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2006年4月

2006年4月30日 (日)

歌はいいもんだ-すてきな友達

Bugenbiriya01_2 先日のブログで紹介した小6の息子からもらった楽譜綴りの中より、もうひとつすてきな歌を紹介します。

「すてきな友達」と題する歌です。

息子の小5の時の担任の先生が選んで子供たちに紹介した歌の中のひとつですが、その楽譜綴りの中は、先生のすてきな感性と子供たちへの温かな思いや望み、励ましが感じられるいい歌で満ちています。

そのような温かい目で息子たちを教え育んで下さった先生に心から感謝しております。

   「すてきな友達」

             梶原千鶴子

  人はみんな だれでも
  一人では生きていけないから
  いつもすてきな友達と
  この手を つなぐのさ

  悲しいときも 仲間がいれば
  つらくはない
  苦しいときも 仲間がいれば
  つらくはない

  ぼくも きみも ときには
  真っ暗やみに落ちて とまどうから
  いつもすてきな友達と

  愛と仲間 それさえあれば
  つらくはない
  愛と仲間 それさえあれば
  つらくはない

このようなすてきな歌に出逢うたびに、私はなぜか青春時代の懐かしい記憶を呼び覚まされます。

あの頃歌った同じようなすてきな歌を思い起こしつつ、共に泣き笑い、共に学び遊び、共に青春を謳歌した仲間たちとの思い出が次々と脳裏を巡って本当にすがすがしい思いになるのです。

そこで、友人のひとりが「ケサラの歌」をもじって作った替え歌、仲間が集まれば必ずギターをつま弾きながらみんなで歌った歌も以下に紹介します。

これもなかなかいい歌ですよ。

   「ケサラの歌」

1.君は何に 傷つき
  ひとり うつむいているのか
  さあ顔を上げて わらってみせて
  明るい君が 好きさ

 ※ケサラ ケサラ ケサラ
  つらく 淋しい時には
  休みにおいで みんなの所に
  僕らは永遠(とわ)の友だち

2.大きな声で 笑おう
  大きな声で 泣こう
  そう自分を真直ぐ 見つめて歩こう
  二度と 帰らぬ今を

 ※ケサラ ケサラ ケサラ
  強い愛で 結ばれた
  私にはあなたが 君には僕が
  そうさ みんながいるさ

3.世間が 何を言おうと
  どんなに 非難を浴びようと
  僕は君を 信じているよ
  君はひとりじゃないさ

 ※ケサラ ケサラ ケサラ
  光り輝く あの星を
  めざして 僕らは生きているんだ
  今日も 明日も いつも

 ※印を順を追って繰り返す


2006年4月29日 (土)

離婚しないで!

Umitosora05 アメリカの第16代大統領アブラハム・リンカーンは次のように語りました。

「どんな女性と連れ添うことになっても、私は全力を尽くして彼女を幸福にしてやるつもりだ。この努力が失敗すると想像するだけで、私の心は大いに曇る。」

自分の伴侶を必ずや幸せにする! との彼の強い決意が感じられとても感銘を受けました。

トーマス・W・ラデーンも次のように語っています。

「永遠の結婚とは、実際のところ、完全な進歩をめざし、ふたりで助け合って成長しようと誓約することではないでしょうか。」

ところが現在神聖なはずの結婚の誓約はいとも簡単に破られ、幸福なはずの結婚生活の多くが破綻しています。

離婚件数は昭和39年以降毎年ふえ続け、46年には10万組を超えました。

その後もふえ続けましたが、58年をピークに減り始め、平成3年から再びふえ続けています。

平成16年の離婚件数はなんと27万組超です。本当に恐ろしい数字です。

2年ちょっとで、沖縄県の全人口約130万人と同じ数の離婚者が生じてしまう計算になります。

そして、その半数と同じ数の子供たちがとても悲しい思いを一生引きずって生きることになるのです。

「父親が息子に与えることのできるものの中で、母親を愛していると伝えることほど貴いものはありません。」

            H・バーク・ピーターセン

男性の皆さん、どうぞ偉人リンカーンや上記の言葉を強く心に留めて、共に妻を愛し大切にしましょう。

「愛は盲目ではない。愛は人を盲目にするのではなく、
 より多くのことを見えるようにするのである。
 しかし、多くの長所が見えるので、
 短所はあえて見過ごすのである。」

            ジュリアス・ゴードン
                      「宝の箱」チャールズ・L・ウォリス編

「指輪や宝石は贈り物ではなく、贈り物の単なる代用品に過ぎない。
 本当の贈り物はただひとつ、自らを捧げることです。」

            エマーソン

夫婦の皆さん、互いに赦し、仕え合って、幸せな夫婦関係、幸せな家庭を築きましょう。

もちろん離婚が双方にとって救いとなるケースもあるのかも知れません。でも、でもそのような最悪の結果に至ることのないよう、また子供たちの心に消しがたい傷を残すことのないように、日頃からお互いの理解に努め、感謝を述べ、赦し合い、仕え合いましょう。

「いかなる成功も家庭の失敗を償うことはできない」のです。

            デビッド・O・マッケイ

2006年4月28日 (金)

母の黄金言葉(クガニクトゥバ)

Akaihana05 あまりにも多くを失い、生きていくのさえ精一杯だった沖縄の終戦直後の厳しい時代、子育てで大変だった母を支えた珠玉の黄金言葉がありました。

母の結婚そして子育てを温かく応援してくれた近所に住むオジーたちからプレゼントしていただいたという3首の琉歌です。

昨晩実家を訪問した私に懐かしそうに紹介してくれました。

どんなに苦しい中にあっても、親子の情愛と周りの方々との温かい情を持った交わりの大切さを諭すすばらしい歌です。

(1)産し育てぃ召しょち 御恩いちまでぃん
   肝染みてぃ我身や 行かゆ御母

  (ナシスダティミショチ グウンイチマディン
   チムスミティワンミヤ イカユアンマー)

 意味:産み育てて下さった御恩はいつまでも心に染めて
    お母さん、私は嫁いでいきます。

(2)行く先や童 黄金倉建てぃてぃ
   福禄と共に 育ち給れ

  (イクサチヤワラビ クガニグラタティティ
   フクルクトゥトゥムニ スダチタボレ)

 意味:嫁ぎ先にて わが娘よ 黄金の倉を建て
    幸福の中に 健やかに育ち日々を過ごしておくれ。

(3)倉に積み余る 宝ゆい勝てぃ
   情尽しや 人間ぬ要

  (クニチミアマル タカラユイマサティ
   ナサキチクシヤ ヒトゥヌカナミ)

 意味:ただ、倉に積み余る 宝よりも勝って
    誠と情けを尽くすことが
    人として最も大切なことですよ。


普段はステテコ姿のどこにでもいるようなオジーたちが、時代がどのように変わろうとも、変わることなく多くの人々に共感され感化を与える金言を、何気ない生活の中でとても自然に出せるというそのことに本当に感銘を受けました。

それはオジーたちの心の深さそして温かさのなせる業なのでしょう。

母が、それらが記されている古く破れかけた紙を宝物のように大切に持っている理由がよく分かります。

母はそのような方々に囲まれて本当に幸せでした。

私は「黄金言葉」が大好きです。

それは単にそれらの言葉がすばらしいということだけでなく、それらを発した人々の人柄や生きざまを垣間見ることができ、それに感銘を受けるからです。

※「琉歌」とは奄美・沖縄・宮古・八重山諸島に伝承される叙情的
     短詩形歌謡の総称。
     短歌形式の琉歌は、8・8・8・6 の30音からなる定型短詩です。

2006年4月27日 (木)

