してくれました。カレブが自分の故郷について話し続けるうちに、ほかの子たちはカレブが出会ったくまや、ハイキングやロッククライミングについて質問し始めました。

放課後、ぼくはだれもバスの中でとなりにすわってくれないのではないかと思いました。リュックをぎゅっとかかえて、バスから窓の外を見つめていると、突然、かたをポンとたたかれました。カレブでした。
「ここにすわってもいい?」カレブははずかしそうにたずねました。Friendshipping01
「もちろん!」ぼくはそう言って、体をずらして席を空けました。

その日、こんなことが起こるなんて思ってもみませんでした。カレブに親切にする勇気を持てたことをうれしく思います。今ではカレブにはたくさんの友達がいます。ぼくもカレブの友達の一人であることをほこりに思っています。

日々の生活の中で、少しでも人がどのような気持ちでいるかを考え、すべての人に親切に出来たら本当にすばらしいと思います。

「思いと健康1」

Jamesalen01ジェームズ・アレン特集第八弾です。彼は次のように語っています。

「病気と健康は、環境同様、心の中でめぐらされる思いの明らかな現れです。病的な思いは、それ自身を病的な肉体を通じて表現します。恐れは、人間を弾丸にも劣らぬ速さで殺すことさえあります。

病気を恐れながら生きている人たちは、やがてそれを実際に手にする人たちです。あらゆる種類の不安が肉体を混乱させ、混乱した肉体は、病気に対して無防備です。」

「病は気から」という言葉がありますが、文字通り、病気と健康は心の中でめぐらされる思いが、具現化したものだと教えています。

ということは、どのような病でも「必ずやよくなる!」という思いをもって、医師との相談と適切な治療および知恵を用いた最善の努力により、状況は必ずや良い改善の方向へ進むことになります。

そしてそれは、私たちの健康全般に当てはめることのできる原則だと説いています。

常に前向きな思いを持ち、知恵を用いて食生活に気をつけ、そして適切な運動を心がけながら努めるならば、私たちはさらに健康になれるでしょう。

2011年12月 6日 (火)

「まず、自分自身を変える」

Robertkiyosaki21「金持ち父さん貧乏父さん」の著者で、世界的に有名なロバート・キヨサキ氏は次のように語っています。

「もし、自分に問題があると気づけば、自分のことなら変えられるし、何かを学んでより賢くなることもできる。たいていの人が自分以外の人間を変えたいと思う。でも、よく覚えておくんだ。他の誰を変えることよりも、自分自身を変える方がずっと簡単なんだ。」

人間関係をよりよいものにしていくに当たって、最も大切な成功の鍵のひとつが、キヨサキ氏がいう「まず、自分自身を変える」よう最善の努力を尽くすことだと私も思います。

真の喜びを得て周りの人に幸福をもたらす鍵は、まず自分自身が変わることです。

自らをより良く変えるに当たって、まず自分に出来るところから実行するなら、必ずや自分自身を変えることが出来るようになるでしょう。自分を変えることの出来る人は、必ず周りの人によりよい影響を与えることができるようになり、幸せにすることができるようになるのです。

それは、私たちのような凡人にはもちろん簡単なことではありません。しかしながら、ヒーバー・J・グラント氏は次のように語っています。

J4「自分の理想通りに生活している人はいないと思う。しかし、毎日進歩するために、能力の限りを尽くして奮起し、やり続けるならば、私たちは本分を果たしているのである。欠点を直そうとするに当たって、光や知識や英知、そして何にも増して『みたま』を神に求めることのできるような生活をするならば、欠点を克服できるであろう。」

簡単でなくても「能力の限りを尽くして奮起し、やり続けるならば」可能だと教えています。

まず自らを変えられるよう頑張りたいと思います。

「能力の上限を引き上げてチャレンジする精神」

Harimoto011959年にプロ野球球団・東映フライヤーズに入団した張本勲氏は、日本ハムファイターズ、読売ジャイアンツ、ロッテオリオンズの各球団で、「安打製造機」という異名を取るほどヒットを量産し、通算安打3085本という、球界史上に輝く記録を打ち立てました。

