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2006年6月

2006年6月26日 (月)

逆境下で花を咲かせる福寿草

fukujuso01.jpg私は、一生懸命咲いているすべての花が大好きです。

名も知らない野や道端に咲いている花でも、一生懸命咲き、その命を輝かせている様子には本当に心惹かれ心癒されます。

その中でも厳しい寒さの中精一杯美しい花を咲かせる「福寿草」の花は、特に心惹かれる私の大好きな花のひとつです。

「福寿草」は、キンポウゲ科フクジュソウ属の多年草。

別名元日草(ガンジツソウ)、北国ではマンサクとも呼ぶことがあり、旧暦の正月(2月)頃咲き出すことから、新年を祝う花・縁起の良い花として喜ばれ、「福寿草」という名がついたといわれています。

その花言葉は、「最上の愛情」、「永久の幸せ」、「幸せを招く」、「思い出」です。

福人草、福徳草、福神草、長寿草、長春菊、長寿菊、富士菊、賀正蘭、満作車とも呼ばれているこの花は、めでたい花とされ多くの人々に愛されています。

長く厳しい冬、凍り付いた地面を割るように芽を出し、可憐な花を咲かせる福寿草。

「最上の愛情」「幸せを招く」との花言葉を持つこの健気な花を見ていると、次の啓発の書の一節が思い起こされます。

「慈愛は長く堪え忍び、親切であり、
 ねたまず、誇らず、
 自分の利益を求めず、容易に怒らず、
 悪事を少しも考えず、罪悪を喜ばないで真実を喜び、
 すべてを忍び、すべてを信じ、
 すべてを望み、すべてに耐える。」

愛をもってすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐え、一生懸命に花を咲かせる福寿草の姿が、昨日の「義足のマラソンランナー」と重なり、とても感銘を受けます。

そのような「最上の愛」を持って生きる一生懸命な姿こそが、自他共に「永久の幸せ」を招き、もたらす力強い鍵なのかも知れません。

花々からいつもたくさんのことを学びます。/p>

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第98回コスモス文学ノンフィクション部門で新人賞を受賞したこの作品「沖縄の元気オジー・オバー、父・母バンザ~イ!! &サンキュー39」は、デジタル書籍として購入できます。是非お読み下さいね。
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2006年6月25日 (日)

義足のマラソンランナー

Suisen001 沖縄県那覇市出身の島袋勉さんという両足義足のマラソンランナーがいらっしゃいます。

20才の若さで会社を創業するという積極果敢な心の持ち主です。

2001年4月38才の時、千葉県船橋市の踏切にて電車事故に遭い、両足膝下から切断してしまうという過酷な経験をします。

2日間も昏睡状態が続き、意識を取り戻してからも若干の記憶障害で苦しみました。

船橋市立医療センターでの入院可能期限も迫っていたなかで、長野県に住んでいた妹夫婦の計らいもあり転院先を長野県の病院と決めました。

早速、長野県障害者ハビリテーションセンターに電話。

電話口に出られたのは池田さんという方で、こちらの事情と条件を電話で話すと、それこそ懇切丁寧に応対してくれたそうです。

電話とは言え、この方なら絶対に兄の力になってくれると直感したと妹さんは言います。

条件と言えば、院内に義肢装具室があること。

今後の装身具の調整時間を短縮するためです。

5月初旬、電話でしか話してないあの池田さんに合うことになりました。

ところが、妹の智美さんはその池田さんにお会いして大変驚きました。

なんと目の前に現れた池田さんは、全盲だったのです!

池田さんは、全盲という大きなハンディを負いながらも、いつも真心込めて患者さんに対応し、テキパキと仕事をこなしていらっしゃいます。

島袋さんが長野に転院して来たのが5月9日。事故から、1月程過ぎてからのこと。

池田さんのそれこそ力強いサポートに支えられて、島袋さんも真剣にリハビリに取り組みました。

6月には、平行棒での訓練。

7月には初めての外出。

毎朝6時に起きると1階から3階までの階段で猛練習です。

もの凄いスピードでリハビリをこなし、周りも驚くほどの回復ぶりです。

そして短期間で走れるまでになったのです。

無茶なことと思えることにあえて挑戦するのが島袋さんのやり方。

「無理だから挑戦するんだ。そうすることによって心と体の回復につながり、会社再建にもつながる力を得られる」と本人は言います。

2004年11月41才の時、両足義足で初の3キロトリムマラソンに出場し、みごと完走!

なんとその1カ月後の12月には、ホノルルマラソン(42.195キロ)に出ると言うのです!

周りの反対も押し切り、病弱な母まで連れてホノルルへ。

そして完走してしまったんです。

記録は12時間59分29秒でした。

恐ろしいほどの気力、凄まじいほどの執念です。

これはまさに奇跡でした。

マラソン中は、島袋さんを3人の方が伴奏しました。先頭は妹さん、左右には妹さんの夫と友人です。

両足とも義足なので、2時間毎に取り出して汗を吹き取り、氷で冷やします。

並大抵の気力では持ちません。

ゴールでは、彼の母親が待っていました。

彼の両足切断の事故を誰よりも狂おしいほどに心を痛め、将来を案じていた母親です。

ゴールの瞬間は、まさに感激、感激、感激! 涙、涙、涙!の瞬間でした。

島袋さんは、自分の事故のことで一番苦しんでいた母に、一番安心し喜んでもらいたいと思って、苦しいリハビリに果敢に取り組み、自らに課したマラソンという過酷なチャレンジをまさに母親への愛と執念で克服したのです。

エドマンド・バークは、次のように語っています。

「困難とは厳しい教師である。またそれは親のような守護者であり、立法者でもあられる御方の最高の律法により定められたものであり、その御方は、私たち以上に私たちのことを知り、私たちを愛しておられる御方である。私たちと苦悶を共にするその御方は、私たちの勇気を高め技量を磨いて下さる。私たちに刃向かうこの困難こそ、私たちを助けてくれるものなのだ。」

どのような苦難にもひるまず、真正面からチャレンジしていく島袋さん。

今後もあらゆる困難をすべて乗り越え、周りの方々へ勇気と希望を与え続けることでしょう。

私も心から応援しております。

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2006年6月22日 (木)

家習る外習(ヤーナレールフカナレー)

umitosora30.jpg 沖縄の黄金言葉に「家習る外習(ヤーナレールフカナレー)」というのがあります。

直訳すると「家での習いが外での習い」すなわち家庭での行いや習慣は、外に出たときにあらわれるという意味です。

家庭においてきちんとしつけられた子供は、どこにあってもきちんとした行動が取れるようになり、周りに対する心遣いや配慮が自然にできるようになります。

特に礼儀作法は家庭で学び身につけるべきことであり、十分な配慮が欠けてしまうと、日常事だけにその家の教育程度を窺い知られてしまうことになりますよとの忠告が込められています。

親はよくよく子供をしつけ、子は親の忠告を良く心に留めて日頃から良い習慣を身につけましょうという家庭教育の大切さを説いた黄金言葉です。

6人の子供を抱える私にとっては、本当に大きなチャレンジです。

ところで、この「ヤーナレールフカナレー」に関するおもしろいエピソードを聞きました。

先日の父の日を前に、小学校の教師をしている私の姪がちょっとした失敗をしてしまった際のお話です。

彼女は、父の日に備えて子供たちに書かせたお父さんの似顔絵入りのお手紙を、金曜日に子供たちに持たせるのを忘れてしまったのです。

金曜日の晩、思い悩み色々考えてから、彼女は翌日の土曜日に生徒の家を一軒一軒廻り、お詫びも含めてそのお手紙を届けることにしました。

一人の女の子の家を訪問したときのことです。

「先生また失敗してしまったさ~。さゆりちゃんごめんね~。」

するとその子何のためらいもなくいわく、

「先生、こんなのしっぱいってはいわないよ~。また、しっぱいはせいこうのもとっていうでしょ。気にしない気にしない。先生みんなの家あまりよくわからないでしょ。私がいっしょにまわってあげるよ~。」