子供の話に耳を傾けよう

Umitosora09 昨晩、とても含蓄のある言葉を見つけました。

ジョン・パウル・リヒターの以下の言葉です。

「父親が子供に語ることは世間には聞こえないが、彼の子孫には聞こえる。」

6人の子供を抱え、父親業に悪戦苦闘中の私は色々考えさせられました。

リヒターのこの言葉は次のように言い換えることができるとも思いました。すなわち、

「父親が子供に示す関心と注ぐ愛情は、彼の子孫にも注がれる」です。

仕事が忙しくなると6人の子供に同じように愛情と関心を示し、そしてそのバロメータのひとつにもなる彼らのために時間を作るというのがなかなか難しくなります。

ただ、十分な時間をかけられなくてもいつも心がけていることがあります。

それは「子供たちの話に耳を傾ける」ことです。

もちろん時々忘れかけ、たまには失敗もしますが、以下の大好きな詩を度々読み返しつつ日々奮闘しています。

なかなかいい詩ですよ。

       「子供の話に耳を傾けよう」

今日、少し
あなたの子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。

今日、聞いてあげよう。
あなたがどんなに忙しくても。
さもないと いつか子供はあなたの話を聞こうとしなくなる。

子供の悩みや 要求を聞いてあげよう。
どんなに些細な勝利の話も、
どんなにささやかな行いも ほめてあげよう。

おしゃべりを我慢して聞き、一緒に大笑いしてあげよう。
子供に何があったのか、
何を求めているのかを 見つけてあげよう。

そして 言ってあげよう。「愛している」と毎晩、毎晩。
叱ったあとは必ず抱きしめてやり、「だいじょうぶ」と言ってやろう。

子供の悪い点ばかり あげつらっていると、
そうなってほしくない人間になってしまう。
だが、同じ家族の一員なのが誇らしいと言ってやれば、
子供は自分を成功者だと思って育つ。

今日、少し、
あなたの子供が言おうとしていることに耳を傾けよう。
今日、聞いてあげよう。
あなたがどんなに忙しくても。
そうすれば、子供もあなたの話を聞きに戻って来るだろう。

2006年4月26日 (水)

NPOアジア・チャイルド・サポート

Asagao01 NPO法人アジア・チャイルド・サポートの代表理事である池間哲郎さんを招き、中学生・高校生とその両親を対象に特別な講演会を催しました。

モンゴルのマンホールチルドレンと呼ばれる、両親に捨てられてマンホールの中で生活する子供たちやフィリピンのスモークマウンテンでゴミの山からわずかばかりのビニルや空き缶を集めて生活している子供たちの惨状を生々しく写真や映像で紹介していただきました。

それらの多くの子供たちが、大人になれないまま、栄養失調や病気で、または事故で死んでいきます。

また、貧しい山岳民族の多くの娘たちが、家族の生活のために売られていき、売春業者の手に渡されて、本当に悲惨な生涯を送っています。その多くが、エイズに感染して、村人にも見放され孤独な死を迎えます。

世界では三秒にひとりの特に子供たちが、十分な栄養をとれないまま死んでいきます。

池間さんはそれらの子供のために、日夜粉骨砕身、私財もなげうってできることを一生懸命行っておられます。

私は、本当に大きな衝撃を受けました。

もっともっと真剣に学び、それらの子供たちの惨状を知り、理解し、自分にできる何かを真剣に行うよう努力しなければならないと痛切に感じました。

池間さんはボランティア活動を行っていくに当たって、私たちに三つの事柄をお願いしました。それは以下の通りです。

 1.悲惨な子供たち、人々の惨状を知り、理解すること。
 2.持てるわずかでも彼らのために分かつこと。
 3.私たち自身が、一生懸命に生きること。

池間さんは、感謝することはすなわち生きる力につながる、と述べられました。

今得ているすべてのことに感謝することのできる人は、一生懸命生きるようになります。

そうする時、本当の意味で、周りの人々を助けることができるようになるのです。

そのように強調されました。

何度も危険な目に遭いながらも命をかけてそれらの子供たち、人々のために働く池間さんの姿勢は、本当に力強く、信念を実行に移している人が持つ感化の力を持っています。

「親もなく 路上で暮らす 飢えた児ら 心血注ぎ 命削ぎ支う」

この歌は、貧しい子供たちを救うために文字通り命をかけて立ち働かれる池間さんへの心からの賛辞です。

私も含めて会場にいた多くの方々が、彼のように全身全霊を込めて働き、奉仕する人にならなければならないと感じました。

これらの子供たちや人々をサポートするために、とても小さなことですが、私なりにできることを始めました。

まず、支援のグループを作りその輪を広げることと、30年近く続けてきた1カ月に1日食事を抜き、浮いた食費を貧しい人々だけでなくそれらの子供たちへも分かつことです。

皆さんも是非ご協力下さい。詳しくはこちらです。

 ↓ ↓ ↓

ロゴアジアチャイルドサポートは、貧しい中でも懸命に生きる子供たちを応援します。 アジアチャイルドサポート

また、以下の1クリック募金サイトへのご協力もよろしくお願いします。
募金ボタンをクリックするだけで、無料で募金ができます。

1クリックあたり1円をスポンサー企業がクリックする人に代わって寄付してくれる仕組みになっています。

「熱帯雨林保全」や「難病のこども支援」、「環境学校支援」、「循環型農業支援」、「南太平洋諸国支援」、「シルクロード緑化支援」など数多くの国内外の支援プロジェクトを行うNPO団体に募金してくれるサイトです。

小さな善意が多くの子供たちの命を救い、自然環境を守り、また人々の自立を支援します。

http://www.dff.jp クリックで救える命がある

   ↑  ↑  ↑
こちらをクリックしてください。

2006年4月25日 (火)

真珠貝-異物を美しく貴い宝へ

Akoyapearl01 真珠-それは女性であれば誰でもがあこがれる装飾品のひとつです。

真珠といっても白蝶真珠や黒蝶真珠からマベ真珠、淡水真珠など様々な種類があるようですが、日本で生産される代表的な真珠といえばやはりアコヤ真珠です。

三重、愛媛、長崎、大分、熊本県などのきれいな海でアコヤ貝を母貝として養殖されています。

興味深いのはそれらの貝たちが美しい真珠を作る過程です。

真珠を作る貝の中には「外套膜」と呼ばれる貝殻をつくる成分を分泌する膜があります。
貝の貝殻と内臓を被っている膜のことです。

もし貝の体内に小石などの異物が入った場合、この外套膜が真珠質を分泌して異物を幾重にもくるんで真珠層を形成していきます。

養殖真珠は、この外套膜の性質を利用して作られるのです。

ほとんどの人が知っていることとは思いますが、真珠貝はなんと自身にとってとてもやっかい物であるはずの小石のような異物から美しい宝石を作り出していたのです。

何とすばらしいことでしょう!

先日のブログで「天は汝の受けた艱難を神聖なものにし、それを汝の益として下さる。」私はそう信じておりますと記しました。

さらに、艱難や苦難、試練や悲しみは、決して人をつまずかせるものではなく、それを受け入れ、耐え、乗り越えるべく最善の努力をする人を精錬するものであることをオジーやオバーに教えていただきましたと記しました。

Umitosora08_1 まさにそのとおりだと思います。真珠貝の真珠作りの過程はまさにそのことを象徴しています。

時には辛く悲しいこの人生、でもそれだからこそ真の喜びと成長を得られるのです。

どんなに辛くても決してあきらめず、どんなに悲しくてもくじけず、どんなに厳しくても前を向いて歩み、ひとりひとり異なる「美しい人生の真珠」を私たちの内に作りましょう!

決して投げ出さず、じっくり時間をかけて丹精込めて精進するならば必ずできるはずです!