1試合で3安打以上を記録することを「猛打賞」と言いますが、張本氏は23年間のプロ生活で、計251回の猛打賞を達成しました。これは川上哲治氏の194回を抑え、プロ野球歴代1位の記録です。

固め打ち(たくさんヒットを打つこと)の極意とは?と聞かれても、「極意なんかない。あるのなら私が教えて欲しい」と張本氏は語ります。あえて答えを探せば、「必死さ」であり「忍耐」であり「しつこさ」だと言います。

今日はヒットを3本打ったからもう満足。そう考えるバッターがいたら、それは「バッター失格」である、と張本氏は語っています。

「必死さ」「忍耐」「しつこさ」そして「常に自らの能力の上限を引き上げてチャレンジする精神」これこそが、張本氏を日本一のバッターに成長させた鍵のように思えます。

私たちもそのような精神を持ってすべての事に当たれたら本当に素晴らしいと思います。

2011年12月 4日 (日)

「霊の糧、心の糧」

4エセル・G・レイノルズは自分の夫であるジョセフ・フィールディング・スミスについて、次のように語っております。

「子供が病気になると、苦しむこの子をやさしくみまもり、看病します。子供たちが泣いて求めるのは父親であり、病気の子供たちにとっては父親こそ万能薬なのです。傷に包帯をする父親の手、苦しむ者に勇気を与えるその腕、子供が過ちを犯したときにやさしくいさめる声、そのような父親に恵まれた子供たちは、父親を喜ばせることをするのが自分たちの喜びであることを知るようになるのです。」

愛する子供たちをやさしく、親の愛情を持って教え導き、諭すようにいつも心がけて子供に接するとき、親の望んでいることを行い、親の喜ぶことを行うことが子供たちの望みとなり喜びとなります。

このような家庭で育つ子供たちは、父親や母親の歩んだ道を歩むようになります。父親と母親の教えを大切に心にとどめ、それに沿った道を歩むことにより、祝福にあずかる者となるのです。

レイノルズは、そのように教えているのだと思います。凡人の私たちには、そう簡単にできることではないと思いますが、めざすべき素晴らしい模範であり理想です。

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両親の愛ある模範は、子供たちにとってこの上ない「霊の糧、心の糧」となり、自らの心の光すなわち良心に従って歩む力を得ることでしょう。

良い親に養い育まれる子供たちは、親の道を歩むようになり、父と母を敬い、その子孫にも影響を与え、誉れある良き父母として尊ばれるようになるでしょう。

ハワード・W・ハンターは、次のように語っています。

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「父親としてあるいは母親として立派であることは、……高い地位に就くよりもはるかに大切なことである。家庭は決まりきった仕事に追われる、たいして意義のないところであるかのように思われることが時折ある。しかし、家庭を実りある場とすることは人生で最高の仕事である。」

まさにその通りだと思います。

家庭こそが、人としての徳を学び、また人々の幸せのために奉仕する力を得、そこから得られる喜びや祝福すなわち「霊の糧、心の糧」を得る最良の場なのです。

「宇宙(天)は常に公平」

Jamesalen01_2ジェームズ・アレン特集第七弾です。彼は次のように語っています。

「宇宙は、私たちがめぐらす思いの具現化を、常に援助してくれています。私たちが良い思いをめぐらそうと、悪い思いをめぐらそうと、それを最も速やかに具現化させるための好機の数々が、私たちの前に休みなく現れ続けているのです。

もし私たちが、意地悪な思いを捨て去ったなら、その時から世界中が私たちにやさしく接し、私たちを援助し始めることになります。

もし私たちが、病的で弱々しい思いを放棄したならば、私たちの強い決意を援助すべく、あらゆる好機が湧き上がってくるでしょう。

もし、私たちが正しい思いのみめぐらし続けたならば、例えいかなる不運であっても、私たちに悲しみや辱めを与えることはできなくなります。

あなたの環境は、あなた自身の心を映す万華鏡です。」

アレンは「宇宙は」という言葉を用いていますが、それを「天は」に直したらさらに良く理解できるでしょう。天は私たちの正しい望み、正しい思い、正しい信念や信仰によってすべてをよき物に変え、不可能を可能にする力を私たちに与えます。