お母さんの許可をいただいて一緒に一軒一軒廻ることになったのですが、道々運転している姪のそばで書類を広げ、不慣れな姪にしっかり道を教えてあげたとのことです。

「先生、次は~~のお家でしょ。このちかく、あっ! あの角を右だと思うよ。」

おかげで、楽しくスムーズに全員の家を無事廻ることができました。

とても助かりまた感心した姪は、マクドナルドでその子にご馳走してあげたのですが、その際も、

「さゆりちゃん、もっと食べたいのな~い? たくさん注文してもいいよ。今日、先生本当に助かったから……」

するとその子いわく、

「先生、本当にいいの? じゃ~私はいいけど、お姉ちゃんに持っていってもいい? お姉ちゃんいつもはうるさいけど、なかなかやさしいから……。」

「もちろん、いいよ!」と姪。

姪が言うには、その子は、いつも明るく賢く前向きで、なおかつ周りの誰に対しても優しい心配りができる本当に頼りになる子だそうです。

父親や母親の愛情たっぷり込めた日頃の家庭での教育が、とてもしっかりとしたものであることがよく分かります。

「ヤーナレールフカナレー」まさにその通りです。

わが家も腕白坊主たち相手にもう少し真剣に取り組まなければなりません……(^_^;)

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2006年6月21日 (水)

今のひとときを大切に…

Kibarengyo004 含蓄のあるとても素敵な詩を見つけました。

タイトルは分かりませんが、時間を大切に用い、今のひとときを精一杯生きることの大切さを説いています。

どうぞじっくり味わって下さい。

1年の価値を知るには
卒業試験に落ちた学生に 聞いてみなさい

1カ月の価値を知るには
未熟児を産んだお母さんに 聞いてみなさい

1週間の価値を知るには
週刊誌の編集者に 聞いてみなさい

1時間の価値を知るには
会うのが待ちきれない恋人達に 聞いてみなさい

1分の価値を知るには
電車やバス、飛行機に乗り遅れた人に 聞いてみなさい

1秒の価値を知るには
事故で生き残った人に 聞いてみなさい

千分の1秒の価値を知るには
オリンピックで銀メダルを獲った人に 聞いてみなさい

時間は待ってくれません
あなたの持っている全ての時間を大切にしなさい

トーマス・ドライヤーも次のように語っています。

「豊かな未来を作るという信念は、
 豊かな現在を作るという信念を持たない限り、
 大して価値がない。
 今日こそ、
 常にわれわれの最上の日であるべきだ。」

たとえ「今日」が厳しい苦しい一日であったとしても、ひるまず、なすべき事柄に果敢に取り組み精一杯働くなら、「今日」という日は、振り返ったとき心高められる「昨日」となり、よりよい「明日」を迎える基となります。

今のひとときを大切に精一杯過ごしましょう。

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2006年6月20日 (火)

父の日に寄せて-一人の父親は百人の教師に勝る

Kosumosu001以前紹介した父に関する記事を「父の日に寄せて」と題して琉球新報に投稿したところ採用していただき、父の日の6月18日の日曜日の朝刊の「論壇」に掲載されました。

日頃親父孝行がなかなか出来ない私にとって、父へのささやかなプレゼントになったと少し喜んでいます。

今日はその記事を以下に紹介します。サブタイトルは「一人の父親は百人の教師に勝る」です。

アメリカのある牧場経営者が、自分の小さな息子たちそれぞれに子牛を与え育てさせることにしました。

子供たちは大きな黄色い叫び声を上げ、本当に大喜びします。

自分自身の本物の牛を育てることができるのです。

子供たちは朝も早くから起き、一生懸命自分の牛の世話をします。

ところが、全く要領を得ません。

時々様子を窺っていた隣の友人が、ある日ついに見かねて父親に一言声をかけました。

「お宅のお子さんたちは全く要領を得てはいませんね。あれじゃーだめですよ。」

するとその父親いわく、

「私は牛を飼っているのではなく息子たちを育てているのですよ。ご心配なく。」

私はその父親の言葉にとても考えさせられました。

「お腹のすいた人に一匹の魚をあげれば、それを食べた後その人はまたお腹がすく。しかし、魚の取り方を教えれば、その人は一生自分で食べられるようになる。」

とはよく聞く名言です。

人を支援するに当たって、その人が真の自立へ向かって歩めるように助けることの大切さ―福祉の根本原則を説いたものです。

アメリカの偉大な指導者ジョセフ・スミスも次のように述べています。

「私は、人々に正しい原則を教え、人々に自らを治めさせる。」

本当にすばらしい教えだと感銘を受けました。

幼い頃、私の父は小さな畑を借りていて、一日の仕事を終えて後、毎日のように私たちを連れて畑仕事に精を出しました。

汗と泥にまみれ、疲れる雑草抜きや土興し等は、遊び盛りの私にとってとてもつらい仕事でした。

特に他の友人たちが、みんなで楽しそうに遊んでいる時の畑仕事は、最もつらい仕事と感じられました。

そんな中での唯一の楽しみは、畑を耕す中で出てくる古銭や戦争当時の機関銃・短銃の弾を集めること(危険な弾は後で父に没収されましたが…笑)と、収穫したトマト、キュウリ、トウモロコシ等を思いっきりほおばることくらいでした。

あれから30数年の月日が流れ、私も結婚し、6人の子供たちに恵まれました。

その子供たちがちょうど当時の私と同じ年齢になった今、父と同じことをしている自分に気づきます。

猫の額ほどの菜園で、子供たちと共に土に親しみ、野菜を育てつつ、勤勉、忍耐、責任、倹約の大切さ、生き物への慈しみや自然への感謝、そして共に家族が協力して働くことの尊さを教えているのです。

父は母と協力して、野菜を育てていたのではなく、私たちを育てていたのだと今分かります。

あのアメリカの牧場経営者のように……。

教職に就いていたわけではありませんが、父と母は、私にとって最高の教師でしたし、今も変わらぬ最高の教師です。

ジョージ・ハーバートソンの次の言葉は、私から父と母への心からの賛辞です。

「一人の父(母)親は、百人の教師に勝る。」

そこで一首。

「子や孫と 畑で野菜 育てつつ 人を育てる オジーは教師」

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2006年6月18日 (日)

逆境を成長と奇跡を起こす糧に!

Umitosora37バビロン捕囚の直前、様々な苦難を経験しながらエルサレムからアメリカ大陸へ移住して行った小さなグループがありました。

後にアメリカ原住民-インディアンの祖先の一部ともなった彼らは、神を信じ神を畏れる敬虔なユダヤ人でした。

彼らが記した天よりの導きの記録すなわち神の啓示の書に、次のような興味深い記述があります。

「もし人がわたしのもとに来るならば、
 わたしは彼らに各々の弱さを示そう。
 わたしは人を謙遜にするために、
 人に弱さを与える。
 わたしの前にへりくだるすべての者に対して、
 わたしの恵みは十分である。
 もし彼らがわたしの前にへりくだり、
 わたしを信じるならば、そのとき、
 わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。」

人が神のもとに来る時、神は人にその人が持つ欠点や弱点を示されるが、へりくだり神を信じて最善の努力をする人に恵みを注ぎ、かえってその弱点や欠点を強さに変えられると約束しているというのです。