寡黙に異物の痛みに長く耐えつつそれを嘆くことなく美しい宝に変えるあの真珠貝のように……。

2006年4月24日 (月)

純鉄-奇跡の素材&鉄の真の姿

Umitosora14 皆さんは「純鉄」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

純鉄とは錆の原因になる硫黄やマンガンをはじめ炭素や窒素、酸素などの不純物が0.5%未満すなわち純度99.5%以上の鉄のことをいうそうです。

おもしろいことにこの純鉄は錆びにくいのです。

インドのニューデリー市郊外のクトゥプ・ミナールと呼ばれている寺院の中庭には、高さ7.5メートル、重さ6トンの、紀元415年に建てられたと伝えられる鉄の柱があります。

驚くなかれ15世紀の間ほとんど錆びずに屋外に立っているそうです。

この柱は純鉄製と言われていて、誰がどのような技術でこのような鉄を精錬し、大きな柱を造って建てたかは解明されていません。

世界の七不思議の中に数えられています。

そしてこの鉄柱の純度は99.72%ということです。

さらに最近、不純物を完全に取除く純鉄の研究が進み、99.9995%の純鉄を造る技術が開発されました。

この技術により造られた純鉄の化学的な性質は、私たちの鉄に対する常識を完全に覆すほどの特殊なものです。以下の通りです。

 1.白金のように輝き、大気中に1年以上放置しても錆びない。

 2.0.001モル濃度の食塩水に2時間浸した時、99.995%の鉄では
    錆びるが、99.999%の純鉄では錆びない。

 3.塩酸や硫酸にも溶けず、王水のみに少しずつ溶ける。

「鉄は強いが、錆びやすく酸にもろくも溶けてしまう」というのがこれまでの常識です。しかしながら、超純度の鉄すなわち本来の鉄は決してそうではないのです。

もしかしたら100%の純鉄は全く錆びず、王水にすら溶けないかも知れません。

私たち人間も、消極的な思いや行い、不純な思いや自らの良心に反する行いという不純物を取り除くことができるとするならば、超純鉄の上記3つの特質を身に負い、

 1.白金のように喜びで顔を輝かせ、

 2.心の錆びすなわち心の衰えを少しも覚えることなく
   すべての事柄に積極果敢に取り組めるようになり、

 3.どのような艱難や苦難にもくじけずに乗り越えて、

人生における真の成功と幸福を得られるようになるのかも知れません。

そのように考えるとき、内なる不純物を一掃できるならば、人は純鉄のように内に秘められた恐ろしいほどの可能性を引き出し、伸ばし、開花させることができるのではないかという大きな希望が湧いてきます。

私たちの身の周りにあるすべての自然物は、私たちが幸せになるためのとても大切な真理をその内に秘めていると思えてなりません。

「王水」:濃塩酸と濃硝酸とを体積比三対一に混合した黄色の発煙性液体。
     強烈な酸化剤で、通常の酸に溶けない金や白金をも溶かします。
     金属の王である金を溶かすところから命名されました。

2006年4月23日 (日)

天に真っ直ぐに伸びる竹の節-魂の節

Chikurinn01_1私は竹が大好きです。

竹は天に向かって真っ直ぐに伸びます。

どんなに強い風にあっても、風に身を任せ、大きくしなりながらも倒れず折れません。

木の仲間であるにもかかわらず中身は空っぽ。

でも、一見弱々しそうですが、釣り竿として使われていることからも分かるように強さは半端ではありません。

同じ太さであれば、その強さは普通の木の枝の比ではありません。

いわゆる柔らかな強さです。

いったい、その強さの秘訣はどこにあるのでしょうか。

色々あると思いますが、私はその強さの鍵が「竹の節」にあるとかってに考えています。

伸びる度に増えていく竹の節。その節こそがどんなに風に吹かれ曲げられても決して折れることのない強さの基となっているのです。

まさに、人生の苦難を乗り越えるたびに人の魂に深く刻まれる「不屈の精神」や「自信」、「あきらめず・投げ出さずにやり抜く力」のようなものです。

私はそれを「魂の節」と呼んでいます。

そして難しい問題や壁にぶつかるとき次のように考えることにしています。

「『竹の節』のように、『魂の節』を作るチャンスがやって来た……。」


2006年4月21日 (金)

苦難との闘い-人生の記念碑を築く

Akaihana02今朝の記事でも触れましたが、私の娘は3歳の頃大病を患いその後10年にわたってその治療に苦しみました。

なかなか完治に至らないその病気との闘いの中、クリスチャンでもあるひとりの親友から一編の詩をいただきました。

娘のことで思い悩む私を少しでも励まそうとの温かい心遣いでした。

本当にありがたく思いました。

友は本当にいいものです。

喜びも悲しみも肩の荷も共に分かち合い共に負ってくれます。

その詩は「記念碑」というタイトルです。とても味わい深い詩です。

    「記念碑」
            作者未詳
神様は
その子供たちを地上へ送られる前に
彼らのひとりひとりに
慎重に選び抜かれた試練のはいった箱を与えられました。
彼は微笑みながら
それらの試練があなただけのものであることを約束されました。
あなた以外の誰も
それらの試練があなたにもたらす祝福を受けることは出来ないでしょう。
そしてあなただけが
それらをあなたの しもべ とするために必要な
特別な才能と能力とを持っているのです。

さあ!
未知の旅へと出かけなさい。あなたの誕生へと…
私が幕の彼方からあなたをこよなく愛していることを
決して忘れてはいけません。
私があなたに与えるこれらの試練は、
私のあなたに対する愛のしるしです。
そして
これらの試練の助けを通してあなたが築く人生の記念碑は
あなたの私に対する愛のしるしとなるでしょう。

               天父

「人事を尽くして天命を待つ」

とはとてもすばらしい言葉です。

その意味は、自らの最善を尽くして本分を果たし、あとは天の御心にすべてを委ねる、という意味だと理解しています。

ただ、この言葉に秘められた「どのような結果になろうともそれを感謝の心を持って受け入れる謙虚な心」を決して忘れることのないように努めながら、これを少しだけ変えて

「天命を信じて、人事を尽くす」

すなわち「天の御心ならば必ず大丈夫と固く信じて最善を尽くす」とき、文字通り天の御旨なら、私は大いなる奇跡を見ることが出来うると確信しました。

娘の病は、10年の長い歳月はかかりましたが、奇跡的に完治しました。

「天命を固く信じ」「決してあきらめず」「自らの最善を尽くす」とき、それが神の意であるなら必ずや天の窓が開かれ、本当に奇跡の道が開かれるのです。

またそれと同時に、たとえ私たちの願いや望みが天の御旨にかなわなかったとしても「天は汝の受けた艱難を神聖なものにして、それを汝の益として下さる。」とも私は固く信じています。

そしてその経験は、今後私たちの前に置かれるどのような試練にも真正面から立ち向かい乗り越える助けとなる「人生の記念碑」のひとつとなることでしょう。

温かく励ましてくれた親友に心から感謝しています。



母の祈り

Umitosora13 私の長女は今年高校2年生ですが、彼女が三歳の時、非常に重い病気にかかりました。

訪れた県立病院の専門医に診察していただいた結果、非常に深刻な進行状態であることが分かりました。 その後、自宅の近くにある国立病院の有名な小児専門医を紹介され、本格的な治療が始まりました。

ところが様々な薬物治療がなされますが、思うような成果がなかなか得られません。

当初からかなりの長期戦になることは覚悟していましたが、この種の病気の中でもかなり症状が重く、担当の医師も厳しい表情です。

ある日その担当医に夫婦で呼ばれまして、相談を持ちかけられました。

娘の症状は殊の外重く、現在の症状を抑え、抜本的な治療を施すためには入院が必要であること、その治療には副作用が伴い、完治は難しく、症状が大きく改善する確率も三分の一とのことでした。

もちろん命の危険もあります。

「どうしますか」との問いが投げかけられました。

「どうしますか」と言われても、その治療法以外には他に打つ手はなく、そのままでは命の危険も伴います。

完治は困難、症状の大幅改善の確率三分の一と言われても、もうやるしかありません。

早速、入院の手続きが取られ、特殊な治療が始まりました。

これまでの人生の中で、これほど必死に祈った経験はありませんでした。

当時五歳になる上の息子と、一歳半の下の息子を連れて実家に預けるたび、母が私たち夫婦以上の切実さで朝な夕なに必死に祈っている姿を目にしました。

二人の息子も、そのおばあちゃんの祈る背中を毎日のように見つめました。

娘は、治療期間中かなりの副作用で苦しみました。

しかしながら治療は大きな効力を及ぼし、あの重い症状は徐々に引いていきました。

もちろんその後も長く治療と投薬は続きましたが、日常生活を全く問題なく送れるほどに回復しました。 担当の医師も奇跡が起こったと本当に喜んで下さいました。

普通の子供のように幼稚園に通い、そして普通の子供のように小学校へ上がりました。

私たち夫婦にとって、その平凡でごく普通のことが、本当に大きな幸せであると身に染みて感じ感謝しました。

娘が中学へ上がって間もなく、十年近く続いた治療・投薬は病気の完治と共になくなりました。

担当の医師もこれほどまでの回復は、症例が本当に少ないと手放しで喜んで下さいました。

まさに奇跡でした。

温かく支えて下さった担当の先生や病院のスタッフ、周りの方々へ心から感謝しました。

そして十年間ほとんど一日も欠かさず祈ってくれた母(おばあちゃん)には、どのように感謝しても感謝し切れません。

情愛を込めた祈りは奇跡を生むとは月並みな表現かもしれませんが、私たちにとっては本当に重い言葉です。

「子や孫の 幼心に 焼き付くは 祈るオバーの 小さな背中」


2006年4月19日 (水)