すべては、私たちの清い思い、強く正しい望みのままに変えることが出来ると教えています。

時折り、正しくない強い動機によって、人は一時的に成功と呼ばれる誉れや富を手にすることがあるかもしれませんが、長い目で見ると決して長続きすることはなく、結局真の幸福とは縁のない結果を手にすることになります。

人は結局自らの心の思いが蒔いたものを刈り取ることになるということは真実だと思います。

常に、良き動機、人々の幸福を願う正しい思いや望みを持って自らの可能性にチャレンジするように努めましょう。そうするときに自他共に幸福になる夢が実現すると確信しています。

「思いと環境3」

Jamesalen01ジェームズ・アレン特集第六弾です。彼は次のように語っています。

「良い思いや行いは決して悪い結果を発生させませんし、悪い思いや行いは決して良い結果を発生させません。これは、トウモロコシからはトウモロコシ以外のものは決して成長しないこと、あるいは、イラクサからはイラクサ以外のものは決して成長しないことと同じくらい明らかなことです。

この法則が自然界の中で機能していることは、誰もが知っています。でも、それが個人の人生の中でもまったく同じように機能しているという事実を認識している人は、とても少数です。苦悩は、常に何らかの方面の誤った思いの結果です。喜びは正しい思いの結果であり、苦悩は誤った思いの結果なのです。」

まさにその通りだと思います。良い思いや行いは、人を必ずや喜びや幸福、成長・成功へと導きます。啓発の書にも次のように記されています。

「創造の前に天において定められた不変の律法があり、すべての祝福はこれに基づいている。すなわち、神から祝福を受けるときは、それが基づく律法に従うことによるのである。」(教義と聖約130章20~21節)

すべての祝福はそれを得るための律法・法則に従うことによってもたらされると教えています。

試験に合格するためにはそれなりに一生懸命勉強する必要がありますし、健康になるためにはバランスのよい食事や敵的な運動が必要です。そして幸せになるためには幸せになるために良い思いや行いが必要です。

この簡潔な真理を本当に理解して実践するならば、人は必ずや幸せになり、豊かな祝福に与れるようになるでしょう。

2011年12月 2日 (金)

「ハンディを成功のバネに……」

Harimoto01

昭和56年に野球選手として現役を引退するまで超人的な活躍を続け、3085本という通算安打日本記録を樹立した張本勲氏は、シアトルマリナーズのイチロー選手に日米通算安打を3086本と更新されるまで、日本プロ野球界に君臨し続けていました。

その傑出した記録を打ち立てた張本氏は、人知れぬハンディを抱えていました。

昭和15年に広島市で産まれた張本氏は、4歳の頃に友達と焚き火を囲んでいたところ、後方不注意のまま後進してきた1台のトラックに押されて、焚き火の中に突っ込み、右半身に大きな火傷を被ってしまいました。その火傷により、右手の薬指と小指は癒着して離れなくなり、また右手の親指と人差し指も内側に曲がったまま、二度と戻らなくなってしまったのです。

しかしながら、この大きなハンディをものともせず、プロ1年目には打率.275、13本塁打で新人王を獲得しました。さらにその勢いはとどまらず、4年連続を含め7度の首位打者、打率3割以上を16度マークなど数々の記録を刻み続けましたが、それほどの活躍を見せ続けていた現役中は、ハンディを負った右手を、絶対に他人に見せなかったそうです。

真実を知ったテレビ局が「撮影させてほしい」と言ったときも、頑として断わり続けました。NHKで解説を務めていた「打撃の神様」こと川上哲治氏だけには、唯一その右手を見せたそうですが、川上氏は「よくぞ、この手で…」と絶句して涙ぐんだというエピソードが語り継がれています。