物事を常に前向きにとらえるつつ、謙虚に努力する人は、自分の最大の弱点を、最大の財産に変える力を持つようになると私も確信しています。

「見えない」「聞こえない」「話せない」の三重の障害を負って生まれたヘレンケラー。

普通の人では到底耐えることが難しい大きなハンディキャップです。

しかしながら、その耐え難い試練・ハンディキャップをもはねのけて、歴史的にも大いなる社会貢献を果たしました。

その彼女が、晩年次のような言葉を残しています。

「自分の弱点をしっかり見つめてその姿を十分に知っておきましょう。でも弱点に支配されてはだめです。弱点から忍耐力と優しい心と物事を見通す力を教わりましょう。本当の教育は知性と美しさと善良さを組み合わせたものです。そしてこのうち一番大切なものは善良さです。私たちができる限りの努力をする時、私たちの人生にどんな奇跡が起こるでしょうか。また他の方々の人生にどんな奇跡が起こるでしょうか。それは誰も分かりません。」

ヘレンケラーの生涯は、最悪の状況から最善の宝を見い出し得ることを世に示し、どのような苦しい厳しい絶望のどん底にあっても、人は希望の光を見いだして、奇跡を起こすことができる、また人が奇跡を起こせるように助けることができる、そのような強さや優しさ、忍耐力、善良さを物事を見通す心の目と共に身につけることができることを証明してくれました。

彼女はさらに次のように語っています。

「私は、自分の障害を神に感謝しています。私が自分自身を見出し、生涯の仕事、
そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです。」 

人の弱さは、へりくだって天に頼り、全身全魂を込めて努力する時、文字通りそれを強きに変え、奇跡を起こすことができると私も信じています。

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2006年6月16日 (金)

私のエッセイ集『沖縄のオジー・オバー…』がデジタル書籍として今日から発売!

第98回コスモス文学ノンフィクション部門で最優秀の新人賞を受賞した私の作品「沖縄(うちなぁ)のオジー・オバー、父・母(とうちゃん・かあちゃん)バンザーイ!! &サンキュー39」がデジタル書籍として「デジタル書房」から発売になりました。

沖縄の明るく元気でユーモアに富んだオジーやオバーたちの、涙や笑い・感動に溢れる日常のエピソードを39首の短歌を添えて短くまとめたエッセイ集です。

このブログでも紹介した記事も含まれています。

皆さまの息子や娘たち、学生・生徒の皆さんにも是非お読みいただきたい、心癒され元気が出て来る作品です。

去る大戦で父や母を失い、子や孫、親族・友人、財産の多くをあるいはすべてを失ったオジーやオバーたち。

その狂おしいほどの絶望、壮絶なまでの飢えや悲惨さをその身で経験し、まさに地獄のどん底から這い上がってきたオジーやオバーたち。

そういう彼らだからこそ、命の尊さ、平和のありがたさ、隣人や家族の心の温もりがいかに人の心を満たし、その傷を癒すものであるかを身に染みて知っています。

それらを基に育み、身につけてきた

「たくましさ」や「勤勉さ」、

艱難・苦難を「ユーモア」や「ウィット」
で笑い飛ばす「底抜けの明るさ」、

ナンクルナイサ(なんとかなるさ)の言葉に象徴される
「将来に希望を持つ楽観的な物の見方・考え方」、

テーゲーヤサ(だいたいで大丈夫だよ)
という言葉で表される「物事にこだわらず悩まない心」、

「相手を赦す心」、

「物事に動じない強い心」、

不当な権威や権力に対する抵抗や「アイロニー」、

「家族や隣人への思いやりやいたわり」、

「幼子のような素直で純朴な心」、

「子や孫の幸福を願う心と祈り」

そして経験や知恵から醸し出される「教え諭す力」は、

珠玉のように輝く彼らのすばらしい特質です。

そのようなオジーやオバーたちの心温まるエピソードを39首の短歌を添えて短くまとめました。

特に若人らが、戦前、戦中、戦後の厳しい時代を立派に生き抜き、沢山の良きものを残し、また与えてくれているオジーやオバー、父や母たちを敬い、その温かな交わりの中からより多くの良き教え・知恵と元気をいただくきっかけになれば本当に嬉しく思います。

詳しくはこちらです。
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2006年6月15日 (木)

粘り強く努力する

Kogiku001 あの有名な映画監督の黒沢明氏がかつて次のように語りました。

「自分が本当に好きなものを見つけて下さい。
 見つかったら、その大切なもののために努力しなさい。
 君たちは、努力したい何かを持っているはず。
 きっとそれは、君たちの心のこもった
 立派な仕事になるでしょう。」

とてもすてきな助言です。

この助言に加え、「粘り強く努力する」ことを信条として心を尽くすなら、必ずや成功と喜びが得られると私は確信しています。

ジェームズ・E・ファウスト氏は次のように語っています。

「粘り強く努力するとは、難しい状況に直面し、他人から『無理だ』と言われてもあきらめないことです。……成功を収めるためには粘り強く努力して、問題にぶつかっても落胆しないことが大切です。」

私たちは時として自らが越えられそうにない問題にぶつかる時、意気消沈して積極的な気持ちを持てなくなりそうになります。

でも、そんな時こそ、踏ん張りの見せ所です。

著述家として名を馳せたポール・ハービーも次のように語っています。

「いつの日か私が世に言う成功者になって、『成功の秘訣は何ですか』と尋ねられたら、簡単にこう答えたいものです。『転んだら起きあがることですよ』と。」

不屈の精神を持って粘り強く努力した人物の一人に、皆さんがよく知っているマリー・キュリー夫人がいます。

ご存じのようにフランス人物理学者である夫のピエール・キュリーと共に、ラジウムの研究に打ち込んだ方です。

資金も、外部からの支援もない中で、雨漏りのする古いあばら家で、瀝青(れきせい)ウラン鉱と呼ばれた品質の悪いウラニウム鉱石からラジウムを分離させる研究を続けていたのです。

ある日、487回目の実験が失敗に終わった時、夫のピエールは絶望して次のように投げやりに言いました。

「これは無理だ。きっと100年はかかる。ぼくが生きている間はできないよ。」

しかしながら、キュリー夫人は、落胆する様子もなく次のように応えました。

「もし100年かかるとしたら、それは残念なことだけど、でもわたしは生きているかぎり何度でも続けます。」

この不屈の精神で研究を続けたキュリー夫人は、その後ついに実験を成功させました。

彼女の粘り強い努力によって、多くの癌患者の方々が恩恵に浴することができるようになったのです。

”Never Give up!”(決してあきらめないで!)

この言葉をモットーに、すべてのことに粘り強く努力し立ち向かいましょう!


2006年6月14日 (水)

オジー&オバーの新聞学問

Panji002 私が、父や母の姿を思い浮かべる時、それぞれに心に浮かぶ4つの姿があります。

まず、父が子供たちや家族のために熱心に畑を耕す姿、古いトタン屋根の家を日曜毎に修繕する姿、会社で熱心に働く姿、そして新聞と「文藝春秋」を読む姿です。

次に、母が同じように家族のために一生懸命家事を切り盛りする姿、ひざまずき手を合わせて祈る姿、病気や問題で苦しむ人々の相談相手になる姿、そして新聞と「主婦の友」を読む姿です。

オジーやオバーは、何をするにも勤勉、しかもマイペースです。

若い頃から「文藝春秋」「主婦の友」と新聞を離さず、朝夕必ず目を通しました。

80歳を超えた今でも、毎日鼻に老眼鏡をかけて新聞を読み、そこから様々な情報を得ています。

新聞はオジーやオバーの生涯学習のパートナーのようなものです。

小さい頃からオジー(父)やオバー(母)に「勉強しろ」「勉強しろ!」と言われた記憶はあまりありません。

一生懸命遊び、いやと言うほど畑仕事を手伝わされ、でもまた一生懸命勉強しました。

言わずとも父や母の学ぶ姿は、私たちを勉強に向かわせる力がありました。

そして、それは今も変わりません。

「牛乳の 瓶底ほどの 老眼鏡 鼻にひかけて 新聞学問」

2006年6月13日 (火)