父の禁煙

Akaihana03a20数年も前のことです。私が大学受験へ向けて必死に勉強していた浪人時代のある日、1日2箱のたばこを吸っていた父が、まさに突然きっぱりとそれを止めたのです。

家族一同はもうびっくり! もちろんみんな一様に大歓迎です。

「父ちゃん、たばこ吸い過ぎると身体によくないよ~。もう止めたら。」

日頃から父にそのようにしつこく禁煙を勧めていた私などは、内心

「俺の再三の禁煙攻勢がついに功を奏したぜ!」

と得意満々でした。

ところが、その私の高慢な高い鼻が完璧にへし折られたのは、それから何年もあと、私が結婚して、最初の息子が生まれた時でした。

父親になった私に、母が懐かしそうにこう話したのです。

「吉隆、あなたが浪人の頃、父ちゃんたばこ止めたでしょ。なぜだったかわかる?」

「そりゃあ、父ちゃんの健康を考えて、みんなが執拗に禁煙勧めたからでしょ。」

すると母は優しく曰く、

「もちろんそれもあるし、父ちゃん自身の健康のためでもあるけれど、一番の理由は、あなたが大学に受かるように願をかけて苦しいニコチン中毒をものともしないで止めたのよ……。
あなたもこれから一児の父親、父ちゃんのあなたに対する愛情をいつも心に留めながら、子育て頑張ってね。もちろん無理はしない自然体で……ね。」

大ハンマーで頭を思いっきり殴られたような気がしました。

同時に、ニコチンの禁断症状で、いらだつ気持ちを抑えようと必死にあめ玉をしゃぶったり、ガムをかんだり、禁煙パイプのようなものをくわえて気を紛らわそうとする父の姿が思い出され、胸がとても熱くなりました。

やがてこぼれそうになる涙を母に悟られまいと本当に必死でした。

親というものは本当にありがたい存在です……。

それからの約20年間、今に至るまで、私は酒・たばことはきっぱりと縁を絶ちました。

父から受けたおそらく返すことの出来ない深い愛情と恩に、父のように自分の子供たちの幸福を願い努め励むことによって少しでも報いられるように……。


2006年4月17日 (月)

思いや考えのコントロール→人格形成

Amaririsu04幸福で豊かな人生を送る秘訣のひとつ、それは自らの思いのコントロール。

それは自分自身を内から根本的に変え、常に明るく前向きに歩む大きな力となり、真の成功を勝ちうる鍵となります。

スカイクエストコムのインターネット教育サービスは、以下のような正しい心のありようを自らの実践を通じて体得した成功者たちの教えで満ちています。

「人はその心を正しい目的に近づければ近づけるほど成長し、真理に対する知識を増す上でその速度を速めることができる。

人は自己の感情を支配することができれば、やがて目指す目的を遂げるに必要なほどにまで自分の思いや考えを制御することができる。」

           ブリガム・ヤング

「思いや考えをコントロールできると、人は人格を高めることができる。
 何故なら、人格はその人の思いの集大成だからである。」

           ヒーバー・C・キンボール

「人は運命や環境に翻弄されて救貧施設や監獄に入るようになるのではなく、自分が抱いている卑しい思いや、卑劣な欲望によってそうなるのである。

また純粋な心の持ち主が外部からの強い働きかけで突然、悪事に走るということはあり得ない。

その人の心の中ではひそかによからぬ思いが育っており、たまたま機会があってその力があらわになったに過ぎない。

環境が人間を作るのではない。

環境は自分自身を明らかにするものである。

人が悪を働く要素を全然もっていないときに悪に走ったり、それに付随する苦難を味わったりすることはない。

またこれを同様に、徳に対する大きな望みを常に心に育むことなく徳高い人になろうとしてもできない。

従って、人は自分の思いの主であり支配者であり、自分自身を作り環境を形作る者である。」

           ジェームズ・アレン("As a man thinketh")

バーナード・ショーも次のように述べています。

「人は自分の問題を環境のせいにする。
 私は環境など信じない。
 世間で頭角を現す人物は、
 自分の望む環境を自ら探し求める人物であり、
 もしそれが見つからないときは
 自分で作り出す人物である。」

本当に感銘を受けました。

もちろん環境が人の物の見方・考え方、成功や失敗に少なからず影響を与えることは決して否めません。

しかしながら、最終的な成功の鍵、人生を満ち足りた幸福なものにしていく鍵は、真理を見極める目、そしてやはり私たちの心の持ち方「思い」なのだと思います。

2006年4月16日 (日)

歌は本当にいいもんだ-青春時代の思い出

Umitosora11 昨日の歌にまつわるブログに引き続き、今日も歌に関するブログ第二弾です。

高校2年生の2学期、クラスメイトに推されて学級委員長に選ばれました。

その頃のわがクラスには色々な問題があって、みんなの気持ちも暗く互いにぎくしゃくした状態が続いていました。

何らかの手を打たなければ、楽しいはずの学校生活がまさにブルー一色です。

ある放課後、私も含めて3人の気心知れた有志が集まり対策を練りました。色々知恵を絞り秘策を模索する中、クラスの歌を作り毎朝のホームルームの時間にみんなで歌おうということになりました。

私が歌詞を考えて黒板に記し、友人のひとりがギターで曲を付けてくれました。

曲名は、ちょっと気恥ずかしいのですが、「歩もうぼくらの青春」です。

皆さんにその歌詞を紹介するのはもっと気恥ずかしいのですが、ちょっと勇気をふるって以下に記します。

ちょっと青臭いところは若者の純真さから来るものと片目をつぶってやって下さい。

   「歩もう僕らの青春」

  普天間高校2年6組のクラスの歌
   1976年9月(高校2年の秋)作詞

1.悲しみにふさぐ時 ひとりで泣くのはやめよう
  みんなの笑顔があって みんなの声が聞こえる
  ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
  あなたと私の 手を取り合って
  歩もう歩もう 僕らの輝く青春を

2.嬉しさにはずむ時 分かち合おう喜びを
  みんなの愛があって みんなの瞳が輝く
  ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
  あなたと私の 心を結び
  歩もう歩もう 僕らの輝く青春を

3.さあ みんなシオンに集い
  固いひとつのスクラム組もう
  そして進もう 力の限り 僕らの星をめざして
  ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
  あなたと私の 肩よせ合って
  歩もう限りない 僕らの輝く青春を

  ひとりじゃないんだ ひとりじゃないんだ
  あなたと私の 手を取り合って
  歩もう歩もう 僕らの輝く青春を

  歩もう限りない 僕らの輝く青春を

担任の先生にお願いして、毎朝のホームルームで5分ほど時間をいただき、私たち3人で音頭を取って歌いました。

最初小さかったみんなの声も次第に大きくなり、沈んでいた顔もいい顔になり、クラスの中に以前の明るい雰囲気が戻っていきました。

進級までの半年間毎朝心合わせて歌う中、みんなの心もひとつとなり本当に仲のよい明るいいいクラスになりました。

教壇をステージに替え、全クラスの同年生たちを招待してのコンサートもたびたび開催したりもしました。

歌が、言葉を越える力-人の心をひとつに結ぶ力があるというのは確かです。

歌は本当にいいもんです。

青春時代の懐かしく嬉しい記憶の1ページでした。

2006年4月15日 (土)

「ねぇ 歌おう」

Amaririsu02 昨晩、古い教科書や資料を整理していた6年生になる息子が、処分しかねていた学校の音楽の資料を携えて私のもとへやって来ました。そして息子曰く、

