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2006年6月 7日 (水)

ひめゆり学徒隊-永遠に安らかなれ

Himeyurinotou1_1 去る大戦において、米軍の沖縄上陸作戦が始まった昭和20年3月23日深夜、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の学徒222人、教師18人の総勢240人は、南風原の沖縄陸軍病院に配属されました。

また、他地域でも学徒80人、教師3人が在地部隊に動員されて戦線に組み込まれました。

3月26日、米軍は慶良間列島に進攻し、4月1日には沖縄本島中部西海岸に上陸。

米軍の南下に伴って日本軍の死傷者が激増し、学徒たちは送られてくる負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、死体埋葬に追われ、仮眠を取る間もなく献身的に立ち働きます。

5月下旬米軍が迫る中、学徒たちは日本軍とともに陸軍病院を出て南部へ敗走。

各地の野戦病院も本島南端部に撤退しました。

すでに壊滅状態となっていた日本軍は、6月18日、喜屋武半島の激しい砲爆撃の続く戦場の真っ只中で、学徒隊に解散命令を下したのです。

突然の「解散命令」に絶望した学徒たちは、米軍が包囲する戦場を逃げ惑い、ある者は砲弾で、ある者はガス弾で、そしてある者は自らの手榴弾で命を失いました。

陸軍病院に動員された教師・学徒240人中136人、在地部隊その他で90人が亡くなりました。

15歳から19歳のうら若き乙女たちが、愛する郷土のため、愛する人々のため、想像を絶する地獄の鉄の暴風雨の中、不眠不休で献身的に立ち働き、ついには自らの命をも捧げました。

将来の夢や希望をすべて打ち砕かれながらも、清廉な思いと決意で自らの身を捧げた彼女らを思う時、本当に胸が詰まります……。

米軍は沖縄戦を日本本土攻略の拠点―不沈空母として確保する最重要作戦と位置づけ、対する日本軍は米軍の日本本土上陸を一日でも遅らせるために持久作戦をとりました。

沖縄を守備するため、日本軍は玉砕方針で沖縄戦に臨むこととなり、県民の根こそぎ動員を企てると同時に、学徒隊を編成して生徒たちの戦場動員を何ら法的根拠もなく強行しました。

持久作戦、根こそぎ動員は、12万人余にのぼる沖縄住民の本当に悲惨な犠牲をうみました。

私は一軒家を借用して家族と共に住んでいますが、その大家さんは全盲のおばあちゃんです。

あの、「解散命令」の後、戦場を逃げ惑う中、失明しながらも奇跡的に一命を取り留めた元ひめゆり学徒のひとりです。

とても優しい働き者のおばあちゃんです。

家を訪れる方々が、気持ちよく過ごせるように、目は見えずともいつも家の内外をきれいに整えます。

屋敷は緑に囲まれ心癒される空間ですが、落ち葉は半端ではありません。

毎朝、まさに膝をつき手探りでその落ち葉を取り除き、屋敷をきれいに保ちます。

私の子供たちも含めて周りの方々への細やかな気遣いから、おばあちゃんが目の光は失っても、心の光は温かく健在であることがよく分かります。

でも、おばあちゃんの戦後も決して終わりがありません。

愛する友を失った悲しみそして心の傷は決して癒えることはないのです。

私たちの愛する人々からすべてを奪う戦争を二度と繰り返してはなりません。


「庭掃除 膝つき手探り 落ち葉取り 全盲のオバー 元はひめゆり」

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