開拓者の信仰の奇跡

Umitosora36 アメリカの西部開拓の時代、多くの開拓者たちが信仰の自由と新天地を求め、道なき道を切り開き、多くの犠牲を払いつつ西へ西へと厳しい旅を続けました。

彼らやその子孫によって綴られた手記には、涙なくして読むことができない感動的な物語が多くあります。

今日はそのひとつをご紹介します。

アメリカユタ州で生涯を閉じたニール・A・マックスウェル氏の曾祖父母の日記からの感動物語です。

その日記には、生活が厳しい中、彼女の夫が宣教師として召され各地を伝道したことが記された箇所があります。

夫は妻と4人の子供を残し、西部から遠く離れた東部へ3年間の伝道の召しを受けたのです。

彼は、信仰を持ってその召しに応え、厳しい状況の中家族を残して出かけて行きました。

彼が伝道に出てから1年と数ヶ月たったある日、彼女がパンを焼いていた時のことです。

誰かがドアを叩く小さな音に気づき急いで開けてみると、そこに小柄なみすぼらしい老人が立っていました。

「何か食べる物をいただけませんか。3日前から何も口にしていないのです。」

「ちょっと待って下さい。」

彼女は走って台所に行き、ついさっき焼き上げたパンを一本、そのままその老人に差し出した。

老人は丁重に礼を言うとその家を離れました。

彼女は仕事に戻ろうとした時、

「そうだわ……。」

と、パンだけしか与えなかった自分の不親切さに気づき、すぐに台所に戻るとバターとジャムを持ってドアから飛び出しました。

しかし、不思議なことにその老人の姿はもうどこにも見当たりませんでした。

2週間後、彼女の夫から1通の手紙が届きました。

そこにも不思議な出来事が記されていました。

「その日の夕暮れ、私と同僚は疲れ果ててとうとう歩くことさえ出来なくなってしまいました。

3日前から何も食べずに伝道をしていたからです。

そこで、私たちは誰も通っていない道の真ん中でひざまずき、主に助けていただくために祈り始めました。

『天のお父様、何か食べ物を恵んでいただけませんか。3日前から何も口にしていないのです。』

するとよい香りがあたり一面に広がりました。

目を開けてみると、私たちの目の前に焼きたてのパンが1本置かれていたのです。

周りには、人の姿など見当たりませんでした。

私たちは主に感謝しました。

さわってみると、そのパンにはまだ温かさが残っていました。」

彼女の夫が見た奇跡と彼女が経験したあの不思議な出来事が、心の中でひとつになりました。

その出来事は同じ日の、ちょうど同じ時刻頃に起こった出来事でした。

彼女は確かに天が彼女の夫を助けて下さったのだと確信したのです。

この話は、マックスウェル家の霊的な遺産として、今日まで大切に語り継がれているということです。

極限状態の中でさえ、天に全幅の信頼を寄せて最善を尽くす者を、天は決して見捨てず、豊かな報いから外すことがないということを改めて確認する感動の物語でした。


2006年6月12日 (月)

世にも稀なる家族での家造り-頭領はオジー

Murasakihana001

母の父は、とても聡明で、心優しい穏やかな性格の人でした。

その上、手先が非常に器用で、あらゆる生活の道具を独自に考案し作り上げるという独創的なおじいちゃんです。

農具や漁具をはじめ生活の中の細々とした物まで自分で作りました。

圧巻だったのは脱穀機だそうです。

鉄板を櫛状に加工し、台に固定したシンプルな物でしたが、近所の多くの方々が輪番で借用するほどの優れものでした。

もう20年以上も前のことですが、ある日、そのおじいちゃんの血を引く母と、これまた手先の器用な「物作りの魔術師」と私が呼んでいた父が相談し、トタン屋根のわが家を建て替えることになりました。

そう言うと大抵は、建築業者が家を解体し、新たに建て直すことをイメージしますが、全くそうではありません。

建築費を押さえるために父が頭領で、家族みんなで建てるのです。

本当に恐ろしい計画です。

しかしながら、家族で家を建てるというのは、その数年前にすでに経験済みでした。

大変な計画ですが、誰も驚きません。

ただ、またかという感じでした。

それに先立つ数年前、父の会社の宿泊寮を解体し新たな建物を建てた時、父はその廃材をもらい受け、広い庭を潰して子供部屋を建ててしまいました。

その際、風呂場とトイレ・洗面所を鉄筋コンクリートで仕上げ、屋上には断水時の水を確保するためのコンクリートのタンクと物乾し場まで作りました。

それに接した木造の子供部屋を作る際は、骨組みの組み立てを職場の同僚たちが手伝ってくれましたが、基礎打ちや内装・外装はみな父を中心に家族総出でやりあげてしまったのです。

大変でしたが、自分の部屋を持てる子供たちは大喜びでした。

今度は、その母屋と子供部屋の壁をすべてブロック積みにし、母屋のトタン屋根をすべて新しく葺き替えると同時にふたつの建物をひとつにくっつけるという壮大な工事です。

それを家族だけでやるのです。

父は一旦やると言ったら、決して後に引きません。

昔からそうでした。

そして、世にも珍しい家族工事がまた始まったのです。

工事の間、子供7人の9人家族がアパートを借りることもできないので、その家に住みながら、部分的に建て直していきます。

まず母屋の柱を残して少しずつ壁を崩して基礎を打ち、そこにブロックで壁を作っていくのです。

周囲のブロック塀が完成した後、屋根とブロック塀とをくっつけます。

その後、屋根のトタンをすべてはがし、新たな骨組みを作って新しいトタンを張ります。

高所恐怖症の私にとっては、命がけの仕事でした。

ここまで終えるとあとは内装です。

仕事は、平日父が仕事から帰る5時過ぎから夜遅くまで、土曜日は午後すべて、休日は朝から晩まで一日中働きます。

時間は限られていますが、父の手際の良さと仕事の速さはプロ並みです。

約半年で母屋を仕上げ、さらに約半年かけて子供部屋を仕上げました。

仕上がりにみんなが驚き、そして満足しました。

色々ありましたが、家族の絆も深まりました。

父親のすごさに敬服し、改めて尊敬の念を深めた特別な経験でした。

不都合なことは、それぞれの部屋が正確な長方形ではなく、畳屋がそれに合わせて畳を作るのに少し難渋したことくらいです。(笑)

オジー頭領の決断と意志の固さ(頑固さ)、体力、精神力、知恵、大工技術・技能の高さすべてに脱帽です。

いくつになっても私はオジーを越えられそうにありません。

「藍は藍より出でて藍よりも薄し」です。

オジーの家族に対する「愛」に思いっきり負けているのかも知れません……。

  「住み慣れた トタン家壊し 新居建つ 家族みんなで 頭領はオジー」


2006年6月11日 (日)

『タコ取り名人』元気オバー

Umitosora32 私の妻の伯母さんで八十歳半ばになりなんとする、聡明で元気な「タコ捕りオバー」がおります。

大宜味村大兼久の大自然の中で、元気一杯タコを捕りつつ、旅館の経営に手腕を振るっておりました。

村では若者も顔負けの「タコ取り名人」として名の知れていた本当に優しくバイタリティーとユーモアに溢れたな元気なオバーです。

海に潜れば決して空手では帰りませんでした。

名人の名人たる所以です。

現在ではもう引退し、旅館も閉めてしまっていますが、当時は、その人懐っこく面倒見の良い人柄ゆえに多くの泊まり客から慕われ、その触れ合いの中で元気パワーを増し加えておりました。