「お父さん、これ5年生の時に音楽で使った楽譜や歌詞なんだけど、捨ててもいいかな。」

「もういらないの。」

「うん。でもちょっともったいない気もして迷っているんだけど……。」

「どれ、お父さんも見てみよう。」

と手にして10数枚の印刷された楽譜や歌詞に目を通すと、なんとすてきな歌、歌詞の数々。思わず感動して、

「まさとが要らないんならお父さんもらってもいい?」

「いいよ。捨てるの迷ってたからちょうどいいや。」

ということで、全部もらっちゃいました。

今日はその中のすてきなひとつの詩を紹介します。

中山真理さんの「ねぇ 歌おう」という詩です。

 表したい気持ちはいつだって
 胸の中にたくさんあるけれど
 みんなきっと本当はね
 わかり合いたくて でも
 うまくそれが 言えないから
 もどかしいよね

 ねえきみ 歌おう
 歌は言葉を越えるから
 ねえきみ 歌おう
 歌は心をつなぐから

 もっと優しくなれるように
 もっとまあるくなれるように
 もっと大きくなれるように
 人の想いがわかるように

 人は昔 言葉を知らなくて
 どうにかして気持ちを伝えたくて
 声を出して 叫びあって
 いつしかわかり合えた
 そしてやがて生まれたのが
 歌うことだよ

 ねえきみ 歌おう
 歌は言葉を越えるから
 ねえきみ、歌おう
 歌は心をつなぐから

 もっと優しくなれるように
 もっとまあるくなれるように
 もっと大きくなれるように
 人の想いがわかるように

高校時代、親しい仲間たちと互いにギターを持ち寄り、オリジナルの曲を演奏し合ったり、「かぐや姫」や「さだまさし」、「松山千春」など往年のスターたちの歌をコピーし、青春を謳歌しておりました。

歌には確かに自分の想いを言葉以上に伝える力があります。
また人の心を癒し、鼓舞し、その心をひとつに結ぶ力があります。

歌は本当にいいものです。

忙しさにかまけて忘れていたとても大切なものを思い出したようなとてもさわやかな気持ちになりました。

今日、錆び付いた懐かしの古いギターの弦を張り直し、これまた懐かしい音色を楽しんでいます。

天は汝の受けた艱難を神聖なものにし、それを汝の益として下さる。

Umitosora07 去る大戦で父を失い、母を失い、子や孫を失い、親族・友人、財産の多くをあるいはすべてを失ったおじいちゃんやおばあちゃんたち。

その狂おしいほどの絶望、壮絶なまでの飢えや悲惨さをその身で経験し、死の淵をさまよいながらまさに地獄のどん底から這い上がってきたおじいちゃんやおばあちゃんたち。

そういう彼らだからこそ、真に命の尊さ、平和のありがたさ、隣人や家族の心の温もりがいかに人の心を満たし、その傷を癒すものであるかを身に染みて知っています。

それらをベースに育み、身につけてきた

「たくましさ」や「勤勉さ」、

艱難・苦難を「ユーモア」や「ウィット」で笑い飛ばす「底抜けの明るさ」、

ナンクルナイサ(なんとかなるさ)の言葉に象徴される「将来に希望を持つ楽観的な物の見方・考え方」、

テーゲーヤサ(だいたいで大丈夫だよ)という言葉で表される「物事にこだわらず悩まない心」、

「相手を赦す心」、「物事に動じない強い心」、

不当な権威や権力に対する抵抗や「アイロニー」、

「家族や隣人への思いやりやいたわり」、

「幼子のような素直で純朴な心」、

「子や孫の幸福を願う心と祈り」

そして経験や知恵から醸し出される「教え諭す力」は、珠玉のように輝く彼らのすばらしい特質です。

「天は汝の受けた艱難を神聖なものにし、それを汝の益として下さる。」私はそう信じております。

艱難や苦難、試練や悲しみは、決して人をつまずかせるものではなく、それを受け入れ、耐え、乗り越えるべく最善の努力をする人を精錬するものであることをオジーやオバーに教えていただきました。

もちろん世の中に完全な人は一人もいません。みんな弱点も欠点もたくさん併せ持つ生身の人間です。

でも、最悪の状況の中から最善のものを引き出す能力は、オジーやオバーのようにすべての人の内に秘められていると信じています。

「感謝」と「希望」そして「決してあきらめない」心をもって前へ進む限り、私たちの人生は必ず花開くときが来るのです。

みなさん一緒に丹精込めて一生懸命精進しましょうね……。

2006年4月14日 (金)

ジョーク-あのチキン本当に美味しかったわ!

Amaririsu03_1 スカイクエストコムのエンターテイメントページからのジョーク第2弾。

今回も少し頭を柔らかくして大笑いし、心も体も健康になりましょう。では……、

ほとんど目が見えない一人の老婆がいました。彼女の3人の息子は、それぞれ彼女にとって誰が一番素晴らしい息子か証明したいと思いました。

1番目の息子は、15階建てのマンションを彼女に買い与えました。彼は、他の誰にもそのようなプレゼントはできないので、これが一番だろうと確信を持っていました。

2番目の息子は、運転手付きの美しいベンツを彼女に買い与えました。彼は、きっとこれが彼女にとって一番満足がいくものであると信じて疑いませんでした。

3番目の息子は、さらに凄いことをしなければなりませんでした。それで、彼はオウムを購入し15年の間に聖書を全部暗記させるように訓練しました。オウムに聖書のすべての節を尋ねることができましたし、オウムは一語違わず引用することができました。

息子たちは母親に尋ねました。どの贈り物がよいですか。

すると老婆は1番目の息子に言いました。「息子よ、家はとても豪華ですが、私には広すぎます。今でも一室しか使っていないし、掃除が大変なのです。気持ちは嬉しいですが、その家は私には必要ないです。」

それから、2番目の息子には、「息子よ、車はとても素晴らしく、何も言うことがない位すべて装備されています。でも、私は車を運転しないし、それに運転手が嫌いなのです。申し訳ないけど、車を返して下さい。」と丁重に断りを入れました。

その次に、彼女は、3番目の息子に言いました。「息子よ、あなたの贈り物が私にとって一番嬉しかったわ。あなたには本当に感謝してます。あのチキンは本当に美味しかったわ……。」

私たちも、日々の生活の中でとても大切なもの、貴重な事柄をないがしろにしていることがあるのかも知れません。

スカイクエストコムのインターネット教育サービスは、人生を豊かにする貴重な宝で充ち満ちていますよ。

2006年4月13日 (木)

横断の 途上で足止め 車止め 児童らを見送る オジー優しや

Umitoiwa01いよいよ新学期も始まり、毎朝色とりどりのランドセルを背負い元気よく登校していく子供たちの姿が見られます。とてもほほえましい光景です。

私の小学6年生と3年生になる下の息子娘も、毎朝黒と赤のランドセルを背負い元気一杯「行ってきま~す!」と大きな声であいさつし出かけていきます。

そんな多少慌ただしい朝の出来事です。

会社へ出勤する際、家の近くの信号のない横断歩道で、身体よりも大きいかと思われるランドセルを背負った小さな子供たちが道を横切ろうとしています。

子供たちが登校する朝の七時半から八時までの間は、出勤途上の車のまさにラッシュアワーです。

信号のない横断歩道ほど危険なものはありません。通常はPTAの役員の方々、御父母の皆さんが交代で安全指導を行うのですが、その日はたまたま安全員のいないとても危険な状態でした。

子供たちの反対側から来た八十歳なりなんとするおじいさんが、子供たちを気遣い道の真ん中で足を止め、黄色い旗の代わりにしわくちゃの手を一杯に広げて、子供たちを優しくいたわるように横断させていました。

何とも心温まる光景でした。

オジーやオバーたちの子供たちに対するまなざしは、いつも温かく、それを目の当たりにし、その温かさを感じるたびに、満ち足りた思いと元気が体の奥底から湧いてきます。

一日がとてもいい一日になるようなすがすがしい気持ちになるのです。

2006年4月11日 (火)

