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2006年4月 8日 (土)

病床の 母に代わりて 姉二人 高校休み 交互に家事す

Pinkbara1わが家は、七人兄弟の九人家族でした。

終戦直後の物に乏しい時代、父や母は育ち盛りの子供たちを養うのに本当に必死でした。

そんな中母が原因不明の病気に倒れ、数年にわたって寝込んでしまいました。

どの医師もさじを投げるほどの病気で、母は何度も死の淵をさまよいました。

家事は当時高校生だった長姉と次姉が主に切り盛りすることになります。多感な年頃の二人にとっては、非常に大きな肩の荷だったに違いありません。

ある日、長姉が目を真っ赤に腫らして帰宅しました。

物心ついたばかりの私には、その理由など知るよしもありません。

後年その理由を知りました。そして私にとってさらに衝撃的な事実を最近知りました。

当時月末になると私は母がわが家の後隣に住んでいた親切なおばさんからお金を借りる姿をよく見かけました。しかしながら、その時はそれも叶わなかったのでしょう。姉は父や母の代わりに親戚の元へお金を借りに出かけたのです。

でも、どの家も貧しく苦しい時代、姉は母の期待に反してお金を借りられずに心を痛めながら帰宅したのです。目を真っ赤に腫らしながら……しかもその後度々です。

さらにその姉と次姉は、母が全く起き上がれなかった時期、一週間交代で高校を休んで母を看病し、なおかつ家事を切り盛りするために自分たちの時間を捧げました。

彼女たちは高校生活のほとんどを母や私たち弟や妹のために喜んで犠牲にしました。私が、姉たちの心の葛藤や痛みを全く知らずに、のどかに遊びほうけていたその時期にです……。

「私たちあんなに学校を休んでよく卒業できたよね。(笑)」

「だっからよ~。私の三年生の時の欠席数は、卒業には厳しいかなりの日数だったと思うんだけどね~。本当に無事卒業できて良かったさ~。(笑)」

明るく笑いながら話す二人の目は、本当に優しく輝いていました。

物心ついた頃から私にとって二人はとても優しい姉たちでした。

特に長姉から怒られた記憶はほとんどありません。身内が言うのも何ですが、本当に明るい弟妹思いの姉たちです。

武田鉄矢さんの「贈る言葉」の歌詞に次のようにあります。

「人は悲しみが多いほど 人には優しくできる…」

人はつらく悲しい経験が多いほど、他人の心の痛みを自分の心の痛みとして感じながら優しく手を差し伸べることができるというのは本当だと思います。

だからこそ、姉たちや戦争の地獄をくぐり抜けてきたオジーやオバーたちは、本当に優しいのです。

その姉たちもやがて六十歳。もう少しで、優しく魅力溢れるオジーやオバーたちの仲間入りです。

父や母と同じように姉たちにはどんなに感謝しても感謝し切れません。

そして、姉たちの家族を思うが故の思いやりの行いを、私は一生忘れません。

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