新鮮なタコを含む海の幸、山の幸をご馳走になり、温かくもてなされた泊まり客の中には、本土の旅行客も含めて今でもオバーを慕う方々が大勢います。

さて、前回の衆議院総選挙は、郵政法案否決、衆議院解散を受け、小泉首相が成立を強く求める郵政民営化法案の是非を国民に問うという形の選挙となり、多くの関心を集めたことは皆さまの記憶に新しいことと思います。

結果は、大方の予想に反して自民公明による与党が衆院の三分の二を超す議席を獲得して圧勝となりました。

その衆院選の投票が行われる前日、OTVでは有権者の総選挙に寄せる関心と政治への希望を生の声で伝える番組を企画し放送しました。

そのインタビューを受けたひとりが、なんとあの「タコ取り名人」の元気オバーだったのです。

リポーターの女性アナウンサーいわく

「おばあちゃん、明日はいよいよ衆議院の総選挙ですが、おばあちゃんは明日選挙に行かれますか。」

それに対してのオバーいわく

「選挙に行く~?
 選挙に行くんじゃなくて、投票に行くでしょ。
 間違えたらだめさ~。
 もちろんオバーは必ず行くよ~!
 選挙のたびに必ず投票に行ってるさ~。
 一回も行かなかったことはないよ~。
 オバーはいつも社大党。
 社大党は上等よ~!」

でした……。

リポーターは、オバーの元気に押されて絶句……でした。

沖縄のオバーたちは、若者に負けずまだまだ本当に元気です!

「OTV タコ捕りオバーに インタビュー
 オバーの元気 司会もたじたじ」

2006年6月10日 (土)

野口英世の陰に母あり

Kogiku002現在小学校6年生の息子が、学校の先生から読書感想文を書いて提出しなさいとの宿題をいただきました。

作文が苦手な彼は、まずどんな本を読んだらいいのかも分からず、私のもとへ助けを乞いにやって来ました。

「何か読んでみたい本はないの。」

と私が聞くと、

「ないことはないのだけど、原稿用紙の3枚も4枚も感想文を書くというのは、あまり経験もなくて大変だという思いが先に来て、何を読んだらいいかも分からないよ。」

との返事です。

色々考えた末、野口英世に関するマンガ本と小学生低学年用の活字の大きな本を2冊彼に渡し、

「まずマンガ本を読んで内容をつかんだら、もうひとつの本を読んで、とにかく感動したところ全部に赤鉛筆で線を引きなさい。そしてなぜ感動したのか、その時どのように感じ、どうしようと思ったのかまとめてみなさい。」

とだけアドバイスしました。

彼は彼なりに考えて、以下のような文章を考えてきました。

英世を支えてくれる母や周りの人々の愛情とご恩と、それに応えて努力する英世の熱い情熱と行動力が、自分の感動と共になんとかまとめられていて悪くはないと思いました。

沖縄のオジーやオバーが持つよき特質に相通ずると思われるので、後述の2首の短歌と共に以下に紹介します。

  「野口英世ものがたりを読んで」

                大山小学校6年   安里まさと

ぼくは、野口英世ものがたりを読んで、感動したことがいくつかあります。

まずひとつ目は、清作と呼ばれていた英世のお母さんの、清作に対する本当に深い愛情です。

清作が2歳の時、もえるいろりにころげおちて、左手に大やけどをおい、木のこぶのようになってしましました。

お母さんはむねがひきさかれるような思いでした。

そして、畑仕事ができなくなる清作に、学問をさせようと、今までの2倍も3倍も働くことを決心しました。

たくさんの仕事のほかに、けわしい山道を、重い荷物を村から村へ運ぶ、男の人でもほねの折れるつらい仕事を、雪の日も雨の日も一生けん命がんばりました。

お母さんの清作に対する深い愛情に感動して、なみだが出そうになりました。

もうひとつ感動したことは、お母さんの深い愛情にこたえて、清作が一生けん命勉強したことです。

でも家が貧乏でランプの油も買えず、夜は本が読めません。

清作は、やどやのふろたきの手伝いをして、その火をたよりにして勉強しました。

本当に一生けん命勉強しました。

そして、3年生の時に1番になり、4年生では先生のいない時、代わりに教える「生長」にもなりました。

卒業試験の時、テストした小林先生もびっくりする位どんな質問にもすらすら答えました。

深い愛情は人を動かす力があると分かりました。

3つ目に感動したことは、小林先生が、清作の高等学校の授業料を出してくれたり、先生たちが清作の左手の手術のお金を出してくれたり、医者の渡部先生が、清作に病院のげんかんばんとして勉強させてくれたりしたことです。

またたくさんの人たちが清作が医者になれるように助けてくれました。

そして、周りの人たちの深い愛情は、医者になるという清作の目標をとげるのを助けてくれました。

最後は、英世を助けてくれた人々のご恩を決してわすれないで、医者として一生けん命人々を助けたことです。

生きたどくへびからしるをとって研究したり、自分が死ぬこともおそれないでアフリカに行って、黄熱病で苦しむ人たちを助けたりしたことです。

英世は次のように言っています。

「わたしの体がどうなろうが、たくさんの命を助けることができるのなら、それがわたしののぞみです。」

そして、英世は、自分の研究している黄熱病にかかってなくなったのです。

のちのかがく者の研究のためにとうとい実験台となってたおれたのです。

うけた愛情や恩をわすれず、命をかけて人々のために働いた英世は、本当に意志の強い人だと感じました。

野口英世のおはかには「野口英世は、人のために生き人のために死んだ」と書かれています。

ぼくも野口英世のように、助けてくれるまわりの人々の恩をいつもわすれないで、一生けん命勉強し、人々のお役に立つような人になりたいです。

野口英世の生きざまは、彼を助け支えてくれた多くの方々と、まさに母親が息子のために生き、息子のために生涯を捧げたそのことに対するご恩返しのように思われます。

オジーやオバーたちの生きざまにも、英世の母親に通じる深い愛情が感じられます。

子や孫のために一生懸命働くそのようなオジーやオバーの姿を、次の歌に込めました。

  「自転車に  山と積まれし  アルミ缶  坂道なんの  オバーが登る」

  「天秤棒  右に左に  大袋  足下軽く  オジーたくまし」

いかに貧しくとも、効率が悪く収入は少ない仕事でも、子や孫のために一生懸命、一途に働く沖縄(うちな~)のオジーやオバー、父(とうちゃん)母(かあちゃん)バンザーイ!と叫びたいです。

私が編詞・作曲して、以前紹介した「ただの父」は、そのようなオジーやオバー、父母への心からの賛辞です。

 「人のため 生きて世のため 命捨つ 野口英世の 陰に母あり」

2006年6月 9日 (金)

親ぬ言葉や神ぬ言葉-父と母を敬う

Umitosora33 私の母校である県立普天間高校は、私が学生だった当時、国際親善の交換留学生プログラムに参加していて、米国オレゴン州のスプリングフィールド高校と姉妹校を提携していました。

毎年交互に交換留学生数名を送り友好を深めておりました。

私はその第1期の交換学生として、高校1年の春休み前から4月の中旬までの約1カ月半7人の先輩や同期生たちと共にオレゴン州へ行かせていただきました。

田舎者の私のこと、見るもの聞くものがすべて目新しく、本当に沢山のことを学びました。

何よりも自由闊達な雰囲気が校内に満ちあふれていて、学生たちの明るい笑顔や親しみを込めて私たちに接する姿、優しい目がとても印象に残りまた感銘を受けました。

高校3年生と共に数学の授業に出た時には、むしろ私たちの方が進んでいてやさしく感じられ、彼らに教える光景も見られました。

しかしながら不思議なことにそのような時でさえ、彼らの内には一様に変なプライドや自らを卑下するような態度が微塵も見られないのです。

彼らは、たとえ数学が不得意でも、野球は誰にも負けない、サッカー、トラック競技、レスリング、バスケットは誰にも負けない、という得意分野を基とした自らへの自信と誇りがあります。