オヤジはなかなかの教える策士

Amaririsu01 私の父は、私たち子供たちが、小学校から中学校にかけて進級していく中で、よく勉強を見てくれました。

ただあまり多くのことを語るような人ではありませんでした。

まずは、とにかく学校の授業に徹底集中して先生の説明を完全に理解することを基本にしなさいと強調しました。

「授業中先生の顔から目を離さず授業をしっかり聞きなさい」

「先生が黒板に書くことはすべて写しなさい」

「予習はいいから復習を徹底しなさい」

の三つの原則を徹底して実践するなら、必ずや成績が悪いということはあり得ないというのが父の持論でした。

そして家に帰ってきたら各自復習しますが、その後夕食を終えてから父と共にゲーム感覚で、加減乗除の問題や漢字の書き取りをやりました。

特に漢字などは、小学校で習う範囲の漢字をはるかに超えて、とにかく、木偏のつく漢字、言偏のつく漢字、三水のつく漢字、ウ冠のつく漢字等、部首別に字典から覚えさせて、兄や妹たちも含めて、二、三分間に何文字書けるか競わせるのです。

兄や姉たちには負けたくないですし、妹には絶対負けられません。

自ずと力を入れて同じ部首の漢字を覚えるようになり、短時間でより多く書けるように努力するのです。

負けたらその悔しさをバネに一生懸命覚えますから、一部の部首の漢字によっては、五十個以上まで書けるようになり、ちょっとした漢字博士になりました。

私たちの性格をうまく読まれ、ゲーム感覚でうまく競わされ、楽しみながらも計算力や漢字力を身につけていくことができたわけです。

すべて、父の思惑通りです。父はなかなかの策士でした。

「漢字書き  木偏・言偏・ウ冠 励ますオジー 競う子供ら」

スカイクエストコムの世界一流のセミナー講師たちは、文字通りプロの策士です。すなわち、ビジネスにおいて成功を収め、幸福な人生を送る助けをなすその道のエキスパートです。

2006年4月10日 (月)

コスモス文学新人賞受賞!

Kiiroihana2昨日1通の本当に嬉しい手紙が届きました。

第98回コスモス文学新人賞発表のお知らせの手紙です。

2カ月ほど前に応募していた「沖縄のオジー・オバー、父母バンザーイ!!&サンキュー39」と題する私のエッセイ集がなんとノンフィクション部門で最優秀の「新人賞」を受賞してしまったのです!

ウッソ~~~ッ!!という感じでした。今でも信じられません。

最初はエイプリルフールの冗談かとも思いましたが、送られてきた書類から受賞は間違いなさそうです。

初応募の初受賞は本当に嬉しいです!!

「落っこちても何も失うものはない」

「自分で不可能だと思わない限り、人は決して敗北しない」

とか心の中でとなえながら、まずはチャレンジと軽い気持ちで応募しました。

「このような作品を出すこと自体笑われないかなあ」

と内心は多少引き気味ではあっただけに、受賞の知らせは本当にびっくりしました。

自分の中で、物事に対して取り組む際の考え方が大きく変わるような大事件となりました。

人生は、積極的な物の見方・考え方、心の持ち方で大きく開ける可能性があると本当に実感しました。

自分の得意でない分野でも積極的にチャレンジしていくことはいいことだと思います。今後とも精進したいと思います。

2006年4月 8日 (土)

病床の 母に代わりて 姉二人 高校休み 交互に家事す

Pinkbara1わが家は、七人兄弟の九人家族でした。

終戦直後の物に乏しい時代、父や母は育ち盛りの子供たちを養うのに本当に必死でした。

そんな中母が原因不明の病気に倒れ、数年にわたって寝込んでしまいました。

どの医師もさじを投げるほどの病気で、母は何度も死の淵をさまよいました。

家事は当時高校生だった長姉と次姉が主に切り盛りすることになります。多感な年頃の二人にとっては、非常に大きな肩の荷だったに違いありません。

ある日、長姉が目を真っ赤に腫らして帰宅しました。

物心ついたばかりの私には、その理由など知るよしもありません。

後年その理由を知りました。そして私にとってさらに衝撃的な事実を最近知りました。

当時月末になると私は母がわが家の後隣に住んでいた親切なおばさんからお金を借りる姿をよく見かけました。しかしながら、その時はそれも叶わなかったのでしょう。姉は父や母の代わりに親戚の元へお金を借りに出かけたのです。

でも、どの家も貧しく苦しい時代、姉は母の期待に反してお金を借りられずに心を痛めながら帰宅したのです。目を真っ赤に腫らしながら……しかもその後度々です。

さらにその姉と次姉は、母が全く起き上がれなかった時期、一週間交代で高校を休んで母を看病し、なおかつ家事を切り盛りするために自分たちの時間を捧げました。

彼女たちは高校生活のほとんどを母や私たち弟や妹のために喜んで犠牲にしました。私が、姉たちの心の葛藤や痛みを全く知らずに、のどかに遊びほうけていたその時期にです……。

「私たちあんなに学校を休んでよく卒業できたよね。(笑)」

「だっからよ~。私の三年生の時の欠席数は、卒業には厳しいかなりの日数だったと思うんだけどね~。本当に無事卒業できて良かったさ~。(笑)」

明るく笑いながら話す二人の目は、本当に優しく輝いていました。

物心ついた頃から私にとって二人はとても優しい姉たちでした。

特に長姉から怒られた記憶はほとんどありません。身内が言うのも何ですが、本当に明るい弟妹思いの姉たちです。

武田鉄矢さんの「贈る言葉」の歌詞に次のようにあります。

「人は悲しみが多いほど 人には優しくできる…」

人はつらく悲しい経験が多いほど、他人の心の痛みを自分の心の痛みとして感じながら優しく手を差し伸べることができるというのは本当だと思います。

だからこそ、姉たちや戦争の地獄をくぐり抜けてきたオジーやオバーたちは、本当に優しいのです。

その姉たちもやがて六十歳。もう少しで、優しく魅力溢れるオジーやオバーたちの仲間入りです。

父や母と同じように姉たちにはどんなに感謝しても感謝し切れません。

そして、姉たちの家族を思うが故の思いやりの行いを、私は一生忘れません。

キャンプ・シュワブ沖合移設堅持を!

Heritsuiraku01 私が中学一年生だった昭和四十七年五月十五日、沖縄は悲願の本土復帰を果たしました。

ところが、米軍普天間飛行場の現状は何ら変わらず以前のままです。

まさに校舎の目の前は、道路と鉄条網を隔ててすぐ基地。離発着する戦闘機やヘリコプターが、毎日手を伸ばせばすぐ届きそうな眼前に見えます。

その爆音は半端ではなく、一日に何度となく授業が中断されました。小学校から上がってきたばかりの私には異常としか思えませんでした。

復帰直後の五月下旬頃、ひとりのオジーが爆音の激しい基地に向かって腕を組み、憮然とした表情で飛行機をにらみつけています。

戦中、戦後のあまりに厳しく悲惨な時代をくぐり、生き抜いてきたそのオジーの目の前には、決して終わらぬ戦後がありました。

その背中は本当に怒りに震えているようでした。

国語の授業で短歌の課題が出された折、私はそのオジーの、基地も戦争もない平和な世界が実現できるようにとの切なる願いを代弁して次のように詠み、オジーの切実な願いが叶えられるよう心から祈りました。

 「爆音と 共に飛び立つ 飛行機め 何が自衛だ 音公害機」

ところが、平成十六年八月十三日、普天間飛行場を離陸したCH53D大型輸送ヘリが、こともあろうに沖縄国際大学に墜落。

復帰以降、十四回も墜落事故を起こしている米軍ヘリが、初めて基地外の住民地域に墜落したことで、私たちは強い衝撃を受けました。

市内真志喜にある私の自宅からその大学は目と鼻の先です。

学生・市民への人身事故に至らなかったことは、まさに奇跡としか言いようがありません。

何度も同型ヘリの飛行差し止め、全面的なヘリの飛行停止の訴えがなされましたが、米軍および日本政府の対応は、あまりにも理解のない冷たいものでした。

さらに、在日米軍再編の中間報告に示された普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設について、当時県内の世論は七割強が反対していました。

ところが、県も地元名護市も受け入れたシュワブ沖の海上案を、地元に何の打診・相談もなく沿岸部への移設へ変更すると政府が発表。日米両政府「合意」の下で決定され提示されたものです。