野球のプレーにおいて、たとえ何らかの影響があったとしても、「右手のせいでそうなった」とは言いたくなかったからだ、と張本勲氏は述べています。

自らのハンディをも乗り越え、大きな偉業を残した張本氏の強い心を私たちも見習いたいものです。

「思いと環境2」

Jamesalen01ジェームズ・アレン特集第五弾です。彼は次のように語っています。

「自分の心をしっかりと管理し、人格の向上に努めている人たちは、『環境は思いから生まれ出るものである』ということを熟知しています。なぜならば、既に彼らは、環境の変化と心の状態の変化が、常に連動していることに気づいているからです。人間は、自分自身の人格的な欠陥を意欲的に正し、進歩を遂げたとき、それに見合った環境の変化を体験することになります。心は、それ自身が密かに抱いているものを引き寄せます。それは、それ自身が本当に愛しているもの、あるいは恐れているものを引き寄せるのです。」

「私たちは、自分の環境を直接はコントロールできないかもしれません。でも、自分の思いは完璧にコントロールできます。よって、私たちは間接的に、自分の環境をコントロールすることが出来ます。」

環境が人を作るのではなく、人がその思い(信念や信仰)によって環境をより良いものにすることができると教えています。

「できる!」と信じて行動するなら、物事は必ず良い方向へ動きます。

喜びと幸福に満ちたより良い方向へ動かしましょう!

2011年12月 1日 (木)

「思いと環境1」

Jamesalen01ジェームズ・アレン特集第四弾です。彼は次のように語っています。

「もし素晴らしい人生を送りたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、その後に清らかな正しい思いを植えつけ、それを育み続けなくてはなりません。」

「私たちは、進歩し、進化する生き物であり、どんな時にも自分が学び、成長を遂げるために最適な場所にいます。そして、もし私たちが、ある環境で必要な学習を積んだならば、その環境は間もなく、次の新しい環境に取って代わられることになります。」

私たちが常に高い志に基づく清く正しい思い、自らの心の声(良心)にかなった義しい望みを持ち、たゆまず努力し続けるならば、それに応じて喜びや幸福、成長・成功という新しい大きな祝福を得られる環境が与えられると教えています。

天がそのように道を開いて下さるのです。

清く正しい思いと望み、自らの良心に従った飽くなき努力は必ず報われます。

そう確信しています。

「他者に対することが、自分に返ってきます」

Funaiyukio01『本物時代の到来』の著者船井幸雄氏は、その著書の中で次のように語っています。

「他者に対することが、自分に返ってきます。与えられたら与えられるし、奪ったら奪われるということが間違いのないことのようです。自分が他者に与えるものしか、自分も受け取れないのです。」

人に分け与えることが出来るもので、自分の持てる良きものを、それがどのようなものでも、それを必要とする周りの人に分かち合いましょう。

もし、それを人知れず行うことが出来るとしたら、本当にすばらしい祝福を周りの人々のみならず、自分自身にももたらすことが出来るようになるでしょう。

「情けは人の為ならず 身にまわる」(世話尽)

「情けは人の為ならず 巡り巡って己が(自分の)為」

という諺がありますが、まさにその通りです。

とても心温まる詩を見つけました。人知れずに心からの愛を周りの人々に分かつことの大切さを教えています。「人知れず咲く花」という詩です。

 「人知れず咲く花」

1.人知れず 野に咲く
  花の   うるわしさ
  なにゆえに  香るや
  吹く風も 知らず
  隠れし 行い
  天なる 父ぞ知る

2.右の手の なすこと
  左手に  告げず
  忘れられし 人に
  注ぐ愛の 深さ
  隠れし 行い
  天なる 父ぞ知る

3.人の世に あれども
  心は 主にあり
  慈悲あふる 行い
  世の光と なれ
  隠れし 行い
  天なる 父ぞ知る

大きなことは出来ないかもしれませんが、周りの人々のために、小さくて簡単なことをひそかに心込めて実行できるようになりたいです。

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