自らを決して卑下せず、得意な分野になお一層磨きをかけることのよって将来の夢へ近づこうとする前向きな雰囲気がひとりひとりにしっかり根付いているのです。

とてもさわやかな印象を持ちました。

どのような状況でも、両親や家族、先生や友人から愛され期待されているとの強い安定感があるように感じられ、それが自らの価値を認識し自尊の心をしっかりと保つ大きな力になっているようにも思われました。

春休みに入ってからは、2週間ほどホストファミリーと共に乾燥地帯や雪の残る森林でキャンプをしました。

そこで生まれて初めて、本物のけん銃とライフルに触らせていただきました。

けん銃での空き缶打ちはとても楽しかったのですが、さすがにライフルの爆発音は半端ではありません。

弾丸発射の際の肩への衝撃が小柄の私にとってはものすごく大きく、情けないのですが1発で投げ出してしまいました。

前置きが長くなりましたが、そのライフルにまつわるとても興味深い話を聞きました。

以下に紹介します。

4人の若い青年たちが、鹿を狩るために車で山へキャンプに出かけることになりました。

4人は大の仲良しで、行動する時はいつも一緒です。

誰もが、翌日からのキャンプを本当に楽しみにしていました。

ところが彼らの中の一人の母親が、今回のキャンプに関し、なぜかとても大きな不安と胸騒ぎを感じて、息子に今回だけはキャンプへ行かないよう説得し始めたというのです。

その息子は、とてもがっかりし、でもなんとか母の気持ちが変わるよう、許可してくれるよう粘り強く多少のいらだちも含めて母に頼みました。

ところが母親の不安は募るばかりでその決意も固く、結局優しく理由を説明され、説得されたその青年は、母の勧告に渋々従うことにし、キャンプ行きを断念したそうです。

2日後3人の友人たちが青ざめて彼の元へ帰ってきました。

そして次のように報告したのです。

「君は今回のキャンプをキャンセルして本当に良かったよ。
 帰りしな、君がいつも座るシートの後ろには
 いつものようにライフルが立てかけられていたのだが、
 それが、どういう訳か暴発してしまったんだよ。
 君が座っていたはずのシートの背もたれを貫通し、
 フロントガラスに大きな穴を残して……。
 もしあの時君がそのシートに座っていたなら、
 今頃君はこの世にいないはずだよ……。」

その青年は絶句しました。

そして、しばらくしてわれに帰った後、母親への本当に深い感謝の念で満たされました。

沖縄の「島唄」の一節に次のようなくだりがあります。

「親ぬ言葉や 神ぬ言葉 忘んなよ」
(ウヤヌクトゥバヤ カミヌクトゥバ ワシンナヨ)

これは、「子供たちへの深い愛情を込めて語られる親の義しい教えや勧告は、神から下される勧告の言葉としてしっかりと心に留めて行い、決して忘れるようなことがあってはいけませんよ」という意味です。

聖書にも次のようにあります。

「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。」(出エジプト記20章12節)

沖縄のオジー・オバーたちは、自らが義にかなった生活をする限り、すべての父親母親は自らの子供たちのために、神(御天大主:ウティンウフシュ)より直接導きをいただき、子供たちに幸いと益をもたらす教えと勧告を与えることができると信じています。

そして義しい親を通して愛情を持って語られる教えや勧告は、すなわち神の教え、勧告であり、それに喜んで素直な心で従う時、神に守られこの地に長く幸せに暮らせると信じているのです。

父と母を敬い、その愛情を込めて語られる教えや勧告に従うことの大切さを改めて痛感しました。

2006年6月 8日 (木)

満州で鍛えたオジーの片腕懸垂

Kibarengyo003 父は当時18歳だった昭和15年6月、満州開拓少年義勇団の一員として満州の北安省鉄驪へ赴きました。

訓練期間は3年。そこでは毎日朝から晩まで農業と軍事訓練に明け暮れます。

3年後の昭和18年、所属する三十中隊約300人の先遣隊として50人で黒河省遜克へ移動。

本隊到着までに宿舎等を建設して準備します。

訓練および実地の経験を経てその年の末、軍隊に徴兵されています。

近くの孫呉へ移動し、自動車部隊にてトラックの運転技術を習得。

その後再び黒河省遜克の開拓団へ戻りますが、とにかく厳しい自然環境の中での地獄のような訓練の明け暮れでした。

鉄の暴風が吹き荒れ、焦土と化した沖縄に戻ってきたのは、終戦の翌年昭和21年12月です。

とにかく、少年義勇団および軍隊で鍛え抜かれた父の身体は半端な強さではありませんでした。

愛する人々を守るために、またその愛する人々が住む祖国を守るために、喜んで死ぬ覚悟を持ち、どんな厳しい苦しい訓練も耐え抜きました。

清廉な心を持ち従軍していった若き青年たち皆がそうであったように、全身全魂を込めて鍛えた身体はまさにバットマン(古いかな…)、スパイダーマン並です。

片腕懸垂もお手のものでした。

ある日、おじいちゃん手作りの鉄パイプ物干し竿で、父の片腕懸垂を見た孫たちはまさに度肝を抜かれました。

「おじいちゃんのかたうでけんすい、まじですご~~~い!!」

「おじいちゃん、チョ~かっこいい!!」

それから後おじいちゃんは、孫たちにとってウルトラマン以上のスーパーヒーローです。

 「手作りの  竹馬一本 取り出して 片足ケンケン オジーの曲芸」

つい数年前まで毎日の畑仕事で鍛えた足腰の強さも健在で、この短歌にもあるように、竹馬の片足ケンケン曲芸も余裕でこなしました。

特に男の子にとっておじいちゃんは、何でもこなすあこがれの筋肉スーパーマンです。

私の4人息子の内上3人はビーチバレー、サッカー、そしてテニス部の選手ですが、時々上半身裸になり、誰の筋肉が一番隆々としているか筋肉比べをしています。

鶏ガラのような肉体が、若き頃のおじいちゃんに近づくのはあと20年先のようです。

 「満州で 鍛えた筋肉 隆々と 片腕懸垂 孫たち唖然」


2006年6月 7日 (水)

ひめゆり学徒隊-永遠に安らかなれ

Himeyurinotou1_1 去る大戦において、米軍の沖縄上陸作戦が始まった昭和20年3月23日深夜、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の学徒222人、教師18人の総勢240人は、南風原の沖縄陸軍病院に配属されました。

また、他地域でも学徒80人、教師3人が在地部隊に動員されて戦線に組み込まれました。

3月26日、米軍は慶良間列島に進攻し、4月1日には沖縄本島中部西海岸に上陸。

米軍の南下に伴って日本軍の死傷者が激増し、学徒たちは送られてくる負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、死体埋葬に追われ、仮眠を取る間もなく献身的に立ち働きます。

5月下旬米軍が迫る中、学徒たちは日本軍とともに陸軍病院を出て南部へ敗走。

各地の野戦病院も本島南端部に撤退しました。

すでに壊滅状態となっていた日本軍は、6月18日、喜屋武半島の激しい砲爆撃の続く戦場の真っ只中で、学徒隊に解散命令を下したのです。

突然の「解散命令」に絶望した学徒たちは、米軍が包囲する戦場を逃げ惑い、ある者は砲弾で、ある者はガス弾で、そしてある者は自らの手榴弾で命を失いました。

陸軍病院に動員された教師・学徒240人中136人、在地部隊その他で90人が亡くなりました。

15歳から19歳のうら若き乙女たちが、愛する郷土のため、愛する人々のため、想像を絶する地獄の鉄の暴風雨の中、不眠不休で献身的に立ち働き、ついには自らの命をも捧げました。