政府はさらに、基地建設予定海域の使用権を県から国に移す特措法案を年明けの通常国会に提出する動きすら見せ、県民の意思を全く無視する形で事を進めていきました。

島袋吉和名護市長は二日、移設案をめぐる政府との協議について「名護市の考え方を堅持しながら、国と対峙していきたい」と言及。

一方自民党の久間章生総務会長は「政府は振興策を全部やったわけだから、あちらも約束を果たしてもらわないといけない」と述べ、名護市側の譲歩を求めています。

去る大戦で、唯一地上戦を経験し、十数万もの住民および日米の軍人・軍属を含めると二十数万もの尊い血が流された沖縄。

さらには戦後六十年にわたって過重な基地問題、基地被害に苦しんできた私たちに、これ以上の負担は厳しいと感じています。

オジーやオバーたち、父や母たちの長い苦しみや痛みに全く理解の心を持たない、振興のアメと沿岸移設譲歩のムチを突きつける政府のやり方には断固反対です。

宜野湾市の痛みを自ら引き受けつつ、普天間飛行場ヘリ事故の惨劇を二度と繰り返すことのないよう市民の命と財産を守るべく沖合移設を堅持する名護市の姿勢は、決して批判に当たらないと考えます。

強者の論理によりもたらされる弱者の苦しみや悲しみ、痛みはもうたくさんです。

2006年4月 6日 (木)

スカイクエストコムの理念

Umitosora06 インターネットによる教育サービスを提供する急成長中の企業スカイクエストコム。

それが真に目差すところとは、世界超一流のその道の成功者たちによる、自己啓発、自己開発、自己改善、自己実現を可能にする原則と具体的な応用方法を実体験を元に示して、各々が真の自立と「賢く、愛情に溢れ、尊敬に値する家庭を築く」ことができるよう支援をすることです。

すなわち「最先端のテクノロジーと起業家精神を通じて最高レベルの教育を提供し、人々の人生の質の向上を図る」ことにより、「あらゆる家庭とビジネスに豊かな恩恵をもたらす」ことです。

しかも、一生涯にわたってつき合える友を作りつつ……

スカイクエストコムのインターネット教育とそのビジネスを通じて、経済的、時間的な自由を勝ち得、真に幸福な家庭を築く堅固な基盤ができると確信しております。

私が大好きな、いにしえの賢人の次の詩は、少しだけ手を加えると、

まさにスカイクエストコムが目差すところそのものです。

 思いの種を蒔いて 行いを刈り取れ
 行いの種を蒔いて 習慣を刈り取れ
 習慣の種を蒔いて 人格を刈り取れ
 人格の種を蒔いて 永遠の幸福を刈り取れ

      ↓ ↓ ↓

 思いの種を蒔いて 行いを刈り取れ
 行いの種を蒔いて 習慣を刈り取れ
 習慣の種を蒔いて 人格を刈り取れ
 人格の種を蒔いて ビジネス成功を刈り取れ
 ビジネス成功の種を蒔いて
 家庭の真の幸福を刈り取れ

知識は知恵に、知恵はこの厳しい時代を生き抜く力になります。そしてそれは、あらゆる家庭やビジネスに豊かな恩恵をもたらす力となるのです。

スカイクエストコムで、あなたも、学び、始めてみませんか?

2006年4月 5日 (水)

Tsutsuji3 クリックするだけで募金ができるサイトを見つけました。

知っている方も多いと思いますが、募金サイトの募金ボタンをクリックするだけで、無料で募金ができるそうです。

1クリックあたり1円をスポンサー企業がクリックする人に代わって寄付してくれる仕組みになっているようです。

「熱帯雨林保全」や「難病のこども支援」、「環境学校支援」、「循環型農業支援」、「南太平洋諸国支援」、「シルクロード緑化支援」など数多くの国内外のプロジェクトを行うNPO団体に募金してくれるサイトです。

時間がある時に是非クリックしてみてください。

小さな善意が多くの子供たちの命を救い、自然環境を守り、また人々の自立を支援します。

http://www.dff.jp クリックで救える命がある

   ↑  ↑  ↑
こちらをクリックしてください。

2006年4月 4日 (火)

厳しい苦難を己を磨き高める糧に…

Tsutsuji2_1 私の中学の頃の先輩に心から尊敬するすてきな女性がおります。

どのようなときでも笑顔を絶やさず、周りの方々への細やかな心遣いを自然な形で行いに示し続けるとても優しい方です。

周りの方々の幸福そうな笑顔が、そしてそれをもたらすべく小さな親切の手を伸べることが、自身の一番の喜びと感じているようです。

以下の賢者の助言を文字通り地で実践している二児のお母さんです。

「喜びを得るための鍵は、人のために奉仕することです。……自由意志とは、わたしたちが熱心に努め、自らの意志で意義ある奉仕の業を行なうための力です。」

                   ゴードン・B・ヒンクレー

いつも明るい笑顔を振りまく彼女ですが、様々な人生の厳しい憂き目を何度となく味わってきました。口に尽くせない辛い挫折を幾度となく経験してきたのです。

でも持ち前の明るさと笑顔を決して失うことなく、その度に失意のどん底から這い上がってきました。

それらすべてに追い打ちをかけるように2番目の息子がダウン症で生まれたときにもそうでした。

一時期は、障害を持つ夫と共にお互い自分自身を責め、すっかり打ちのめされてしまったのですが、それでも顔を上げ、涙を拭いて、笑顔を取り戻し、黙々と奉仕活動に携わっています。2人の息子たちになお一層の愛情を注ぎつつ……。

何ら助けの手を伸べることの出来なかった私の思いは、C・S・ルイスのまさに次の言葉そのものでした。

「私は非常な苦しみを受けている人々の中に、魂の大いなる美しさを見た。
 ほとんどの人々が、日を経るにつれて大きく成長していく。
 落ちていくのではない。
 そして遂にその苦しみが最悪の条件の中から
 不屈の精神、愛と素直な心という宝を生み出すのを見た。」

彼女は賢人たちの以下の言葉を骨の髄まで深く理解し、今日も同じように寒さに震える方々へ温かい励ましの手を差し伸べています。

「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを知る。
 人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。」

             ホイットマン

「今日私が目にする最大の奇跡は、病める者の癒しではない。
  そうではなく、心に悩みを持ち、落胆し、取り乱し、挫折し
  そしてその挫折する一歩手前にある人々への助けである。」

             ハロルド・B・リー

頭で理解していても、同じように行動するのは私たち凡人には至難の業です。

でも差し伸べる温かい手をもっている人がこの世の中にいると知ることは大きな慰めと励みになります。

2006年4月 3日 (月)

インターネット教育サービス

Sqcposter1_1 今日は「賢く、愛情に溢れ、尊敬に値する家庭を築く」をモットーに、インターネット教育サービスを提供するスカイクエストコムの紹介です。

スカイクエストコム社は、オンラインによるE-ラーニング教育サービスを提供する世界27カ国以上で急成長している企業です。

1999年の設立以来着実に実績を上げ、わずか3年間で27カ国に広がりました。

昨年2005年度には、MLM業界で最も権威のある機関であるマルチレベル・マーケティング・インターナショナル・アソシエーション(MLMIA)から、国際企業大賞(インターナショナル・カンパニー・オブ・ザ・イヤー)も受賞しました。

これは、これまでの17年間にわたって受賞する企業がなかったほどの特別な賞で、まさに快挙でした!