将来の夢や希望をすべて打ち砕かれながらも、清廉な思いと決意で自らの身を捧げた彼女らを思う時、本当に胸が詰まります……。

米軍は沖縄戦を日本本土攻略の拠点―不沈空母として確保する最重要作戦と位置づけ、対する日本軍は米軍の日本本土上陸を一日でも遅らせるために持久作戦をとりました。

沖縄を守備するため、日本軍は玉砕方針で沖縄戦に臨むこととなり、県民の根こそぎ動員を企てると同時に、学徒隊を編成して生徒たちの戦場動員を何ら法的根拠もなく強行しました。

持久作戦、根こそぎ動員は、12万人余にのぼる沖縄住民の本当に悲惨な犠牲をうみました。

私は一軒家を借用して家族と共に住んでいますが、その大家さんは全盲のおばあちゃんです。

あの、「解散命令」の後、戦場を逃げ惑う中、失明しながらも奇跡的に一命を取り留めた元ひめゆり学徒のひとりです。

とても優しい働き者のおばあちゃんです。

家を訪れる方々が、気持ちよく過ごせるように、目は見えずともいつも家の内外をきれいに整えます。

屋敷は緑に囲まれ心癒される空間ですが、落ち葉は半端ではありません。

毎朝、まさに膝をつき手探りでその落ち葉を取り除き、屋敷をきれいに保ちます。

私の子供たちも含めて周りの方々への細やかな気遣いから、おばあちゃんが目の光は失っても、心の光は温かく健在であることがよく分かります。

でも、おばあちゃんの戦後も決して終わりがありません。

愛する友を失った悲しみそして心の傷は決して癒えることはないのです。

私たちの愛する人々からすべてを奪う戦争を二度と繰り返してはなりません。


「庭掃除 膝つき手探り 落ち葉取り 全盲のオバー 元はひめゆり」

2006年6月 5日 (月)

芸術家オバーの籠作り

Umitosora34物のなかった時代、オジーやオバーたちはどのような物でも大切に使いました。

利用できる物は何でも再利用しました。

終戦直後などは、戦闘機の残骸からジュラルミンの金属板をはがし、鍋や皿などの食器に加工したり、鉄兜で鍋や急須を作ったり、空き缶で三線を作ったり等々……。

手先の器用なオジーやオバーたちは、身近な材料を用いて生活のための道具を何でも自分で作りました。

多くのオジーやオバーたちが、油の缶を加工して鍋を作り、米軍から失敬したエンジンオイルで天ぷらをこしらえ食べたとも聞いています。

今からしたら恐ろしい話ですが、本当にあった話です。

生きるために必死だったのです。

あれから60年、物が豊かになった今でも、オジーやオバーたちの物を大切にする節約・倹約・再利用の精神は生きています。

ある時地域の老人会で広告のチラシを用いた籠作りの講習会が持たれました。

器用、几帳面な特にオバーたちは、互いに楽しみながら熱を入れて取り組みました。

広告のチラシを細長く巻き込んで棒状にし、それを編みながら籠や壺、バッグなどの形に加工していくのです。

出来上がったら色の付いたニスを塗って完成です。

それがまた実に整った形、色合いの傑作品なのです。

私の母も凝っていて、たくさんの作品を生み出しました。

子や孫はその恩恵にたくさん浴しました。

小さな節約・倹約の精神がたくさんの芸術家を生み、互いの生活を豊かにしています。

  「折り込みの チラシ丸めて 籠作り オバーの芸術 年季百年」




2006年6月 4日 (日)

オバーの鍬一振りで雑草完敗!

Haibiscus004 ある夏の夕暮れ、日中の熱い太陽もようやく西の海に沈みかけた頃のことです。

息子たちを学習塾へ送るその途中、70歳を越えると思われるあるオバーが、家の車庫前でひとりで鍬を振っています。

私は通常ヘラを使って庭の雑草を引き抜ききれいにしますが、そのオバーはなんと鍬で雑草を抜いているではありませんか。

しっかりと根を張り、時折降る夕立に勢いづいてぐんぐん伸びる雑草たちも、オバーの前にあえなく完敗です。

鍬を使って雑草を抜くという大胆さ、スケールの大きさに本当に敬服しました。

またそれだけでなく、そのオバーはなんと裸足なのです。

日中の太陽で道路のアスファルトはかなりの熱を持っています。

それをものともしないオバーの強さに思わず脱帽しました。

戦前、戦中、戦後を通じて生きることに必死だったオジーやオバーたちは、とにかく勤勉です。

健康なオジーやオバーの家へ行くと、どの家も本当にこぎれいにしています。

大抵、屋敷内の雑草はほとんど見られません。

いつもこまめに目を配り、庭の草花を手入れしています。

いつでも誰でも温かく気持ちよく迎えられるようにという心遣いなのでしょうか。

そのような細やかな気配りの一方で、前述のオバーのような大胆さ、力強さ、そしてスケールの大きさを沖縄のオジーやオバーは持っているのです。

私たち若者はちょっと負けているかもしれません。

よいことを行うという点で、勤勉であること、細やかな気配りをいつも心がけること、そして大胆で力強くあること、これをオジーやオバーの模範に習って実行できたら本当にすばらしいです。

 「車庫前の  頑固に伸びる  雑草も  鍬ひと振りで  オバーにやらる」


2006年6月 3日 (土)

ユダヤの法則

Umitosora35 ユダヤ人の成功する商法には一定の法則があるといいます。

そのひとつが「78対22の法則」とも呼ばれる「ユダヤの法則」です。

例えば、銀行の基本システムがこの「ユダヤの法則」に基づいたユダヤ商法の典型です。

すなわち、銀行は預金を集めてそれを貸し出して利益を得ます。

とすれば、借りたい人が多いほうが、銀行が利益を上げそうですが、それでは経営が成り立ちません。

預金者の方が多いからこそ銀行は、今の繁栄があります。

そして「預金者(預金額)」対「顧客(貸付額)」=「78対22」が最も効率よく利益を挙げる比率であるとユダヤ人は考えているようです。

この「78対22」は、単なる思いつきの数字ではないようです。

例えば、人間の体は約20種類の元素で構成されていますが、そのうち水などを構成する酸素と水素の割合が約78%、残りの22%が炭素や窒素および微量元素です。

また、円は円周率が無限であるなど、この世においてもっとも不思議な形といえますが、その円に外接する正方形を描いてみます。

正方形の面積を100とすると、円の面積は78、残りは約22になるということです。

とても興味深い事実です。

このユダヤの法則に関連があると思われますが、パレートの法則(80対20の法則)というものがあります。

イタリアの経済学者ウィルフレド・パレートが発見した法則です。

・「仕事の成果の80%は、費やした時間全体の内20%である。」

・「80%の完成度までは20%の努力で割と簡単に到達するが、そこから100%まで上げるにはさらに80%の努力が必要である。」

というものです。

世の多くの事柄は、最も重要な事柄(全体の20%)に力を傾注することによって80%の効果を出せるというわけです。

このパレートの法則(80:20の法則)は、セールスの分野においても確証されています。

すなわち、全売上高の80%の実績を上げているのは全セールスパーソンの20%なのです。

さらにその20%にあたる4%がトップセールスパーソンと呼ばれ、他のセールスパーソンと明らかに大きな違いがあります。

大きな成果につながる方法は、通常の営業と比較して成約するまでにかかる労力は小さく、全体のたった20%で済んでしまいます。

4%のトップセールスパーソンたちは、このパレートの法則(80:20の法則)を用いて、成功へ至るための最も重要な成功の要素を見極め、そこに焦点を絞って力を注ぐわけです。