スカイクエストコムは、シンガポール直接販売協会に認定された初めてのネットワークマーケティング企業であり、他社への模範を示しました。

また、唯一の外国企業として中国の直接販売会議に出席し、自社のみならず、直接販売業界全体に世界への扉を開きました。

またマレーシアでは、そのビジネスモデルの付加価値と経済への貢献が認められ、ヒューレット・パッカード社、IBM社、サン・マイクロシステムズ社と並んでマルチメディア・スーパーコリドー・ステータスに認定されています。

世界的にも有名な数多くの講演者たちによるオンラインのビデオセミナー等が200本以上、24時間365日お好きな時に、お好きなだけご覧いただけます。

世界有数のピーク・パフォーマンス・コーチであるアンソニー・ロビンス氏をはじめ、世界的なベストセラーとなった『金持ち父さん貧乏父さん』の著者でも有名なロバート・キヨサキ氏、ビル・クリントン米元大統領、カスタマーサービスの神様ロン・カウフマン氏、販売のマスターであるブライアン・トレーシー氏など世界中のそうそうたる著名人や講演者の方々を招き、自己開発や、専門的トピック、またビジネスだけでなく家庭生活や私生活までをも充実させるセミナー等を提供しています。

特に、これらの世界的著名人の成功哲学、成功法則に関するセミナーは、スカイクエストコムのビジネスを展開するに当たっても大きな力となります。

文字通り、成功者から直接成功の法則・秘訣を学び、それを実践する中で必ずや成功を勝ち得、自らの夢を実現出来ることでしょう。

これほどのセミナーや講演の集大成は、これまでに類を見ないまさに画期的なものです。

巷では、大勢の方々が、たった一度のセミナーに数万から数十万円ものお金をつぎ込んで受講しています。

そのような高水準な講演・セミナー、世界最高水準の教育をインターネットの環境さえあれば、安価な登録料でいつでもオンラインで受講することが出来るのです。

Sqcimage1_1

ロバート・キヨサキ:ベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』著者
ジョン・グレイ  :ベストセラー『男は火星人、女は金星人』著者<
ロン・カウフマン :カスタマーサービスの神様『極上のサービスの秘密』著者
アンドリュー・マシュー:漫画家『幸福に生きる』著者

2006年4月 2日 (日)

戦争を風化させないで!

Himeyurinotou1 第二次世界大戦末期、ひめゆり学徒隊に「解散命令」が出たちょうど同じ日の昭和二十年六月十八日、私の祖父母の徳唐オジーとウサ~オバーは、母を含めた四人の子供と孫を抱えて雨あられのように降る米軍の砲弾の中を必死に逃げ惑っていました。

激しい砲撃を避けて島尻郡眞壁村のとあるサトウキビ畑で身を潜めていた時、突然ヒュルヒュルヒュルと砲弾の風を切る音が聞こえてきました。

互いに逃げる間もなく、その砲弾は六人のすぐそばに着弾し爆発しました。午前十一頃のことでした。

飛来する砲弾の大きな音にびっくりした母は、とっさにウサ~オバーと妹の背中を押して地面に伏せましたが、徳唐オジーは驚いて身を起こしてしまい、その爆風に飛ばされて亡くなりました。

重傷を負った弟を背中に負い、母はみんなを安全な場所へ避難させました。

その途上、弟は蚊の泣くような声で母に懇願しました。

「姉さん、私はもうだめです。どうか私をここに置いて、お母さんたちを連れて逃げて下さい。私が一緒ならみんなやられます」。

母は断固とした口調で「馬鹿なことを言わないで。あなたをひとり残すようなことは絶対しません」と告げました。

その場を急いで離れ、崩れた民家のそばで難を逃れました。

午後五時頃、母が水を汲むために家族のそばを離れたその直後のことです。一発の砲弾が身を伏せていた四人のそばで炸裂し、弟と妹が亡くなりました。

ウサ~オバーは、背中や特に肩から右腕にかけて無数の小さな鉄破片が突き刺さり重傷。

姪は右頭部に傷を負いました。

水汲みから帰る途中だった母は、破壊された日本軍のトラックの下に潜り込み、かすり傷ひとつありませんでした。

母は重傷を負ったウサ~オバーの手を引き、頭部に傷を負った姪を背中に負ぶって必死に逃げ惑います。

二日後の六月二十日、救護班として軍と行動を共にしていた姪の母峯子が、家族を必死に捜す中砲弾に倒れました。

沖縄における組織的な戦闘の終結の日が、慰霊の日ともなっている六月二十三日。

せめてあと数日早ければ、このような痛ましい犠牲はなかったかもしれません。

戦後、ウサ~オバーは、長い間にわたって体に突き刺さった無数の鉄破片の痛みに悩まされました。

診てくれる医者もなかなかいません。そしてそのようなお金もありません。

母は、ひとつひとつの鉄破片を丁寧に抜こうとするのですが、うまくいきません。痛み苦しむオバーをなんとか助けられないか必死で考えていた母は、ある時思い立って、当時としては非常に高価な山羊汁をこしらえました。

そしてそれをウサ~オバーにたくさん食べさせたのです。

山羊汁は発散薬とも呼ばれ、出産直後の妊婦や体に切り傷等を持っている人には通常あげません。体に膿を持つようになるからです。

母はそれをあえてウサ~オバーに与えたわけです。

案の定、ウサ~オバーは、体中の鉄破片が突き刺さった箇所に無数の膿疱を持つようになりました。

その痛みと熱にウサ~オバーは本当に苦しみました。

ところが、被弾箇所が膿を持ち、水疱状に腫れることによって、それを潰すことで鉄破片が容易に取り出せるようになったのです。

そしてすべての膿疱を潰すという根気強い母の看護のおかげで、ほとんどの鉄破片を取り除くことができました。

母はこのような治療方法をどこで学んだのかよく分かりませんが、この治療を境に、オバーは日に日に元気になっていきました。

悲しい記憶の中の嬉しい母の知恵物語です。

「爆撃で 鉄の破片を 身に浴びた オバーを癒す 母の山羊汁」

文部科学省は29日、2007年度から使用される高校教科書の検定結果を公表しました。

全般的に戦争および沖縄戦の記述が減る傾向にあります。

罪なき者の尊い命を奪い、人を悲しみと苦しみのどん底に落とす戦争を、私たちはもう二度と繰り返してはなりません。

そしてそれを風化させてもいけません。

2006年4月 1日 (土)

世界で最も美しい言葉-幼子の言葉

Akaihana03私は家内の助けも借りて、子供たちがそれぞれ生まれて成長する中で、最初にどのようなはっきりとした言葉を口にするか注意深く観察しました。

子供たちひとりひとりが、単語としてはっきり分かる最初に発した言葉は以下の通りです。

 1.長男:「おかあさん」   2.長女:「あんぱんまん」
 3.次男:「おかあさん」   4.三男:「おかあさん」
 5.四男:「おっぱい」     6.末娘:「はい」

「おとうさん」という言葉がないのがちょっと寂しいのですが、まあ毎日一緒にいるのはお母さんですから仕方ないことでしょう。

私は、子供たちが最初に発した言葉は「あんぱんまん」も含めてどれも大好きなのですが、それらの中でも、特に気に入っているのは、末娘の「はい」という言葉です。

末娘が1歳の誕生日を迎えた直後の頃、まだよちよち歩きの頃のことですが、私が彼女のダイパーを替えてあげた際、その時くるんだダイパーを「ちり箱の方へ持って行って捨てておいで」とお願いすると、その子が「はい」と大きなかわいい声で返事するやトコトコとちり箱へ向かって歩いていき、中に入れてまたトコトコと戻って来るのです。

その姿を見た時、親ばかな私の心に何とも言いがたいとても新鮮なものを感じました。

幼子の素直さや純真さに心洗われる思いでした。

世界で最も美しい言葉、それは「ありがとう」と思っていたのですが、最近考えが少しだけ変わってきました。

もちろん「ありがとう」がすばらしい言葉であることは全く異論がありません。私自身大好きな言葉です。

ただ、言葉というものは、私たちの感情や思い、考えが文字や音声によって表現されるもの、いわば私たち自身の象徴です。

「ありがとう」が美しい言葉なのは、それを発する人の心からの感謝、尊敬、愛情、信頼がその言葉に込められるからなのでしょう。

逆に言えば、そのような温かい心を持って発されるよい言葉はすべて美しいと言えるかも知れません。

幼子の言葉にはそのような意味での「美しさ」が具わっているのでしょう。そしてそれだからこそ人の心を洗い新鮮な感動をもたらすのだと思います。

「はい」「おかあさん」「あんぱんまん」「おっぱい」はすべて大好きないい言葉です。

世の中が幼子のような心で発せられる言葉で満ちたら、もっと住みよいすてきな世界になることでしょうね。

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