準備の段階で最大の効率を上げるように策を練り、備えているわけです。

マネージメントの巨匠ピーター・F・ドラッカーが行った「結果を出すための管理」という研究は、パレートの法則(80:20の法則)が「人」、「組織」、「成果」や「売上」等ありとあらゆるものに適応されていることを証明しています。

成功するための大切な鍵のひとつは、このパイレートの法則に基づき、自らが取り組もうとする事柄で、効果的に成果をあげうる最も重要な要素を見極め、それに力を注ぐことです。

単に楽して益を得るということではなく、最小限の労力で、最も効果的に成果を挙げ、人生を豊かにするための知恵です。

この法則は、ビジネスのみならず、夫婦や家族関係、隣人との関係をはじめ、あらゆる分野、事柄に応用できそうです。


2006年6月 2日 (金)

物作りの魔術師-オジー師匠

Kumisukuchin01小学校低学年の頃、私たち少年にとって憧れのアイテムがありました。

それは上級生たちが持っている銀ピカの三徳ナイフです。

ナイフ、カマ、のこぎりの3種類の刃がついていて、山川に入って物を作り、遊ぶ際の必須アイテムです。

釣り用のうきや竹竿、竹鉄砲、竹馬、パチンコ、輪ゴム拳銃、ミニカー等々どんな道具、おもちゃでも作れます。

物のない時代、少年たちにとって喉から手が出るほど欲しい魔法のアイテムです。

でも当時の値段で25セント。

私たちのような小学1、2年生が簡単に手の届くような品物ではありませんでした。

すべての家庭が貧しかったあの時代、子供心にも両親にお願いすることもできません。

でも欲しいのです。

あらゆることを考え実行しました。

くず鉄を1キログラム集めて売れば1セント、いただいたバス賃を使わず5、6キロの道のりを歩いて2セント、隣の風呂屋の掃除を手伝って3セント、ミッキージュースを買うためのお小遣いを使わず1セント等々……。

25セント貯めるのに必死でした。

一番良かったのはくず鉄集めです。

わが家の1、2軒両隣は風呂屋さんで多くの廃材を薪として燃やしていました。

その廃材にはたくさんの鉄釘がついているのです。

オーナーのオジーやオバーに了承をいただいて古釘集めに大張り切りです。

他の方法より時間と労力がかかりますが、確実にお金が貯まります。

やっと25セントが貯まった時には、胸もはち切れんばかりの喜びです。

実際にナイフを購入して手に持った時には、本当に手が震えました。

その後、父に弟子入りして様々な指示を仰ぎながら、肌身離さず持ち歩いたそのナイフで様々な遊び道具を作りました。

父は本当に手先の器用な魔術師のような師匠でした。

どんな物でも工夫して作りました。

そしてその作り方を優しく教えてくれました。

幼かった私は、両手指に20数カ所もの切り傷跡を作りましたが、手先の器用さは増し加わりました。

手指の切り傷を見るたびに、父との懐かしい思い出の数々が温かく蘇ってきます。

貧しさゆえに得られた貴重な体験と喜び、そして温かな思い出です。

今ではオジーになった父が、最近孫たちのために下駄を作ってくれました。

年のせいか、あの頃の精彩は多少欠くものの、杉の香りがほのかに香るしっかりとした下駄です。

華緒も手作りです。

孫たちは本当に大喜びです。

どんなに走り回っても壊れることはありません。

「物作りの魔術師」健在という感じです。

オジーは、その孫たちの下駄の音とほのかに香る杉の香りに目を細め、本当にいい顔をしていました。

  「愛孫の  ひとりひとりに 下駄作り 香音楽しむ 笑顔のオジー」


2006年6月 1日 (木)

思い出のリヤカー押し

Umitosora27 私が、小学4年生だった昭和45年前後、そのころの沖縄では、多くのオジーやオバーたちが、自分の家で豚を飼っていました。

彼らは、毎朝まだ夜も明けやらぬころに、一軒一軒の家をリヤカーを引いてまわっていました。

家や飲食店から出た前の日の残飯を、飼っている豚たちのために集めていたのです。

それぞれの入り口には、ふたのついたブリキの缶がおかれてありました。

オジーやオバーたちは、その缶に入った残飯をリヤカーの大きな缶に移し、それから重いリヤカーをかわいい豚たちのもとへと引いていきました。

私の家の近くにもそのようなオジーがいました。そのオジーが毎日通る私の実家の前には、美しい一本松のある泉の方角に向かって緩やかな長い坂がありました。

緑に囲まれてとても風情のある坂ですが、そのオジーにとっては、リヤカーを引いて行く際の最大の難所でした。

ある夏休みの早朝、ラジオ体操へ向かう私の目の前を、そのオジーが重いリヤカーを引いてその坂を上りかけています。

とっさに「手伝ってあげなければ!」と思うのですが、周りの目が気になり動けません。

心の中で迷う内に、年少の一人の少年が一目散にリヤカーに向かって走って行きました。

そしてすかさず顔を真っ赤にしながら「よいしょ、よいしょ」とかけ声をかけながらリヤカーの後を押し始めたのです。

リヤカーが軽くなったのに気づいたオジーは、立ち止まって後ろを振り返り、とても嬉しそうに「ぼうや、ありがとうね~」とその子にとても優しい声をかけました。

私はその少年の勇気に感心しながらも、結局最後まで気持ちを行動に移せませんでした。

幼心に自責の念が残りました。

その光景が一日中頭から離れませんでした。

そしてその晩決心しました。

翌朝、同じ時刻にオジーはやって来ました。

私はその少年と2人で、リヤカーを坂の頂上まで押していきました。

できるだけ人と目を合わさないように「よいしょ、よいしょ」と小さなかけ声をかけながらリヤカーを押していきました。

リヤカーが軽くなったのに気づいたオジーは、昨日と同じように立ち止まって後ろを振り返り、とても嬉しそうに「ふたりとも、ありがとうね~」ととても穏やかな声をかけました。

その笑顔が最高に輝いていて、心がとても温かくなりました。

それから夏休みの間中、毎日リヤカー押しは続きました。

日が経つにつれ、リヤカーを押す子供たちの数が次第に増えていきました。

オジーの嬉しそうな顔はさらに輝いていきました。

このリヤカー押しは、私たちの毎年夏の特別な行事になりました。

でも3年後、そのリヤカーとオジーの姿は突然見えなくなりました。

名前もどこに住んでいるのかも分からないオジーは、亡くなってしまったのか、養豚を止めたのか私たちには分かりませんでした。

「あのおじいちゃん、どうしてしまったのかな……。なんだかつまんないね……。」

ため息混じりに話すみんなの声は、心なしか元気がありませんでした。

私たちの夏の恒例行事は、その年からなくなってしまいました。

でも、お互いの心に芽生え、大きくなった固い友情は、その後いつまでも温かく続いていきました。

あれから30数年を経た今、私の実家の前の道は、アスファルトになりました。

そばにはたくさんの新しい家が建ち並び、昔の面影はわずかに残るリュウキュウマツを含めて、ほんの少しだけになってしまいました。

でも、そのゆるやかな長い坂を見るたびに、オジーのうれしそうな笑顔が、温かな良き思い出として蘇ってきます。

また、一緒にリヤカーを押したあのなつかしい仲間たちの輝いた笑顔が、重なって蘇ってくるのです。

温かな心で深く思いをめぐらせる中、自分たちが助けたと思っていたあのオジーから、本当はたくさんの元気と大切な宝物をいただいていたことが、今になってよく分かります。

そしてあの勇気ある少年と心やさしい仲間たちとともに、オジーへの感謝の気持ちで一杯になります。

そして、その温かな感謝の気持ちを込めて、心の中で短歌を詠み、今は亡きやさしいオジーへ捧げました。

 「残飯の 山と積まれし リヤカーの 後押す子らの 心は温し」



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